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再生 regeneration: 自殺者発見が   PTSDストレス障害を乗り越えられるか -8

忘れたい過去-Ⅱ 焼きそばパンとコロッケパン

その日から私は彼らのパシリになった
入学式の次の日、2時限目が終わった休み時間に
昨日の2年生の男が私の教室に来た
坊主だったけれど、ピアスをしていて、眉毛はDRAG QUEENのごとく細く剃られていた
そのDRAG QUEENは私にメモの紙切れを差し出した
-焼きそばパン
-CUP麺(それぞれのフレイバー指定)数個
-CUPやきそば
-コーヒー牛乳などなど10品目ほど、数量にして20個ほどのリストだった

”え?私がですか? 授業もあるし お金はどうしたらいいですか?”

DQ(DRAG QUEEN)は、ため息をつきながら
”金はカンパで集めるんだ、4時間限目終わりのチャイムがなるまでに持っていかないと酷い目に合うから おまえちゃんとやれよ”
と言い、走って行ってしまった

DQも恐らく1年間その役割を果たしてきたのだろう
だから同情的な目で私を見ていたんだ
という事はこれから1年間これを私がやり続けるのか、、

私は注文のメモを持ったまま、授業中それをずっと眺めていた
とりあえず今日は従うけど、その後はっきりと断ろう
丁寧に説明すればわかってくれるだろう
そう思いながら、残りの授業を受けた。

チャイムが鳴りお昼休みに入ると同時に
教室を飛び出て走り近くのスーパーまで行き
大急ぎで買い物を済ませ、教師に見つからないように校舎に戻り
例の男子トイレまで急いだ
お金は朝、父親がくれた3千円があったのでそれを使った

物凄く背の高いリーゼント女がトイレの入り口に腕を組んで待っていた
開口一番
”おっせーんだよ!”
と髪の毛を引っ張られトイレの中に引きずり込まれた
そして誰かが私の背中を思い切り蹴ったものだから
私は正面に倒れ顔面を強打した
鼻血が頬を伝って床に落ちた

買ってきた献上物を床にばら撒いてしまいそれを一つづつ拾っていると
涙が出てきた
しゃくりあげながら
”ごめんなさい、ごめんなさい”と繰り返し謝った

”すみませんでした!だろーが!”とまた誰かが私の後頭部を蹴る
首が音を立てたと同時に頭が激しく痛んだ

汚いトイレの床にばら撒いてしまったから
また買いに行かないといけないのだろうと思いきや
以外にも彼らは一向に気にならないらしい
私の手から袋を奪うと、嬉しそうにそれぞれ注文の品を受け取って
トイレの中で食べ始めた

その時背後から
”俺の焼きそばパンはどーこーだ?”と
男なのにキラキラのヒールを履いている、ほかの男子不良とは
少しスタイルが違う小柄の男がいた。
見るとかわいい顔をして、ニコニコしながら私の前に立った

誰かが
”焼きそばパンはもうないよ、コロッケパンならあるけど”

しまった!
急いでパンコーナーで焼きそばパンを掴んで買い物かごにいれたから
コロッケパンを混在させてしまったのだ
焼きそばパンは3つだったはずなのに!
また殴られる覚悟で私は見を固くした

”あ、俺それでいいよ。コロッケパンで、好きだから ありがとねー”
と相変わらずニコニコしながら私に言った

”よかった、、、これで5時間目の授業に間に合う”
と安堵した矢先に

”てめー調子に乗ってんじゃあねえぞ!”

とさっきトイレの前で待ち構えていた長身リーゼント女が私に向って怒鳴る

”本当に使えない1年だな!”

私の前に腕組をして立っている
よく見るとスカートの裾は引きずるくらい長く、今でいうマキシスカートだ
スカートのプリーツはほぼなくなっていて裾は凄く汚れていて不潔な印象だ
厚化粧で眉毛は全くない、唇は死人のようにパープルだった
妖怪女だ、、、

”何間違えてんだよ!このクソが!”

