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坂本龍馬にまつわる、日本人で初めてエピソード

昨日に引き続き、「坂本龍馬」について彼の功績や魅力、特徴をお伝えしてまいります。

坂本龍馬と言えば、「日本最初」と言われるものが多いのはご存知でしょうか?

「日本人で最初に新婚旅行をした」
龍馬は、寺田屋にいる時、幕府に狙われていて、見廻組という警察組織に襲撃に合いました。銃で応戦したものの、大怪我を多い、そこで龍馬を助けたのが、裸の「おりょうさん」で、その後付きっきりで看病したのですが、それがきっかけで、二人は結婚することになりました。擁護していた薩摩の西郷どんの計らいで、養生がてら、鹿児島の塩浸温泉(霧島温泉)に行ったことが、新婚旅行と言われています。
「日本人で最初に水虫になった」
龍馬と言えば、「ブーツ」を履いていたのも有名です。当時は、草履や下駄が普通でしたが、海外に憧れる龍馬はブーツを履いていました。下駄や草履を履いていれば、水虫になることもありませんが、ブーツを履いて蒸れていたので、日本人初の水虫になったと言われています。
「日本最初の株式会社を設立した」
龍馬は、日本で最初の株式会社である「亀山社中」というカンパニーを作りました。なぜ「カンパニー」と言ったかというと、当時は「会社」という言葉はなかった為です。それくらい、日本でも最先端を行ってたんですね。後に「海援隊」という名称に変わり、「いろは丸」という海援隊所有の船と、幕府側の紀州藩の明光丸が海上で衝突してしまい、いろは丸は沈没してしまいました。それにより、幕府を相手取って、超不利な中、「万国公法」という国際法に法って、これもまた日本で最初の「国際法」を使用した訴訟を起こし、見事勝利しました。このコラムのトップ画像は、海援隊旗です。

このように、歴史に残るものから身近なものまで、龍馬が「日本で最初」に経験したもの、起こしたものがあったんですね。

他にも、龍馬を代表するものが二つあります。

一つは、「薩長同盟」です。犬猿の仲である薩摩と長州が手を結ぶ橋渡しとなり、盟約を執り持つ者として、密約状の裏にサインもしている。この同盟により、滅亡しかけた長州を踏み留まらせ、明治維新の礎を築きました。龍馬がいなければ、薩長同盟は成っておらず、倒幕に成功したかはわかりません。少なくとも、武力による革命は成功したかもしれませんが、明治維新は「大政奉還」という、武力革命ではなく、平和的な革命になったのは、世界でも類を見ず、世界的にも有名です。これは、日本が世界に誇るものでも有ります。その礎になった裏には、龍馬の存在があったんですね。

もう一つは、薩長同盟が成り、第15代将軍の徳川慶喜が「大政奉還」を受け入れ、政権を天皇の返上しました。日本でも最後の将軍となります。そして、新政府樹立に向けて、明治政府の原案となる「船中八策」を発案しました。船の中で立案した八つの法律ということで、「船中八策」と言います。

この船中八策が元となって、新政府の方針ができました。さらに龍馬は、新政府の人事についても発案していました。実は、この「新政府人事案」が、龍馬暗殺の一番の原因になったと言われています。様々な思想が入り乱れた当時では、誰に殺されてもおかしくない状況だったのですが、手を下したとされる黒幕にとっては、この新政府人事案は厄介なものでした。その黒幕は、薩摩藩だと言われています。
龍馬は新政府に入るどころか、その前に暗殺されたわけですが、この暗殺されていなくても、新政府には入らなかったでしょう。

その証拠になる名言で、今回のコラムを締めくくりたいと思います。

「坂本さぁの名が有りもせんが、何かの間違いじゃっどん?」
「いやいや、俺は政府に入るのは好かん。」
「では、どないしやっど?」
「そやにゃ。世界の海援隊でもやりますかいの。」

西郷どんと龍馬の会話と言われています。その場に居合わせた、後の、明治政府の外交大臣となった陸奥宗光は、公にはしたかしてないかはわかりませんが、このエピソードを語り継ぎ、龍馬の凄さ伝えたそうです。

もっと龍馬について語りたくなってきたので(笑)、次回のコラムで紹介してまいります。龍馬3部作です。


ー追記

この度、「道楽舎」を設立いたしました!

坂本龍馬は、稀代の「道楽家」です。「道楽家」とは、「道中を楽しむ」人のことを言います。日本のことを思い、東奔西走して、古い体制に捉われず、柔軟に思考を変化させ、明治維新に貢献しました。明治維新までの道のりを、一番楽しんだのは龍馬だと言えるでしょう。

気になる方は、ぜひ覗いてみてくださいね!


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