トランスジェンダーはじめました。
たった一行。
一行のレポートを大学に提出したことがある。
単位は、きた。
そんなの読まれてなかったんじゃねーの、って自分も思った。でもそのとき(も今も、)他者の慰めはどうでもよかったんだ。
テーマは心の哲学について。「心と体の関係性について、論拠を交えて述べなさい。」
そう教授が提示したとき、一瞬で書く内容は決まった。
図書館の本を棚ごとセレクトして、一気に何十冊も読んだ。
「心と体は別である。私は、トランスジェンダーだ。」
それだけである。参考文献に41冊並べて、教授に宛てた手紙もつけておいたので、実際は3000字を越えたといえる。内容がシンプルに一行だったわけだが、誰よりも本気の一行だった。それが大学一年の冬。レポートの書き方もヘタクソだったし、セクシュアリティの知識もなかった。
当時はレズビアンかバイ、そしてXジェンダーっぽい、とほんわか浮かんでいただけ。だから、レポートに書いた「私は、トランスジェンダーだ。」は正確には嘘だ。もちろんXもトランスジェンダーの範疇だといえば正しい事実になるわけだが、トランスジェンダーだという自覚を持っていたわけじゃない。ただレポートの論拠としてズバリと使える一文だったから拝借したのだ。
噓から出たまこと。身から出た錆。
3年後、本当に自分は「トランスジェンダーになった。」
自分はそうなりたくなかった。避けてきた。見たくもなかった。LGBTの、“T”の苦しみや不幸について。
初めて「自分はトランスジェンダーなんだ」と口にしたのは、ドイツ留学中のお気に入りのシーシャ屋だった。ふわふわのソファの隣には、憎むべき相手がいた。吐く息を雲にして、涙なんて見せたくなかった。
好きな人、というべきか、大切だったはずの人がドイツまで会いにきてくれたから、幸福を体感したかったのに、そうはならなかった。悲劇みたいな喜劇だ。振られて、
「そんなに女が嫌なら男になればいいのに」と吐き捨てられたとき、全神経が音もなく切れた。
そうして自覚させられた。「自分はトランスジェンダーなんだ」
言葉にした途端、重みが違った。もう二度と、一行のレポートにはできないんじゃないか。何リットルの涙を流したんだかわからない。
その後相手は謝った。苦しんでいるのを知っていたのに、酷いことを言ったと。
別に、酷いことではなかったんだろう。単なる事実だから。ただあまりにも残酷だったし、自分は脆すぎた。それだけのことである。
そのまま相手と同じ部屋で眠る勇気はないので、学生寮の自分のベッドに相手ひとりを寝かせ、自分はほかの日本人留学生の部屋に世話になった。壊れたラジオと化した。騒音が隣の棟の相手の寝床まで届いていたっておかしくない音量で。
瞳の色が変わったあの子に会いたくなかった。嘘だ。嘘だろ。
翌日は一人でシーシャを吸いに行った。普段ならスッキリ忘れさせてくれるのがシーシャなのに、もうその場所は鮮度がえぐい事故現場になってしまっていた。それでも部屋に戻ってまた顔をあわせるよりマシだった。
ドイツ人の店員がほろ苦くて甘いオレンジ風味のショットをサービスしてくれた。ドイツ語でも英語でも一言も話していないのに、このときだけサービスしてくれたのは、異変を察してくれたからかもしれない。
1週間後、相手は日本へ帰った。
その翌日、友人に電話をかけた。「男に、なる」
その翌々日、メンズの服を買った。
その1週間後からずっと、ジム通いだ。
覚悟は言葉にするともう引き戻せない。この体も心も魂も、元には戻らない。
つまらない恋愛映画で、コップを投げ割るシーンがあった。割れたコップはもう元には戻らないんだから、と失恋直後の主人公は、カタチだけ向き合って座っている相手に叫ぶ。そのシーンだけ、真理だと思う。
治療はとても怖かった。もう戻せないから。後悔しちゃいけない自分になるのだ。それは欲求なんて軽いものではなくて、使命だ。
それから、自分はトランスジェンダーになった。
日本語がおかしい、と思う人もいるだろう。
「である」と「になる」は別ものだ。どちらかの視点から、もうどちらかを語ることは難しい。
だから今回は、「トランスジェンダーになり、男になりゆく」立場からちょっと書いてみた。
他者の慰めは、そんなものなんて、どうでもいい、と言いたいね。