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朝日新聞に根津朝彦という人物の書いた 2020年6月12日5時00分の有料記事に対する反論。

朝日新聞に根津朝彦という人物の書いた 2020年6月12日5時00分の有料記事がある。
タイトルは、【(根津朝彦のメディア私評)戦後75年 戦争責任を考える、未来への責任】というもので、
Twitter(団塊世代とされている houzou1947氏@houzou1947 https://twitter.com/houzou1947/status/1271244567002529792?s=20)でこの記事を引用されている方がいたので、当方も引用分析させて頂く。

引用《
読売新聞はさらに82年8月15日の社説「アジアの心を理解しよう」では「南京大虐殺」にも触れ、「史実は、ゆがめることなく、ありのままを教え、その歴史の教訓を踏まえて、新たな歴史の担い手を育てるのが、教育の本旨だろう」とし、首相に「戦争責任を明確に認めるべきだ」と迫った。
歴史を顧みると、保守的な論調だと目される読売新聞にもこのような論説が載った時期があり、当たり前と思うことを覆す視点が歴史研究にはある。そこから社会や時代への自由な思考が可能になるのだ。
朝日新聞が戦争中の報道を検証した「新聞と戦争」(2007〜08年)では、戦後に新聞社の幹部らが軍部に抵抗できなかった理由として社員の生活や新聞社の存続を挙げたことに対して「新聞の戦争への影響力を思えば、通用しない言い訳だ」と断じた。この厳しい言葉をいま一度かみしめたい。

根津朝彦(ねづともひこ)
立命館大学/産業社会学部/現代社会学科 【准教授】(2020年現在)
ジャーナリズム史、思想史、ジャーナリズム、戦後思想、知識人
【専門】戦後日本のジャーナリズム史、思想史


【新聞社の幹部らが軍部に抵抗できなかった理由】とこの根津朝彦という【立命館大学の准教授】の人物が書いているのだが、そもそも【朝日新聞】は、尾崎秀実、田中慎次郎、緒方竹虎などがゾルゲ事件(1941年9月)に絡んで、逮捕されている。戦時中(1937年以降)という状況の中で、日本国及び日本軍部が、朝日新聞社をはじめ他の新聞社に対しての【スパイ活動】や【フェイクニュース】への【警戒】は当然と考えられる。
1982年当時の【読売新聞社】が、政治傾向として【保守】かどうかは本来どうでも良く本質と違うことをエビデンスにするというのは、【印象操作】以外の何者でもない。ゾルゲ事件で逮捕された緒方竹虎などは後に【朝日新聞社の主筆】や【自由党総裁、自由民主党総裁代行委員、国務大臣、情報局総裁、内閣書記官長、内閣官房長官、副総理などを歴任】している。では、ソ連という共産主義体制国家の手先に協力していた【革命派】の人物が、総裁や総裁代行をしていた【党】がそもそも【保守】なのかといわれれば判らない。つまり、読売新聞が、そもそも【保守】かという【区分】などは何の意味も成さない。
読売新聞の主筆が1982年8月15日の社説で【史実は、ゆがめることなく、ありのままを教え、その歴史の教訓を踏まえて、新たな歴史の担い手を育てるのが、教育の本旨だろう】で述べている。だから【戦争責任を明確に認めるべきだ】としているが、そもそも当時の読売新聞主筆は渡邉恒雄氏で、若い頃に【日本共産党】に入党していた人物であり、時間が経っても若い頃に心酔した【マルクス史観】から離れられていないと考えられようし、1982年6月は【教科書問題】という【産経新聞社】の【侵略から進出へ書き換えた】という【フェイクニュース】が端を発した国際問題になった時である。愚かな【産経新聞社】による【フェイクニュース】であり、【産経新聞社】はその後【謝罪撤回】している。しかし、朝日新聞を始め、他の新聞社は黙殺していることは、偕行社の『南京戦史』の編纂の中心人物であった板倉由明氏の『本当はこうだった南京事件』に掲載されている。つまりそういう時期での発言をみれば、【中国共産党】に【忖度】していると容易に理解出来る。
立命館大学の准教授ともなろう人物が、このような【情報】を踏まえもせずに、【明記】もせずに、読売新聞主筆が誰であるかも書かずに、単に【史実は、ゆがめることなく、ありのままを教え、その歴史の教訓を踏まえて、新たな歴史の担い手を育てるのが、教育の本旨だろう】というのは、新聞社がそもそも【お前がいうのか】という【フェイクニュース】への反省もなく、【史実】だ【歴史の教訓だ】、【歴史の担い手を育てる】、【教育の本旨だ】というのは、そもそも【読売新聞社主筆】に対して【どの口でいう】と笑う所である。
【史実】というのは、ある【状況または事実】に対して【尺度】からの【評価】である。
当時の読売新聞社の主筆である渡邉恒雄氏が、南京攻略戦についての【状況】について、詳しいとも全く思えないし、偕行社の『南京戦史』の情報の募集と編纂・分析が始まったのは、翌年からである。
渡邉恒雄氏が、何かを知っていたとしても、限定的で、それより以前に書かれた洞富雄、本多勝一、松本重治、鈴木明、田中正明、イザヤ・ペンダサン(山本七平)ら書籍による情報ぐらいであったである。当時は徐々に各部隊の戦史編纂が始まった頃で、現在のように情報が上がってきている時代でもない。同盟通信社(共同通信・時事通信の前進)記者だった松本重治の【南京攻略戦】の司令官であった松井石根大将の【涙の訓示】という【誤情報】が【事実】とされていたような時期である。
そもそもこの【立命館大学】【准教授】の【根津朝彦】成る人物の専門は、【ジャーナリズム史、思想史】であり、【近代史】が専門ですらない。また、【ジャーナリズム史】が専門ならば、第一次世界大戦から大きな発展を遂げた【戦時宣伝(プロパガンダ)】も踏まえるのが【常識】であるはずが、なぜか【ジャーナリスト史】の中にも加えられていない。戦前・戦後を通してみるのは、イデオロギーとしての対立も踏まえるべきなのだが。この辺は無頓着のようだ。
戦前、朝日新聞の尾崎秀実が、近衛文麿総理のブレーンして、また彼の仲間が【朝飯会】という政策懇親会で、近衛文麿総理にさまざまな工作を行っていたのは周知のことで、その手法として【共産主義】をひけらかしにしているわけではない。目の前に【利益】という【餌】をぶら下げて、誘導したという経緯がある。
多少なりとも歴史を言及する者ならば、【時系列】や【その他の重要な情報】を明記する必要があるだろう。
コレと全く同じで、この人物が【共産主義者】であるとかは、全く判らないが、【容共(共産主義を容認する立場)】で、現在は中国共産党への【協力】を行う【テキスト】を書いているといわれても仕方がない。
戦前、【戦争】を煽ったのは、【朝日新聞】を始めとする【新聞社】である。その事実を踏まえずに【新聞社】を【正当化】したり、【世論】を自分たちの盟主である【中国共産党】の【利益】に【有利】になるように【誘導】するというのは許せない行為である。

この記事も【事実】を【誤認】させるよう【誘導する】という【フェイクニュース】の一つの種類であろう。

【他者に対してあれこれを言う前に、自らの反省を行うべきである。】
これは、新聞社のみならずアカデミーもこの厳しい言葉をいま一度かみしめるべきである。

団塊の世代だからといって、メディアの情報を鵜呑みにするとは言わないが、メディアの載せる【情報】を【信用】すると痛い目を見るのは今も昔も変わりがない。

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