セクシュアリティ,etc.
ひとは毎日セクシュアリティの話題に触れる。
「ボクーこっちだよ!」「あら女の子?ごめんなさい」
幼稚園のお遊戯会。「オオカミ役?男の子じゃないから〇〇ちゃんはできないんだよ」
「初恋は?」小学生時代に仲の良かった男友達。遊んでいるうちに好きになったんだと思う。
......なんてね、何が本気だったのかわからない。本当は幼稚園のとき、目で追ってしまっていたあの女の子が、初めての恋というやつだったんじゃないか。自分は自分を騙すことに慣れ過ぎてしまった。
「彼氏いる?」いない、と言ってセクハラにあうのは嫌なので時々いるフリをする。
「なんで彼氏いないの?」男子に性欲をぶつけられるのが気持ち悪い。
今でもそうなのかもしれない。シスジェンダー男性を前にすると、自分が“女の子にさせられる”んじゃないかというトラウマ。そしてコンプレックス。その声を、肩幅を、浮き出た血管を、無造作に生えた体毛を、勃起できるペニスを、自らの身体に欲していたんじゃないか。
仲間意識からか、女子たちに胸タッチされることもあった。相手が引くほどに拒絶反応を起こした。自分は自分の体が嫌だった。
「かわいいね」と言われたら、謙遜しながら喜ばなければならないと思っていた。世間からみたら、何不自由ない可愛い女の子であり、優等生なんだ。鏡をしょちゅう見た。ホンモノになれるくらい誰かを演じて過ごしていた。ホームルームが終わって皆が去った教室で、ポツンと残った自分は涙を流していたことがある。理由を言語化できなかった。反発なんて表出させてしまってはならないと、押し殺した。
妹より生理が遅かった。「まだきてないの?羨ましい」「遅すぎない?大丈夫?」部員や親戚が気にかけていた。一生こないならこないでよかった。それなのに、紅く染まった。他人にとやかく言われずに済むと思ったら、初潮は便利な現象だった。
成人式は絶対行かない、と告げた。海外旅行の予定をぶつけてしまおうかと思った。親不孝者、と呼ばれた。
透明人間になって、高校時代好きだった人たちの晴れ姿を見るだけならいいのに。あの頃、自分はバイセクシュアルだと自覚できなかった。好きになった男子の話だけすれば、自分は“普通”の女の子なんだと。でも女子も好きだったらしい。しかも同時期複数。ポリアモリーだったんだ。
かわいいーと迎えられた大学一年生。サークルの取材で初めて新宿二丁目に行った。ソフトドリンクを飲んでいた。それ以来通い出した。
「彼女は?」レズビアンバーもTipsyも行った。その頃自分はバイセクシュアルだと思っていたから、女性だけに限定するレズビアンイベントはなんか違うな、と感じていた。今好きなのは女子だけど、でも気になっている男の先輩もいて、なんて話したら締め出されてしまうんじゃないかって。
Xジェンダーだよ、とセクマイサークルの人は自称した。最初その人を単に女性だと判断していた。男でも女でもない、と言われたって、異星人じゃないんだから。全然ピンとこない。
.......でも。女性じゃなくていい、自分も?女性性を拒んでいいのか?Xを咀嚼できてきて、自認するようになった。
二丁目でFtMの店員さんに悩み相談を聞いてもらった。言われなきゃ何も気づかない、カッコいい男性たちに見えた。
自分の境遇は苦しかった。女なのに女が好きって、ああしんどいな、ってか自分は女じゃないみたいだし、と思っていた。でも目の前にいるこの人たちは恋愛はもちろん治療の荒波も超えてきたのだから、自分がグジグジしてるなんてダメじゃないか。
「好きな人との出会いは?」
セクマイサークルで、といえばアウティングになってしまう。
FtXの人が相手のときは、「彼女」という二人称も使うのを避けた。
日常会話のできないツマラナイ奴、になったって構わない。守るべきものを守る方が先だ。
「好きです」と、好きな人に言われた。タイミングの合う両想いは生まれて初めてだった。でも、別れなければならなかった。飛行機でドイツへ飛んだ。1年間の留学の間じゅう、相手を待っていた。1週間に一通以上手紙を書いた。「日本へ」と毎回毎回言っていたら、郵便局のドイツ人にまたオマエかよ、という表情をされた。こんな戦時中の兵士みたいな律儀さを、自分が発揮するなんて思っていなかったさ。
でも再会した相手は変わってしまっていた。瞳の色がちがう、と言って相手を退けた。運命が怖かった。こんなに待ち続けていたのに。隣にいるのに幸せじゃないのはなんでだろう。
「そんなに女が嫌なら、男になればいいのに」と捨て台詞をもらった。心底憎かった。アリーアントワネットみたいなこと言うなよ、自分はそんな単純な二元論のなかじゃ生きられないんだ。性自認が男性だとは割り切れない。こんな自分が、一生元には戻れない治療を始めてしまっていいんだろうか。トランスジェンダー男性?自分は男性になるの?
