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映画『MINAMATA−ミナマタ−』の感想です。

映画『MINAMATA−ミナマタ−』の感想です。

史実なのでネタバレと言っていいのか分かりませんが、まだ映画を鑑賞されていない方はご注意ください。

僕は映画評論家ではないので、映画撮影手法や俳優の演技についてよく分かりませんし、とやかく言える立場ではありませんから、あくまでも個人的な感想として受け止めてください。

僕にとって水俣病とは歴史の授業で四大公害病の一つとして習った限りで、その記憶で止まってました。ただの忌まわしい歴史の1ページということでもう終わったものだという認識でした。

この映画は、水俣病がまだ一企業の排水が原因であると認められていない時代(1970年前後)のお話で、あるアメリカ人写真家が来日しその実態を知りその酷い現実を写真に収め、母国アメリカのライフ誌で発表されたことで世界に知られ、その後の裁判に大きく影響したという実際に起きたことを描いた作品です。

この映画から、当時の水俣病患者や家族、遺族の苦しみや悔しさが伝わってきました。しかしこれは過去の話ではなく、今もなお苦しんでいる方々がいるというのです。その思いを背負いながら我々日本人ではなくアメリカ人が映画を撮るということが何を意味するのでしょうか。日本人や日本政府、日本企業は昔から隠蔽体質で、臭いものには蓋をする、触らぬ神に祟りなし、事なかれ主義、周りの空気を読んで動かない、といった日本人の性質がこういった問題を問題のまま置き去りにし、過去のものとして葬り去ろうとしているのではないでしょうか。僕は非常に憤りを感じました。

しかし、映画の最後にエンドロールと同時にスクリーンに流れた映像には、今も公害問題は世界のどこでもいくつも起きているということを示唆するもので、特にアメリカでも多く未だに発生しており恐らく当事者は認めず問題となっているのではないかと思われます。その中には日本の福島原発問題もありました。

これはどういう意味なんだろう?

日本でかつて起きた事件をわざわざ今になって掘り返しただけでなく、自国アメリカのいくつもある公害事件をエンドロールとはいえフィルムに残すといったことが必要なのでしょうか。MINAMATAという映画は水俣病公害問題を描いただけで終わらないのです。

そうか、この映画はかつて日本で起きた水俣病問題を通して、世界で起きてる環境問題に対する問題提起なのではないかと受け止めました。

今この瞬間も世界のどこかで苦しんでいる人々がいるのです。

この映画をきっかけに、改めて水俣病を掘り下げて調べたり、何か世間に訴えたりすることだけが僕たちが起こす行動ではないと思います。勿論、それを否定はしません。それだけではなく、日々の自分たちの生活においてこれからさらに環境意識をもって生きていかなければならない、ということがこの映画が伝えたいことではないでしょうか。

今、地球環境は病んでると思います。僕の完全な主観ですが、昨年日本で台風の発生が少なかったり、土砂災害など水害が少なかったと思います。台風などは海面温度の上昇が関係していると聞きます。海面温度が上昇するにはCo2排出量が増えることによる地球温暖化が関係していると思います。昨年はコロナで中国を始め世界中で経済活動が鈍化しその影響でCo2排出量が減ったとのことです。つまり何が言いたいかというと、僕たち人間が動けば動くほど自分たちに悪い意味で返ってくるということです。

今後はアフターコロナ、ウィズコロナとなり、様々な経済政策が行われ、経済活動が活発化してくるでしょう。それと同時に僕たち人間にとって何か大事なものが失われていくような気がします。

人間はいろいろなことから学べる生き物のはずなのに、なぜ悲劇を繰り返すのでしょうか。

だいぶ感傷的になりましたが、以上がこの映画の感想でした。少し長くなりましたが最後までありがとうございました。


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