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再生 regeneration: 自殺者発見が   PTSDストレス障害を乗り越えられるか -9

忘れたい過去-Ⅲ

私は中学という学びの場に行っているのではなく
3年生校舎の男子トイレに通勤しているようだった。
2時間目が終わるといつものようにDG(DRAG QUEEN)が
リストを持ってくる
3時間目が終わると、教室を抜け出しスーパーへ買い出しに行く
どの科目の教師からも全く無視されていた
ここでも私は透明だった

どうしてもカンパ(同級生などから小銭をもらい集める事)のお願いは出来なかった
そもそも私と話そうとする生徒などいなかったし、避けられていた
私は、通っているはずの塾の月謝をつぎ込み
それでも足りないときは親の財布からお金を抜いた
更に私の成績は下がり、前科目で赤点は当然、最後尾を目指す勢いで
急降下していた

一方で私のパシリの腕はメキメキと上がっていった
2度と間違えないようにリストを暗記し何度もリストと見比べた
どの品物がどこにあり
どういう導線で進めば効率的に買えるかを身に着けた
レジのスピードが速いパートのおばさんの顔と名前を覚え
彼女の担当レジに滑り込んだ
絶対にミスが無いように何度もリストと照らし合わせ
4時間目終了のチャイムが鳴る前にはすでに男子トイレで注文の品を配っていた

その頃から、3年生上層部の私に対する満足度は上がっていった
使えるパシリとして評価されたのだ
褒められる事に、少しだけ喜んでいる自分がいたのも本当だ
殴られているときは、いつか殺してやると心で叫んでいるが
特にイケメンラメサンダルに褒められたり、おやつのおすそ分けを頂くと嬉しかったのを覚えている
もちろんリーゼント妖怪女がいない時に

暫くすると、2年生のGQを経由することなく、上層部が直接私の教室に来るようになった
シンナーが入ったコーラの缶やビニール袋を口からぶら下げたまま
授業中にも関わらず堂々と教室に入り、近くの椅子や机を蹴り飛ばす
教室内が静まり返り、他の生徒たちは全員下を向いている
教師はそんなことが見えていない様に生徒達に背を向け授業を続けていた

そして1学期が終わろうとしている頃
期末テストの結果で私は見事最後尾になった。
名前だけ書いてあとは白紙で全て終わらせたのだ
私なりの抵抗だった
美術や体育、家庭科などは唯一の休息タイムだったので
一度も出席することはなかった
誰もいない教室の後ろのロッカーによりかかり
廊下から見えないように膝を抱えて眠った

そして楽しみにしていた夏休みがもうすぐやってくる
学校が無ければ私は無事解放されるのだ
パシリに行かされることもない
暇つぶしに、バケツをかぶせられて
その上からモップで何度も殴られることもない
夏休み中にしっかり勉強し、成績を取り戻すのだ
ずっと行けてないレコード屋さんに行って欲しかったレコードを買うんだ

でもそんな夢は叶う事は決してなかった
人生で最も苦しい夏休みが私を待っていた
あのことをきっかけに


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