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仕事の痛手を癒やすものは

7日間の年末年始休暇が明けて、仕事が始まりました。でもたった2日間行って、また土日祝の三連休に入ってからのようやく通常モード。こんなに休みのフルコースを堪能してしまってこの先大丈夫かと心配でしたが、意外とすぐに慣れました。

仕事はというと相変わらず暇です。9時出社してメールチェックし、何となくこなすともう10時半くらいにはその日のほとんどの仕事は終えてしまいます。一日が長くて長くて苦しいです。

バカみたいですが、何かをするたびにどれだけ時間をかけてやれるかということを考えて仕事をしています。どれだけ非効率にやって時間を稼げるかということばかり考えてます。これって不健康ですよね。

こんな生活がいつまで続くのかと思うと絶望的な気持ちになります。生きてるけど生きてない、死んでないけど死んでるような生活。

いくら仕事以外の時間を充実させようと考えても、やはり一日の大半は仕事に時間を取られるのが社会人です。仕事が充実していないと生きてる心地がしないのです。

そもそも何で仕事をしないといけないのでしょうか。こう疑問に思うことすら可笑しいのでしょうが。

人は生まれてからしばらくすると学校に通います。そこで学習して知識を身につけながら、社会生活に慣れるための適応力も身につけます。進学するたびにそのレベルが上がっていって、一般的には学校を卒業した後はどこかで働いてお金を稼ぐようになります。

そこから先が結構長い。一般論として、大学を卒業して就職した人が60歳で定年を迎えるまでは約38年あります。寿命が約80年だとしたら半分は働く期間です。最近ではもっと長く働く場合がありますし、この先も増えると思われます。

僕の現在地は40代後半なので、60歳で定年だとしたら、働く期間はあと10年ちょっと。もう終盤に差し掛かっていて、どう着地するかを考える頃合いです。

一般的には管理職になっていて、数年で役職定年となるか、役員に昇り詰めるかという大事な時期かもしれません。

僕は今回管理職となったものの、適応障害で休職し、復職したら一般社員に戻ってしまいました。まさに振り出しに戻るといった状況です。

この先管理職になることはないでしょう。一般社員として定年までの残りの年数を指折り数えながら過ごすのです。もしかしたら係長くらいにはなれるかもしれません。でもそれも役員の気分次第です。

自分としては復職したら元の部署で元のポストで元のように仕事できると思っていたのに、まさかの希望しない部署で一般社員としての再出発。スッキリ割り切ってやっていきたいとは思うものの、なかなかそうは思えません。

会社側の立場としたら当然の措置でしょう。メンタルが理由で戦列離脱した人間を何もなかったかのように元に戻すということはできません。特にメンタルのことは誰にも分からないのです。骨折だったらレントゲンで治り具合が見えますし、体の病気だったら手術や検査の数値などである程度分かりますが、心の病気は見えないですし、証明もできません。

自分はこうしたい。けど現実はそうはいかない。だからあきらめるしかない。

こういったことは誰にでもよくある話です。たとえ理不尽なことでも受け入れないといけません。それが大人になるということなのだから。

同じオフィスで前の部署の人たちが普通に働いています。僕がしたかったような仕事をしています。その姿を日々眺めているだけの僕。羨ましくてたまりません。見ているだけで辛いです。

僕はこんなに自分が未練がましい人間だったと初めて知りました。

僕の気持ちを例えるとこうです。何年かの社内恋愛の後、相手から別れを告げられてしまいました。けれど別れたあとも同じオフィスでこれまでと同じように過ごさなければいけないため、相手の姿をたびたび目にします。会話もしなければなりません。僕にはまだ気持ちが残っているためつい相手の姿を目で追っかけてしまったり、会うたびに付き合っていた頃のことを思い出してしまいます。だけどもう元には戻れません。胸が締めつけられるような辛い気持ちになります。いっそのことこの会社を辞めてしまえば、もう会わずにいられるのに。もう目にすることがないのに。もう忘れられるのに。

そんなセンチメンタルな気持ちになるのです。たかが仕事なのに可笑しいですね。

恋愛の痛手を癒やすのは次の恋愛と言います。仕事の痛手を癒やすのも次の仕事なのかもしれません。

実は一社エントリーしている会社があります。面接を希望しており、現在連絡待ちです。

給料はさらに下がるかもしれません。けれど、それにすがるしかないのかなあとも思います。

次の一歩に進むためには次の仕事を。面接にいけるといいなあ。

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