イタリア滞在36〜38日
毎月第一日曜日はDomenica al Museo。イタリア中の美術館や博物館が無料で入れます(すべてではない)。11月6日は僕がイタリアに来てから初めてのDomenica al Museo。この日のために美術館や博物館はお預けしていたのです。
行ったところは下記2つ。
・Museo del Novecento ミラノ近代美術館
・Museo d'Arte Antica 古代藝術博物館、楽器博物館
大英博物館やルーブル美術館はもとより、スペイン、ドイツ、フィンランド、もちろんイタリアの美術館・博物館には行ったことがあるのでミラノの美術館・博物館には正直それほど期待していなかったのですが、Museo d'Arte Antica 古代藝術博物館は本当に面白かった。イギリスもフランスも、一度は覇権をとったことがあるからこそ他国の文化を数多く飾っていて。見る側としてはもちろん面白いのですが、ヨーロッパの歴史を一度に食わされるのって正直きついんですよね。バイキングで世界各国および日本のの料理を食べるみたいな?「多いわ!」ってなる。
反面、古代藝術博物館はイタリア、歴史的な経緯を考えるとミラノ公国及び貴族が収集した物品が集められていて、いい意味で偏りがあってイタリアの歴史や文化を想像しやすく、とても面白かった。
イタリア好き、歴史好き、楽器好きにはとてもおすすめです。
語学学校のこと。
最近の悩みというか、事象というか、語学学校の授業についていけないんです。難しいとかではなくて、速すぎる。速いと言っても「イタリア語を話すスピード」ではなく、授業の展開スピード。
どういうことかと言いますと、11月から担当してくれている先生はMacをバリバリ使って授業をされる方。板書はしない。ノートはすべてWordに書く。それもリアルタイムに書くのではなく以前に使ったところからコピペする。授業中には次に説明しようとしているところをどんどん加筆する。で、口では別のことを話す。
これがどんな結果を生むかと言いますと、板書(プロジェクターでMacの画面が投影されている)を読めばいいのか、話を聞けばいいのか、常によくわからないんです。板書の内容をノートに書こうとしたら(板書を後でコピーするなり参照してもいいけれど、人は書かないと覚えない)、先生は別のことを喋ったり、次に進んだり、新しいノートを増やしたりする。
先生はコピペを多用するのでどうやったって追いつけないんです。最初のうちは「Aspetta(待ってくれ)」とか言ってたんですけれど、ここ数日は最早諦めの気持ちで。授業中も先生は画面を見ている時間が多かったりでこちらの様子をきちんと見てくれていないように感じます。生徒のテンポや理解の是非よりも、「ああ、この人は完璧なノートを作って、完璧な授業進行をしたいんだな、、、」と観察しています。
クラスメイトは前回から一緒のメンバーなんですけれど、明らかにみんなのノリ、空気が変化したように感じるんですよね。
10月に担当してくれていた先生はどちらかというとアナログで、別のテキストからコピーした用紙を授業のたびに配ったり、生徒との対話や相手がどうな様子かを常に気にかけてくれている人でした。授業はイタリア語だけで進行するのですが、できるだけわかりやすい語彙だけを使って授業も進んでいた。必然、喋りやすい空気もあった。
11月からの先生はイタリア人が普段話すような速度で話していて。それ自体は良い意味で練習になるから構わないのですが、語彙も難しい語彙をバシバシ使っていて。言ってることの半分もわからない。それで「わかる?」ってこちらに反応聞いてくるんだけど、明らかにみんな圧倒されていて誰一人返事しない。スピード早くて、語彙難しかったらそりゃそうなるよね。。。
返ってくるのは「Si」「OK」みたいな片言の返事だけ(僕がやる)。授業って先生で変わるものだというのはわかっているけれど、なんだかなぁという気持ちになっています。
長々と書きましたがなんでこういう気持ちになっているかと言うと、昔は僕がバリバリのデジタル派だったからです。大学生の頃もノートはMacでとるとかあるあるだったし、もし仮に自分が教師になるとしたらまさにこの人のような授業進行をしていただろうな、とも思っていた。
だからこそ、そんなふうに進行されると生徒はこんな気持ちになるのだな、と残念な気持ちになってる。
散髪。
海外生活あるある?散髪話です。イタリア人に切ってもらいました。
カットはイタリア語で「Taglio」。髪は「Cappelli」で髪をカットするのは「Taglio i cappelli」。カットをお願いしたのは近所の床屋のおじいちゃん。事前にGoogle Mapでレビューを読んで、廉価で信頼できるお店を選出。
夕方に行ってみたらお父さんとお子さんが先客。人が並んでいる=信頼できるお店だなと一安心。ちょうどいいので2人がどんなふうに切られるのか凝視してマイヘアーの安全・安心を確認。イタリア語のやりとりはわからないけれど悪い人じゃなさそう。
いざ僕の番になって「Solo taglio(cut only)」って言ったんですけど髪が長かったので事前と事後に洗いが強制的に入りました(よく言われることですがイタリアの洗いは日本のそれとは丁寧さが異なる)。
「どんなふうに切る?」とイタリア語で聞かれ「Abbastanza corti」とYouTubeで覚えたまんまで答える」。Abbastanzaってenoughって意味なんだけど、Abbastanza cortiだとquite shortになるらしい。失敗したわ。shortがよかった。
おじちゃん、僕の左側の髪をバリカンでバッサリ切ってから「cosi? (is it well?)」って聞いてくるんだけど、ノーって言ったらどうなるんだよ笑 もう切ってるじゃん遅くない?って思いながら「Si」と答えました。
Grazie per leggere. Ci vediamo. 読んでくれてありがとう。また会おう!