見出し画像

叱られる夢を見た

叱られる夢を見た。

普段夢は見ない方で、見てもすぐ忘れる。そんな僕が久しぶりに見た夢は悪夢のようだった。

夢の中で泣いていたけど涙は出てなくて、ハッと起きた瞬間に夢で起こったことの悲しさや、目覚めてホッとした感情から、目に堰き止められていた涙が一気溢れ出した。

もうこんな悪夢見たくないし、思い出したくもないけど、夢を見ない僕がこの夢を見たのは何かしらの意味があると思って、この夢が僕に伝えたいメッセージって何だったんだろうと少し考えてみた。

叱ることの愚かさ

学校のようなところの大勢の人の前で、僕が尊敬する人に叱られた。それだけでなく「こいつダメだ」と思われるような態度をされて、周りのみんなからもそう思われていると感じた。

尊敬している人に期待されていない感覚、期待を裏切ってしまったという感覚、自分はなぜこんなこともできないのかという感覚、などの様々なネガティブな感覚が溢れ出した。「もう僕の人生は終わった」という感覚。

大人になって、特に30歳を過ぎると叱られることがなくなるのでつい叱られる側のことを忘れてしまう。こんな思いを自分が他の人に絶対させてはいけない。

叱ることはマイナスな事以外何も生まない。愚かで安直なコミュニケーションでしかない。人のやる気や勇気をくじくだけ。

たまに「〜さんが叱ってくれたおかげで今の僕があります」という言葉も聞くことがあるけど、それはその叱られた記憶を否定してしまうと今の自分を否定してしまうことになるから、無意識に今の自分を肯定しようとして言っているだけ。もしその時に勇気づけのコミュニケーションをされていたらその人の未来はどんなに変わっていたのだろうか。

改めてそんなことを感じさせてくれた夢だった。他人にそういうことは基本自分はしないと思うけど、自分の子供にはつい叱ってしまうこともある。いくら親と言えども子供はこう感じているということを肝に命じないといけない。

承認欲求

とある夢解説のサイトを見ると、叱られる夢は「叱られた相手に対して自分が認めてほしい」と思っている可能性があると書いてあった。その方は本当に尊敬してる人なのでそれは確かだった。(冷静に考えてその人は絶対叱るような人じゃないけど)

承認欲求は人間ならどうしても持ってしまうのは仕方ないと思うけど、それに縛られてしまうとそれは他人の人生を生きることになるし、本当の自分の人生ではなくなってしまう。

そういう人生を否定はしないし、こうやってコーチングやアドラー心理学を勉強するまでは自分もそうやって生きてきたけど、今の自分はそんな生き方はしたくない。

今の自分の生き方に満足してる?人の人生生きてない?ってメッセージだったのかも。

自分の答えを持つこと

その夢でなんで叱られたかというと、その人の質問にうまく答えることができなかったからだ。

その人に認められたい気持ちがあるから、その人の答えを探そうとして必死だった。テキストにはなんて書いてあったっけ?とか、なんて言ってたっけ?とか。結果うまく答えることができない。

正しい答えを言わなきゃとか、うまく答えなきゃという感情は自分を縛りつけてしまう。その人の能力がうまく出せなくなってしまう。

それよりも大事なのは自分で考えて自分の答えを言うことではないだろうか?問題の種類によるけど、それが合っていようと間違っていようと自分で考えた答えというのがその知識を体得させて成長させると思う。

他人の言葉で答えてない?自分の言葉で答えてる?ってメッセージかもしれない。

また、今読んでいる「13才からのアート思考」という本の影響かもしれないけど、今の自分にとって「自分の答えをつくる力」は課題に感じているので、そういうメッセージも含まれているのかも。

まとめ

本当に辛くて振り返りたくない夢でも、逃げ出さず勇気を出してその夢のメッセージを探そうと振り返ってみると、その夢を俯瞰して見ることができ、結果その夢と向き合えたと感じた

それと同じでどんなに辛い感情も、顔を背けずにその感情が伝えようとしているメッセージを受け取ると、逆に心がスッキリできる。それが本当の意味での自己受容だと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?