「そんなにダラダラしていて大丈夫?勉強しなよ」と言いたい貴方へ【マインドセット】
他人の行動に口を出したくなった時、何を考えているのだろうか?
さて、8月21日は私の誕生日である(あった)
その前日、8月20日は彼女と一緒に過ごしていた。どうやら私の誕生日を祝ってくれるらしい。
20を過ぎても自分が生まれた事を祝ってくれる人がいる、自分のために精を出して食事を作ってくれる。これ程幸せなことはない。
太陽が高く登るような時間に起き、昨日食べきれなかったホールケーキを頬張る。アマゾンプライムでアニメを見る。
昼の1時を回った頃にようやく顔を洗い、顔を作り、車を出す。
昼を食べ、秋用の服を買いに行くためだ。この段階で16時。
こんな1日を過ごしていると、ついつい相手に対して「今日は勉強とかしなくて良いの?」と言いたくなる。
1回ならまだしも、何度も。
そもそも「休みの日」を如何に過ごすかというのは個人の裁量に委ねられているので、本人が例えば「ダラダラしてアマプラを見る」ことを是としているのであれば、それで良いのだ。
その行動に対して他者からどうこう言われる筋合いは無い。
そこに対して自分は、「勉強しなくて良いの?」という質問を口に出したのだ。
ここでふと、虎さん(@tiger_stlv) のツイートを思い出す。
何か鼻につく相手、それは例えばダラダラと過ごす彼女だったりするのだが、「それはそのまんま自分」なのである。
ダラダラしている彼女、ではなく、「それと一緒にダラダラしている自分」の存在が鼻につくのだろう。
この様に思ったのが20日の夜9時。
そうか、「休みの日に勉強もせず過ごす私」がいるのか。
そうとなればやることは一つ。勉強すれば良いのだ。
Anki(自分が普段行っている暗記用学習ツール)を開く。
「一緒にいるのに勉強したら相手の気分を害すかもしれない」
「今日は折角時間を取ってるんだし、勉強はお休み」
これらの言葉は須らく、自分が勉強していない事の原因・理由を他者に持っていく「他責思考」でなのだと思う。
「こんなにダラダラして大丈夫なのかこいつは‥」と思った時、その影には、「ダラダラしている自分が鼻についている自分」が居る。
深淵をのぞく時深淵もまたこちらをのぞいているのだ(✨)
勉強してほしいと思ったならば、まずは自分から態度で示す事が寛容なのだろう、今はそう思っている。
P.S. 行動を見た時の思考プロセス。事実と解釈を分ける
人の行動を見た時、「事実と解釈を分ける」という技術を最近学んだ。
以下、まりるさん(@mairugear)のツイートから。
途中で「ダラダラしてアマプラを見る」という表現を使ったが、これは私が彼女の行動(アマゾンプライムを見る)に解釈を加えたものである。
「ダラダラ」「何もしていない」は私の解釈に過ぎない。
彼女にしてみれば、その時間は「ダラダラ」「何もしていない」ではないかもしれないのだ。
自分の事を好きだと言ってくれる彼氏と一緒に過ごす、夢のような時間かもしれない。
平日は仕事で忙しい。だからその分、土日はゆっくり過ごす。そう彼女の中で決まり事があったのかもしれない。
彼女のプライオリティは「アニメを見ること>>勉強すること」かもしれない。私の中で勉強のプライオリティが高いように、彼女の中でアニメを見ることの優先順位が高かったのかもしれない。
とまぁ、解釈は色々あるのだ。
その中の一つを勝手に私が拝借して、こうやって文章にしている。
解釈が異なれば、はなしの前提がそもそも違ってくる。
人と話をする時、事実と解釈を混同させてしまったがために食い違ってしまう、ということは避けたいものである。