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正信偈に聞く(32) 善導大師⑤ 観経の内容②

前回に引き続き、仏説観無量寿経(観経)の内容についてです。

観経に出てくる様々な生き方をした人々とその往生のすがた。これをどう見るかというところに、善導大師のすさまじく鋭い洞察があります。この観経に説かれたお釈迦さまの真意をたったお一人、善導大師だけが気づかれました。
それを正信偈では「善導独明仏正意」と仰るのですが、その大事な部分をお話ししています。


今回も訂正があります。

①10分10秒ごろ
「愛する父を殺され」と言っていますが、正しくは「父」ではなく「主人」です。
韋提希は愛する主人を殺され、その主人を殺したのは愛する息子という、被害者遺族でもあり、加害者遺族でもあり、また自身も息子に幽閉されるという被害者でもありました。最も悲しみ苦悩した韋提希に説かれたのが、『仏説観無量寿経』というお経なのです。

②20分40秒ごろ
「念仏三昧(ねんぶつざんまい)」と言っていますが、正確には「常行三昧(じょうぎょうざんまい)」でした。
「念仏三昧」とは、ひたすらお念仏申し続けることなのですが、ここで僕が説明しているのは「常行三昧」です。親鸞聖人は比叡山時代、おそらくこの「常行三昧」という修行をされたと言われています。真っ暗な小さな正方形のお堂の中を、不眠不休でひたするお念仏申し続けながらぐるぐる歩き続けるというもので、それはそれは過酷なものだそうです。「常行三昧」の中に「念仏三昧」は含まれてもいるのですが、正確には「常行三昧」であるということを訂正しておきます。

③40分28秒ごろから
「そこそこの人は、すばらしい師匠には出会えなかったかもしれないけれど、仏縁には恵まれて、修行することができた」と言っていますが「修行することができた」のではなく「戒律を守ることができた」の間違いでした。
上品の者は戒律を守ることはもちろん、きちっと行を成した方でしたが、中品の者は戒律は守りましたが行を完遂することはできなかった者を言います。
動画のなかで「中品」とは名言せず、「そこそこの人」と言っていますが、中品の説明として話しているので、ここで訂正しておきます。

また、今回も前回に引き続き深川倫雄和上の同じご法話の動画を紹介しています。
前回紹介したものと同じものですが、再度こちらでもご紹介しておきます。

今回は資料はありません。

というか、前回と同じものを用いています。一応こちらに前回の資料も添付しておきます。
A3版とA4版がありますが、どちらも内容は同じです。使いやすい方をご活用ください。

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