見出し画像

◯◯◯と距離を置いてみた。

「いいね!」という”囚われ”

今の時代、他人とつながることは簡単だ
スマホがあれば、ホントに簡単につながることができる。

 1.スマホにアプリ(SNS)をダウンロードして
 2.自分のアカウントをつくって
 3.知り合いや芸能人・有名人を検索して
 4.とりあえずフォローしまくって
 5.タイムラインにある「いいね!」を押せばいい

「いいね!」「いいね!」「いいね!」「いいね!」「いいね!」「いいね!」「いいね!」「いいね!」「いいね!」「いいね!」「いいね!」

なんて生産性のない、不毛なことに時間を使っているんだろう
ある日、自分のiPhoneの画面に表示された「週間レポートがあります」(スクリーンタイム)の文字を見て、ふとそんなことを思ってしまった。

いや、単純に通知をオフにすれば済む話
だけど、ずいぶん前から薄々そんなモヤモヤとした感情を抱えていた。

それでも、しばらくは、そのデジタルで加工された”映える”写真をソファーで眺めながら、適当に「いいね!」を押す毎日を送ってきていた。

でも、ある日、急にそんな自分がイヤになってしまった。

ソーシャル・ネットワークって、本当に”社会的な”(ソーシャル)の?

バカバカしい気持ちが溢れていた。
それじゃあ、どうしようかな…

とりあえずSNSから距離を置いてみよう

まずは、FacebookとInstagramは、自分から投稿するのは止めてようと考えた。(そして止めた)

ずいぶん気持ちが楽になった(気がした)

効果が出ている気がしたので、しばらく続いけていたら、人の投稿もどうでも良くなってきた。

最近は、つながりを維持しておきたい人の投稿にだけ、たまに「いいね!」するということを自分のルールにした。

それにしても、本当に情報が多すぎる。
芸能人の不倫のニュースなんて、その最たるものだし、政治家の失言もホントどうでもいい(が、その外部サイトへ誘導するリンクの”見出し”が巧妙に見たいという衝動を突いてくる)

多すぎる情報を知らずしらずに追い求めてしまい、結果とても疲れてしまっていた。

止めることも大切だ。いや止めることこそ大切だ。

簡単に手に入る情報に何の意味があるのだろうか。
簡単に手に入る人間関係に何の価値があるのだろうか。

きっと本質的に何も意味はない。
(かつては、そんなもの無くても十分に生活できていたし)

時間管理マトリックスの第4の領域「緊急でもなければ、重要でもない
そう、この第4領域にどっぷりハマっている。

”Easy come, easy go.”

得やすいものは、失いやすい。
楽に得たものは、すぐに失ってしまう。 

そういえば、B’zの稲葉さんだって、出逢いも別れも金も恋も幸も不幸も
”Easy come, easy go.”だと、30年以上前から言っている。

だったら、人間関係も同じ
SNSでのつながりなんて、結局”Easy come, easy go.”だろう

でもまた、スマホでSNSを見てしまうんだろうけど、”自戒の念”を込めて、ココに書き残す。

最後まで読んでいただきありがとうございます。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?