シェアハウス・ロック(or日録)0125

ガース・ハドソンの訃報から1

 1月24日の『毎日新聞』朝刊に、ガース・ハドソンの訃報が掲載されていた。ザ・バンドの最後の生き残りだった。享年87。
 ザ・バンドは、ボブ・ディランのバックバンドとして日本では有名になったが、アメリカではまず、ロニー・ホーキンスのバックバンド、ザ・ホークスとしてメジャーデビューしている。
 日本では、当初、口さがないフォーク原理主義者から、「ディランが、どこかのクズバンドを拾ってきた」などと揶揄されていたのである。ザ・バンドの日本デビューは、アルバム『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』だったと記憶している。
 ザ・バンドの最後のひとり、ガース・ハドソンが亡くなったことで、私は一つの時代が終わったと感じたし、ロックが完全に死んだとも感じた。
 俗に「死は一瞬」だと言われる。だが、人間の死を微細に見ると、人間は一瞬では死なない。心肺が停止し、五感が徐々に失われ、最後まで残るのが聴覚だという。聴覚を喪失するとほぼ同時に脳が死に、それ以外の細胞も死んでいき、最後の細胞が死んだときに「死が完成」する。
 これが動物の死である。ややロマンチックな言い方では、残された者たちに先に逝った人の記憶が残ってさえいれば、その人はまだ死んではいないというものがある。たぶん本当だと思いたい。rock'n roll can never die (Neil Young).
 ガース・ハドソンの死で、私はこのことを思い出した。
 もうひとつ思い出したことがある。シオドア・スタージョンの『一角獣・多角獣』である。この本は、創元社から出ている「異色作家シリーズ」に収められ、私は中学生のころに読んだ。
 そのなかに、『死ね、名演奏家、死ね』という短編が収められている。この短編小説を思い出したのである。
 シオドア・スタージョンは、SF作家と言われているが、私からすれば、その枠を大きく越えている。「異色作家シリーズ」に収められたのも当然で、このシリーズはスタージョンのために設けられたのではないかとすら、私は思う。私からすれば、スタージョンは作家というよりも、「狂った予言者」に近い。
『死ね、名演奏家、死ね』は、ラッチ・クロフォードというバンドマスターが率いる楽団の司会者である主人公が、メロドラマっぽい成り行きからバンドマスターを殺す話だが、クロフォードが死んでも、クロフォードの「音」は死なない。さらに他のメンバーを殺しても、「音」は死なない。「音」は、スキッド・ポートリーというギタリストの「指」に宿っていたのである。
 それに気がついたのは、ウイルスXという感染症ウイルスにポートリーが冒され、演奏を休んだときであり、ここでやっと主人公はクロフォードの「音」の正体を発見することになる。
 このウイルスXが、なんだか変異インフルエンザウイルス、コロナウイルスに近いイメージを持っている。このあたりが、私がスタージョンを「狂った予言者」と感じてしまうゆえんだ。
「シジジィ」という単細胞生物の「セックス」を扱った作品もある。あの時代としては、相当先にいっており、ここでも「狂った予言者」ぶりを発揮している。
 ガース・ハドソンの話も、ザ・バンドの話もほとんどできなかったが、次回、次々回あたりでつながるので、ご安心いただきたい。

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