私の髪を掴んだまま手を洗う水道のところまで引きずられ
これでもかと冷たい水を頭からかけられた
周りにいた奴らはまたゲラゲラ笑っていた
春とはいえまだ4月だ、私は寒くて歯をガタガタ鳴らすほど震えていた
その後、私は教師にも誰にも何も伝えず家に帰った
そして着替えていると、背中や肩に大きな痣がいくつも出来ていた
鼻はかさぶたが出来ていて青く腫れ、血の塊が頬についていた
そのままパジャマに着替えるとベッドに入り、布団の中で泣いた

後から分かったことだが、この長身リーゼント妖怪女が小柄のイケメンサンダルを好きで、彼が私を庇ったのに腹を立てたらしい

それからの1年間この3年生が出所(卒業)するまで
ほぼ毎日殴られ蹴られた
時にはタバコの火を押し付けられて
暇つぶしに、何か面白い事をやって笑わせろと強要される

一番嫌だったのは、”茶巾の刑”というもので
スカートをまくり上げられて頭の上で縛られる
私は下着姿の下半身を出したまま校内中を引きずり回されるのだ
教務員室にも押し込まれた
それでも教師は”ふざけるのはやめなさい”と言うだけで
何もしてくれなかった
その日から制服のスカートの下にジャージを着用することにした

両親はもはや私のことなど気にも留めていない様子だった
私はこの家に存在していないかの様だった
父の会社が経営破綻し社員が次々と辞めていった
父は借金の返済に追われ、母は父の友人と不倫をしていた
彼らは毎日怒鳴りあいの喧嘩をしていたし
祖父母は会社が倒産する前に、遠くへ引っ越してしまった
兄は高校オタク生活を楽しんでいて、ほとんど顔を合わせる事もなかった
もはや私は家庭の中では透明な存在だった
だから私の学校生活の様子や見えないところに付けられたたくさんの痣や傷にも全く気付かずに、まじめに学校に通い、塾にも通っていると思っていたのだろう
塾には3か月で行くのをやめていた
月謝を彼らの食事代やおやつ代に回していたので、払う事が出来なかった
まともに授業も出れなくなり、TOPだった私の成績は急降下し
あっという間に最後尾グループに入ってしまった

同級生やそれまで仲が良かった友達も、巻き込まれるのを恐れ
次々と私から離れていった
私は完全に学校からも、家庭からも孤立していた
毎日死ぬことばかり考えていた
これが何年も続くのだろうと思うと
死んだ方がましだと考えるようになった

誰にも言えなかったし、相談する人もいなかった
守ってくれる人も、声をかけてくれる人もいなかった
誰一人いなかった
そんな中、成績が急降下した私を担任教師が問い詰めてきた
”授業もまともに出ていない、お前は何をやってるんだ”と言う
私はさすがに怒りが堪えられず
”そんなことあんたには関係ないだろ!”と
怒鳴ってしまった
教室中がシーンとした
すると、その担任教師の目つきが変わり、鬼の様な形相になり
私はクラスメイトの前で思い切り引っぱたかれた
それでも私は懲りず
”あんたが何を分かってんのよ!”と言い返す
肩を掴まれ廊下に出され、何発も顔を引っぱたかれた
そしてそれでも腹の虫が収まらないらしく、そのまま教務員室に連れ行かされ、職員室の隅で何度も叩かれた
なんで私が教師にまで殴られなきゃいけないんだろうと思いながら
私は彼のやりたいままにさせといた
涙は出なかった
ただただ腹が立った
もちろん彼を止める人は誰もいない
今思えば、学校内でのストレスや、家庭でのストレスを
ただ単に私にぶつけていただけなのだろう

数日後、その担任は私に謝ってきた
”お前の為にやったんだ”
私は下を向いたまま、心の中で笑っていた
そして軽蔑していた
彼が職員室でああやったのは、ただのパフォーマンスだ
生徒にしっかり向き合ってますとでもアピールしたかったのだろうか
私は何の返事もせずその場を去った

いつか楽に死ねる方法が見つかったら、すぐに死のう
そう毎日考えていた
本屋に行き、自殺関連の本を探した
そんなものある訳がない

けれど私には一つだけ小さな救いがあった
買いためたレコードだった
父が初めて買ってくれたクラッシックのレコード
いつもの店員さんが進めてくれたBCRのアルバム
ストーンズ、ABBA、ノーランズ
アースウィンドアンドファイアー
暫しの時間辛い今を忘れさせてくれて
違う世界に連れて行ってくれた音楽たち
安っぽい言い方だけれど、音楽は私を救ってくれた
あの時あの音楽がなかったら
私は今生きていないかもしれない

本当にそう思う

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