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過去の僕が勇気を与えてくれる


じぶんの人生をどんなものにしていくかを考え出す時期は人それぞれ違うと思います

10歳の頃から思い描く人もいれば、17歳辺りで真剣になっている人もいる
もっと言えば40歳とか、大人になってから真に向き合う人もいるはず。

それが僕は22歳の頃だったと振り返っています。

それまで全然考えてなかったわけじゃないけど、
「僕の人生かぁ」と自分ゴトとしてやっとある意味 自我が芽生えて考え出したのが新卒社会人の22歳の頃でした。

社会人になったタイミングで真に人生を考え出すというのは、自然なことだと思います。

どうやらこれから社会で生きていくという事が始まるらしい。ということを自分なりに感じ取り、また同時に絶望を覚えました。

「やだな」という心地悪さや違和感を感じて初めて、人は願望や理想を抱くようになるのかもしれません。


実家暮らしをしていた22歳の頃のパソコン周り


そして

人生をどんなものにしていきたいか?ということに対して、初めて空想した純粋無垢なその内容は、

後々、頭でこねくり回して浮かび上がってきた願望とは一味も二味も違う率直で真に求める人生の姿ではないかと思います。

初めて率直に持ったヴィジョンに立ち返ることは、道に迷っていないかを確かめることができると思います。

あれから5年は時が経ち、当時抱いた純粋な願いとかヴィジョンがどんなものだったか?というのを、今抱いているものと照らし合わせてみました。



結論、僕は今もおんなじものを抱けていることが分かりました。

解像度の高さはもちろん違うけど大枠同じものでした

以下は当初抱いた率直なヴィジョン

  • 景観とスタイルのある空間で暮らすこと

  • 何かクリエイティブな事を仕事として没頭してること


5年も経って今どれだけ現実になったか?と思うと
年数の割にそこまで実現できているとは思いませんが、

それでもやっぱり当時から抱いている願望は率直なもので、ある意味「指向性」として、これまでもベクトルはブレずに進んできているように感じました。

5年間のうちに本当にいろいろなことがあって、

まっすぐ行けてたらどうだったかな、と振り返りますが

いろいろな考えを持ったり、削ぎ落としたり、挑戦したり、失敗したり、悩んだり、決断したりと

くねくねと複雑に、一見遠回りの様にも感じられる道を辿っています

しかし着実に、自分の生きたい人生を歩んでいくに相応な僕として上昇していっているのは感じられています。


最近のパソコン周り


過去の僕に向かって、

やっぱお前が見たいと願った景色は今の俺も見たいと思ってるよと伝えたいです。

僕は今、過去の僕から勇気を貰っています。


何をしたいか分からなくなり、迷う気持ちを長く経験してきた僕にとって

納得ができて、心から目の前のことへ集中して没頭できるということは 最高に悦びです。

 本気で注力していけるという幸せ。

今、心から感謝しています。

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