はたして人は努力して面白くなれるのだろうか
この前初対面の方々と4人で大喜利をやる機会がありまして、1人がお題を出して、そのお題に対して他の3人が答えるというのをやったんですね。
で、私が、「失ってもそこまで悲しくないものは?」というお題を出したのですが、それに対しての他3人の答えを聞いたときに、はたして人は努力して面白くなれるのだろうか?と思ったんですよね。
ちょっと私と同じ状況に皆さんになっていただきたいので、そのときの様子を再現していきますね。
一人目の方の回答
「失ってもそこまで悲しくないものは?」
「お気に入りのAV」
その方が答えた後に補足説明もされたのですが、お気に入りのAVであれば、失ってもちょっと悲しいがまた買えるからとのことでした。
まぁそりゃそうですが、お題に対して忠実に答え過ぎているとうか、そのまんまの答えって感じですよね。
そこまで面白くはないなと思いました。
二人目の方の回答
「失ってもそこまで悲しくないものは?」
「金塊」
これまたその方が答えた後に補足説明もされたのですが、現金は失ったら悲しいけど、金塊だったらそこまで悲しくないとのことでした。
いや、金塊も価値あるし!と思いましたが、初対面なので「はぁ…」と言ってそれ以上は特に何も言いませんでした。
説明が意味わからんし、別にボケてるわけじゃなくマジで言ってる感じではあったので、ある意味変な人ということでその人自体に突っ込んで笑いが起きる可能性はあると思いますが、大喜利の答えとしては別に面白くはないかなと思いました。
三人目の方の回答
「失ってもそこまで悲しくないものは?」
「パーカーの紐」
これは面白いなと思いました!
まさにこんな感じの答えを期待していたというか、失ってもそこまで悲しくはないけど、ちょっとした悲しさはある絶妙なラインという感じ。
で、この3つの答えを聞いたときに、はたして人は努力して面白くなれるのだろうか?と思ったんですよね。
努力が意味ないということを言いたいわけではなく、やはりある程度のセンスがあっての努力なんじゃないかという気がしたというか。
お気に入りのAVと答えた方は、もしかしたら努力次第で面白くなれる可能性もあるのかもしれないですが、金塊と答えた方はどうなんでしょうか。
ただ、金塊と答えた方はもしかしたら意味がわからない答えをするということで逆に面白くなる可能性もあるかもしれません。
ただ、お気に入りのAVと答えた方、金塊と答えた方は、他のお題のときも面白くはなかったです。
面白かったのは常にパーカーの紐と答えた方でした。
ここでお気づきの方もいるかと思いますが、私もこの大喜利には出題者ではなく回答者としても参加していましたので、じゃあお前の答えはどうなんだよ?という話ですが、はい、私もパーカーの紐と答えた方に面白さで負けました・・・
ただ、パーカーの紐と答えた方が、「こんなクイズ番組は嫌だ。どんなクイズ番組?」というお題を出されたのですが、そのときの私の回答は、
「こんなクイズ番組は嫌だ。どんなクイズ番組?」
「元カノを毎回観覧席に呼ばれる」
これは一応ウケました。
でも、今こうやって書くと面白いのかがわからなくなるというか、そもそも自分の答えって面白いのかがよくわからなくなりますね。
自分の答えでも、面白いときは笑うし、面白くないときは笑わないんですかね。
笑いって不思議ですよね。
ではまたー。
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