【読書コラム】忙しない日々にゆっくりとした時間と温かいスープを
”昔の時間は今よりのんびり太っていて、それを「時間の節約」の名のもとに、ずいぶん細らせてしまったのが、今の時間のように思える”p50
今年ももう残すところ半年となり、その残りの第一歩である7月ですらすでに終わろうとしている。
今年は例年より時間の流れが早いように感じる。それも一度は終息の影を見せたが、また姿を大きく晒しだしている疫病のせいでもあるのだろう。
今までとは打って変わる生活様式に適用しようと体と心を切り替えていたら、時間はあっという間に過ぎ去ってしまった。
そんな日常を表すように、空には雲がかかり、生ぬるい雨とジメッとした暑さにうんざりとした7月の半ばに吉田篤弘さんの『それからはスープのことばかり考えて暮らした』を手にとった。
いつ知ったのか皆目検討もつかないまま、次々に現れる読みたい本のリストを解消していたところ、再会した本だ。
タイトルが印象的な本作は、世間のせわしなさとは対象的に、優しくあたたかみのある時間が流れていた。
物語は小説の主人公である青年が、路面電車が走る町に引っ越してきたところから始まる。
彼がこの町に身を固めようとした理由は路面電車がのんびり走り、歩いていける隣駅の近くに学生時代によく通っていた映画館があったからだ。
そんな理由で、住むところをきめていいものかとは思うのだが、ああそういえば暮らしって自分の心がワクワクする場所であったり
穏やかに過ごせる場所であるはずだよなあと思い返した。
その町で出会う人々と交流をしながら、物語は進んでいく。アパートの大家でもあるマダム。商店街のはずれにあるサンドイッチ店の店主と息子。そして彼が繰り返し通う映画館で出会うおばあちゃん。
彼らは温かい人柄に溢れていて、自分の近くにこんな人がいてくれたらなあと思ってしまった。
なにより本作の特徴はタイトルにある「スープ」だ。
青年はサンドイッチ店で働き、ひょんなことからオリジナルのスープを作ることになる。
美味しいと思われるようなスープを作ることに四苦八苦する過程に出てくる、具材やだしの描写についついよだれが出てきそうになってしまう。
レシピは記載されていないが本作で作り上げる名無しのスープをぜひ文章でご賞味してほしい。
また、本作を読みながら、なんだかゆっくり進む小説だなあと思った。
もちろん、何かしらの出来事は起こる。
しかし、なにか大きな原因があって起こったというよりは、自然の流れでただそうなったといった印象を受けた。
例えば、気になって立ち寄ったサンドイッチ店で働くことになったり、その店でスープを作るようになったり、自分の意思とは別に、ただそこに降りてきた偶然に乗っかって日常が変わっていく。
なにかをしなくてはいけないと焦り、時間を常に意識したぼくたち現代人とは真逆のゆったりとした日常を描いた本作は、癒やしを与えてくれるものだろう。
*
ぼくたちは日々追われている。
生産性だの効率化だの時間をいかに削るかが叫ばれはじめて束の間、世間は日常を取り戻すことに精一杯になっている。
ただ、そのことによって得られたのは、今まで削ってきた時間の使いみちだ。
家で過ごす時間が長くなり、料理や室内でできる新しい趣味に没頭する人たちが増えたと聞く。
生活はガラッと形を変えたように思われたが、むしろ社会は流れていった時間を取り戻したのではないかと思う。
ぼくたちは「時間の節約」をした結果、なにを求めているのか分からなくなっている。
時間は平等だ。誰しも同じ分だけ分け与えられ、その時間をいかに使うかが人生であると言えよう。しかし社会は今ある時間を絞る事に躍起になるだけで、その分の時間を何か別のことに使えていないように思う。
本作は、自分は暮らしの中に何を求めていたのか気づかせてくれる。
ただ何気なく過ぎていた日々の中に、自分がやりたかったことや興味のあったものに手をつけてみたり、新しくなにかはじめて見るのもいいかもしれない。
それがどういうことか分からないときは本作を手にとってみてほしい。きっと時間を自分を喜ばすために使う人生の醍醐味を僕たちにあたたかく思い出させてくれる。
まだまだ日が昇らない7月の連休。
僕自身も体に染み渡るスープを飲みながら、これからの暮らしを見つめていきたいと思う。
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