予測不能にもほどがある 39 イタリア編 (16 昭和的実録 海外ひとり旅日記
日記_041 引きまわされて、なお
13 / Aug 1978 全て Chiuso(休み)?
ただ、ダダッ広〜い Roma Termini・・・。
”やってきました!Roma!”の気概も湧かせない程、駅舎は新しくなっていた。
と言いながら、Terminiは何の映画の舞台だっけ(「終着駅」でなければ、「自転車泥棒」?、「鉄道員」かな)、どの映画に登場したか、実はその駅舎の姿も既に忘却の果て、朧げであった。
コラム_94 「終着駅」ではなかった
Vittorio De Sica『終着駅』 Stazione Termini (1953年)
恐らく 日本人全員、騙されてます。
「Stazione Termini」は和訳すれば単なる固有名の「テルミニ駅」、それを邦訳時に恐らく、”Stazione terminale”と語呂合わせして、終着地点の意味に置き換え、すなわち「終着駅」という名邦題を産んだのでは・・・。
(俺も後から知った)
”Terme” di Dioclezianoこの辺りの地名が、テルメ・ディ・ディオクレツィアーノといい、”Termini”の名はローマ時代の浴場跡”Terme”から派生しており、普通名詞に換言してしまえば「”浴場”駅」と云うことになってしまう。
(ショック!)
・・・んnn、ちょっと気張って描写したところで、箸にも棒にもかからん
とはこのことか。
ところで、日常といえば、この駅に限らずRomeでは、ちょっとした危険(置き引き・盗難・・・)は日常の如く普通にあるようで、目くじら立てて考えても蒋の無いこと、それはRomaのスタンダードであって、慣れるしかないのかな・・・。
特に日本人は・・・心した方が・・・。
まあ兎にも角にも ” Romaなんだから ”と、” 財布は前に、ショルダーは一文字に ” と心も整えよう。
(Termini駅周辺は当たり前のように、多種多様な人々の暮らしらしきが見え隠れしている)
本来なら新しい街に着いたら、まずはHotel探しとなるのだが、予想外のTermini駅に肩透かしをくらったような気分を吹っ切らねば、ならば期待を裏切らなさそうな目当ての一つ、Castel Sant'Angeloまで距離はチョットありそうだったが、”Roma”一見するには程良い距離か。
Ponte(橋) Sant'Angeloの真っ直ぐ先の突き当たりに、どっしりとタライを伏せたような赤茶けた石積みのCastel Sant'Angeloが、派手さは無いが不動の凄味(低層部はむき出しの岩盤の上に建っているようにも見える)を語っているようだ。
Castelへの軸線を守るが如く輪舞する左右欄干上のエンジェルたち( 通りがかりのイタリア人らしきが「今はかなりのエンジェルが修復中で、実際とは違う」と教えてくれたのだが、では橋上か建屋屋上かどちらのモノかは判らなかった、建屋ぐるりだったらさぞかし壮観だろうと勝手に妄想し、昂まってしまった)の見上げる塔屋の先に、San Michele(聖ミカエル)が大翼を拡げ降臨する様は、まこと劇的の極みを感じさせてくれる。
(実際、ローマに蔓延したペストを、この廟(元々はハドリアヌス帝が霊廟として建造、後に歴代教皇が砦として使用することとなる)の上に現れた大天使ミカエルが、鎮静したのがCastel Sant'Angeloの由来だとか)
しかし興が嵩じてきたところで、無骨で頑強な門は閉じられたままだった。
(何てこった〜、休み〜っか?)
気持ちのやり場もなく、止むなくCastelの左手脇に廻れば、今度はオベリスク風な巨大な街灯が連続する一段と長いstradaの彼方に、あれは明らかにBasilica di San Pietroのクーポラ。
(先にホテルにチェックインしとけば好かったか)真っ昼間バックパックを背負い、(必要以上に)幅広い真っ直ぐな道7・800mを消失点に向かってだけ歩くのは、相当辛いっ、だが沢山の行き来するヒトが(ホコ天のように)余り意味も無さそうだが、時には屯ろったりしているのが、気晴らしでもありせめてもの励み。
でたーッ、Piazza San Pietroが街路からの視界を一気に拡げれば、Colonnato del Berniniー284本の柱回廊、柱径2.7mはあろうか、高さだって12mは優にあるぜっ!。
柱廊一本一本の上ということは、(えーと)百余体もの聖人たちが半円孤に取り巻くように、我々を見降ろしている・・・。
Colonnatoの陰に隠れるようにMicheranjelloデザインと云われている衣装のスイス衛兵も、数人いるっ。
(外周りだけでも興味満載!)
(そう!)Colonnatoの円弧の中心点(床にプレートが埋め込まれていた)からの列柱の陰影の見え方も見届けさえし終えれば、いよいよ薄暗い開口を目指そう。
(???)
中には入れたのだが、今きた入り口を見返ると、そこから差し込む光に逆光となった訪問者のシルエットが、俯いて、然も密集して、中はヤケに暗い。
昏い影々の合間20m程先に、黒光りするアレは、明らかにLa Pietà di Michelangelo。
薄闇の中に、啜り哭くような声も押し殺すように八方に木霊しているようだ。
(??)
Paulus VIを悼む期間の最中であったのだ。
塩野七生さんが教えてくれた日(帰天したこと)から一週間も経っていなかったのだ。
stradaからの人々の行き来も、この故だったのだろう。
(Basilica di San Pietroのこのわずかな参列スペースを除き、全てのVaticanoの施設は閉じていたようだった)
一気に息を詰めるように(予想外の空気からも漠然と逃れたい思いと、ホテル探しもまだであった)Piazza dei Tribunaliを通りアウグストゥス廟(Mausoleo di Augusto)をすり抜け、小一時間は歩き続けたろうか。
狭い街路の先に見覚えのある風景を見つけたのは、スペイン階段(Scalinata di Trinità dei Montiトリニータ・デイ・モンティの階段)だ。
確かに完全外部に存在する両翼階段は珍しいのだろうが、溢れる程のヒトが居座り、物売りの日本語の呼びかけのほうが、奇異に感じる。
それよりとにかく、どこか階段のアキを見つけてヘタリ込むのが先決だっ、Gelatoはその次!
お決まり目当ての味はほうり込めても、喉の潤いにはcolaも欲しい!
しかし周りを見渡して自販機が在る訳もなく、第一 barも、店も、全てシャッターが閉じている。
(???)
( 今日は・・・
日曜日だったんだっ・・・!)
Castel Sant'Angelo然り、車の通らないホコ天のようなstrada然り、(忌中の)Basilica di San Pietro、Vaticanoはとにかくとしても、この辺りの店々に始まり、街の妙にヨソヨソしい空気に違和感を覚えていたこと。
(そうだったんだ)
しかし目の前のツーリストの混雑ぶり見ても
クソ暑い中、喉を涸らすヒトは
日曜日を避けるわけでは無いんだよ
Italianoは
日曜日は家族と一っ緒
解るけど・・・
Per favore , Italiano!
Romaに着いて、自分をここまで引き回して来られたのが偶然だったのか何かの導き(そんな訳はない)だったのか、このスペイン階段を上がるとすぐに小高い高台は緑深い大きな公園に臨し、市街を一望できる静かで、仲々な今日の寝宿は、呆気なく、見つかった。