好きだった人が帰国した翌日、空っぽの部屋のなかで泣きながら友人に電話をかけた。
「男になる.......」呟いていた。
ネットで情報を集めまくった。知っていく世界はあんまりにもグロテスクで、常時鬱だった。LGBTだとまとめられたって、自分は絶対Tになりたくなかった。なんだよトランスジェンダーって。ゴールのない迷宮じゃないか。自分をそこへ放り込んだ。逃れることはできない。怖い怖い怖い。
ジムに通いだした。サイクリングもプールも毎日のように。長い冬が終わったドイツは素敵だったんだ。解放していくべき季節だった。ジムでは“ホンモノの”男性を前にして、なよなよで童顔でガキンチョで振られたみっともない自分を受け入れなければならなくて、しんどかった。ダンベルを上げながら泣いた。走りながら泣いた。涙を隠すくらいの汗が流れるように頑張った。 どれほどの血と涙と汗を流したのだろう。ちっとも比喩ではない、事実として。
カタチから入ろう、と思った。メンズファッションを研究した。レディースじゃない方へ一人で行くのも緊張した。下着なんて見ていて大丈夫だろうか。もういいや、と振り切れたのはそこがドイツだったからだろう。どうせ日本人だし、チビだし、ドイツ語喋れないし、マジョリティじゃない奴のひとりなんて誰も気にしていない。好きにすればよかったんだ。
日本へ帰国した。
なんか顔つき変わった?、以前はもっと“脆い”感じだったなあ、と指摘された。そりゃあ、そうなんだろうな。ひとつ大きな覚悟を決めたのだから。
女性と認識されてバイトを始めた。でも長く居座るつもりは最初からなかったから、自分のことなんていつ忘れられてもいいように、不定期のバイトしか関わらないようにした。
半年かかって性同一性障害の診断がおりた。その前夜、好きな人たちに「1分でいいから」と言って電話をかけた。出会った頃のままでいられる最後の声だった。
ホルモン治療を開始した。変化が現れたのは3本目以降。特に性欲と食欲がおかしかった。覚せい剤を打ったナメクジのようで。のたうち回る、という動作が実在するんだ。あとはただ息をするだけで苦しくて、一日の集中力が15分もたなかった。刹那的な絵を一枚描いて、それで一日が暮れた。周囲の友人は就活するか、もうすでに働いていた。
カミングアウトしていない相手には風邪引いてるの?酒飲んだ?とか聞かれた。ボイスレコーダーを聞けば声変わりの変化はわかる。でも自分は世界に独りぼっちなのだと感じた。
「障害なんだ、思春期が10年遅れるっていう。」言葉にすればそんなものだ。でも、誰にも共有できないことがこんなにもしんどいとは。Twitterでセクマイの方々と繋がれたことは本当に感謝している。
美容室には女性誌が並んでいる。“ボーイッシュ”な髪型がいいんです、と言ったときメンズ雑誌も見せてくれた美容師さんは優しい。
風俗で働いているトランスジェンダーの知り合いの話を聞いてから、鬱状態に陥った。大切な人、かつてドイツで性別移行の決心をつけさせてくれたその人が、精神科に行こう、といって一緒に病院までついて来てくれた。
8本目を打ってから、突如声が低くなった。それに伴って男性パスするようになった。美容院にいったらメンズ雑誌を置かれた。童顔だよねーといういつもの言葉に続いて、「でもヒゲ生えてきたら大人っぽく見えるんじゃない?」と初めての展開になった。
本気で退学を検討していたが、どうにか卒論が完成した。すべては旅である、というテーマ。自分の性もそうだった。ある意味自伝みたいな卒論ができた。
変えられるところから名前を変えた。「男子学生として通いたい」という文章を学生課に提出した。でも実際はもう大学での講義はすべて終わって、名簿で確認されることはないタイミング。誰にも呼ばれることはないけれど、ただただ自己満足と、改名する際の実績作りとして有効かと思ったから。卒業証書は自分なんかよりも親戚が楽しみにしているようなので、「前の名前のままでいいです」とリクエストしておいた。
『男性用トイレに個室を増やそう』と署名活動を始めた。必要だと思ったから。.......“普通の男になりたかった。”その週、最も呟いた言葉はそれだった。
http://chng.it/YsRdSmLnrf
ぶちん、となにかが切れてしまった。普通の男でたまるかよ。
友人も大切な人も仕事も離れていく。一年前、ドイツ留学から成田空港に降り立ったときと同じ状態に戻った。自分にはもう、何も失うものがない、無双状態。生きてるんだか死んでいるんだかわからない。でも性を感じるということは、生に直面しているということなんだろう。
長いんだか短いんだかわからない自分史。
読んでいただき、ありがとうございました。