文章を書くきっかけをくれた読書感想文

文章で有名になりたい。文章で人からの声を聞きたい。私は自分の書いた文章にリアクションを貰うことが好きで、人の文章の表現力に感化されるのが大好きだ。だってそれが一番脳からアドレナリンがドバドバ流れてくるように感じているから。もはや文章のシャブ中である。もっと文章というシャブを浴びたい。

仕事を辞めざる負えなくなったときに、どうしたいかと考えた。一度でいいから文章で生きていたいと思ったので、コラムサイトに何通か応募したがどれも一向に掲載されなかった。文章を見てもらいたいのに文章を掲載される依然の問題に立ちはだかっている。送ってる先に何もリアクションはされない。つまんねぇわとか、お前才能ないんだよとかはっきり言われたほうが踏ん切りはついたかもしれないが何もなく、応募フォームだけが開いている。なんか言ってくれよ。短期間だか心の弱い自分はここで鬱になり、しばらく外にも出られないほどの引きこもりになった。

まず、テーマに沿う文章を書こうとすると全く書けない。これだと思って書いているうちにだんだんと、これテーマから外れてないかと思う。そしてこういうのは出せないと思い投げ出してしまう。そして日記のほうが向いてるんじゃないかと思い日記を開設した。ただ体調が悪くなれば悪くなるにつれて、日記どころか生まれて初めて文章を書きたくないと思うようになった。これが自分にとって最大のショックだった。

でも、生まれて初めて嫌いになったって書いたが、最初に嫌いになったのは小学校の夏休みに出される読書感想文の宿題だった。ごめん、見失ってたわ。ガキの頃から嫌いだわ。なんで読書感想文が嫌いなのかは本が読めないし読むのが遅いからだ。本が好きな子は広辞苑サイズだろうがスラスラと1日で読むのに、私はハリーポッター1冊またはそれよりも薄い文庫本を読むのに1年以上かかる。漫画も実は読むのがとても遅いので周りと比べてゆっくりペースな自分が悔しくて嫌いで、読書もしたいのに嫌いだった。だからほぼ読書感想文の宿題は提出した記憶がない。ただ、とある読書感想文の書き方系の本(ドラえもんの絵柄が書いてあった気がする)を読んでそれを真似したのが文章を書いて楽しいと思ったきっかけかもしれない。その本は「いい子ちゃん感想文を書きたいならこう」とか「ただ感想文をかきたいならこう」などと2パターン書かれていて、真似したのは後者だった。ただ書きたいならの方に感化された。

その方法はどう書いてたかは忘れてしまったが所謂ツンデレ文章だった。なのでとりあえず選んだ本を一つとったかと思えば、本を読むことの苛立ちと読めない悔しさ、そして読んでいても何も共感できない作者の見解にとにかく批判をした。ツンというツン、塩という塩を披露した。そして最後後付の様にその本のいいところ、ここは共感できたというところを提示した。これがデレだ。

それでああ、まぁ書けたし出すかと思って初めて出した読書感想文が学内で表彰されてしまった。私はそんなことあるかと思いながらも表彰を受け取ったことを覚えている。そして表彰してくれた担任の先生に「お前らしいわ。」とコメントをもらった。それが今でも強く印象に残っている。初めて文章を書くのが楽しいと思えたのはそこからだ。先生、あのとき表彰してくれてありがとう。こんなものでいいのなら私もっと感想や見解を書きたいし、もっと感想がほしいです。

それを思い出したらまだ趣味の一環としてでも文章を書きたいと思えてきた。才能がなくても書きたいしリアクションが聞きたいよ。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?