シェアハウス・ロック0920

【Live】バッハはピアノを知っていたか

 昨日の『シェアハウス・ロック』は、9月18日の午前10時ごろに書いたものだが、今回お話しするのはそれより2~3時間前のことである。コーヒーを飲みながら、バッハを聴いているときのことだ。
 聴いていたのはフランク・ペーター・ツィンマーマン(v)とエンリコ・バーチェ(p)の「ヴァイオリンソナタ」で、ジャケットにはそう書いてあったが、正式には『ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ』(BMV1014~1019)である。
 このとき、私はピアノに違和感を感じたのだった。だが、違和感の正体がなんなのかよくわからなかった。エンリコ・バーチェが下手なのかと言えば、そんなこともない。
 もしかして、毎朝毎朝バッハを聴いているので、耳がバッハになってしまったのかと思った。つまり、バッハはチェンバロのためにあの声部を書いたのであって、それがピアノで弾かれたがゆえの違和感なのではないかと思ったのである。
 でも、待てよと思った。つまり、ヨハン・セバスティアン・バッハはピアノの存在を本当に知らなかったのかと、ちょっと考えたのである。それまで、私はあまり深く考えず、バッハはピアノを知らなかったと思っていたのだ。でも、本当にそうか。調べてみた。
 まず、ピアノはフェルディナンド・デ・メディチの楽器管理人であったバルトロメオ・クリストフォリが発明したとみなされている。メディチ家の目録から、1700年にはピアノがすでに存在していたことがわかる。クリストフォリ製作のピアノは3台現存し、いずれも1720年代に製作されたものである。この時代だから、フェルディナンドくんは三世ね。まだ大公になってないんで、大公子と呼ばれていたんだろう。場所はトスカーナだから、ブーツの膝のちょっと下あたり。
 一方、ヨハン・セバスティアン・バッハはドイツを一歩も出ていないので、このピアノは見ることができなかったはずだ。
 また、『ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ』が書かれたのは1717年であるから、これは間違いなく、チェンバロ(とヴァイオリン)のために書かれた曲ということになる。
 クリストフォリのピアノを一点だけ改良したもの(ダンパーを一度に外す、現在のダンパー・ペダルの原型を加えた)を制作したのがゴットフリート・ジルバーマンであるが、彼は1730年代にそれをヨハン・ゼバスティアン・バッハに見せているという。これは、前にお話ししたバッハのライプツィヒ時代に相当する。
 だから、ヨハン・ゼバスティアン・バッハは、ピアノは知ってはいたものの、それに向けた作曲はしなかったと考えていい。ピアノは、登場してからしばらくは、「あんなガサツな楽器」と軽蔑されていたようで(これは事実)、市民権を得たのはモーツァルトあたりからではないかと、私は考えている。

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