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上っ面か見てもわからない。

この方が、藤井厳喜氏を批判しているのですが、ご自身のブログで次のように述べておられるのですな。

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当方も、秦郁彦氏の『南京事件 「虐殺」の構造』を読み、その中のことを研究対象として調べて見たのだけれど。【信憑性の低い史料】【都合の悪い史料を無視したり】しているのは、むしろ秦郁彦氏であって、さらに秦氏が論考を書いた当時の犯罪をモチーフに日本軍の行動を表したりと、又、最終的には【法的根拠】が乏しいママ【捕虜殺害】を含めた【4万】などと言う意味不明な【中国共産党に政治的におもねった数値】を提示すると言うずさんな論考をされたのですが。
こういう学者の【村】に属してしまっている人物たちは、【村意識】に染まっていて【批判精神】を失っているような気がします。
アドホックな言い訳ばかりで、事件への係争事案への論考ができていないものを【学者】だからと言う理由で、内容を精査もせずに【擁護】に固執しておられるだけなのですな。

本来なら、学者ならば【批判精神】をもって、新しい史料の発見などに尽くしたり、文献・史料を読み直して見逃していた事実はないかと探すのが当たり前のような気がしますが。

所詮【鉄道】という全く違う分野の歴史分野なので、文献史料に当たることもされてないのでしょう。

現代において、歴史の見直しが、歴史修正主義と捉えるのはまったく無知蒙昧であてはまらない。
こういった方が、『ヴェノナ』に関しての言及もないし、秦郁彦氏は『ヴェノナ』を史料とは認めないらしい。
そのような人物に対しての信用信頼などどこにもないのが常なのだが、こういう学会村の住人はそうではないらしい。

歴史修正主義を嘆いているならば、その論旨に対して異論を提示すればいいだけである。
ただし、説得できるとは考えにくい。
現代は【集団知】の時代で、一人の学者がチマチマとやっていても、表に出れば瞬く間に間違っていれば、指摘される時代である。

歴史修正主義や反知性主義などと言うのは、自身らの主張による【史料】からの説明ができなっ方為の言い訳にしか過ぎない。

歴史修正主義や反知性主義という前に、該当事案の【史料】と【論】を展開すればいいだけである。
ちなみに、『南京大虐殺否定論13のウソ』のように、アドホックな言い分ばかりをあげつらっても評価はされないのは自明のことである。
あの論旨で、南京大虐殺を主張する土下座強要派の論旨は、事実認識が誤っていることを表明してしまったようなものである。

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