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果たして自分は何者になりたいのか
はじめに
留学から数ヶ月が経ち、異文化に揉まれながら様々な影響を受けた。
これをいい機会に、自分に課した課題であった
「自分は何者になりたいのか」
という問題について、現段階において自分なりに整理ができたので、これまでの人生も踏まえてまとめていきたいと思う。
これまでの人生 高校生‐大学生前半
自分はこれまで、中高と亭主関白の父のもとで行動を縛られながら生きてきた。
しかし、高校2年辺りに父から見放されたポイントがあった。
そこで、初めて自分の意思で生きていることを実感した。
大学2年に入り、初めて自分の人生について悩み出す。
これまですべき事ベース+悲観的に考えていたため、2、3年はこの考えを払拭する作業だった。
キッカケは就活だった。
あの時期は、勉強もろくにせずただ遊んでいたせいか、やれば何でもできるんじゃないかという変な自信があった。
そんな勘違いもあって、夏のインターンは大企業しか受けす、もちろん全敗。
現実を知った。今までロクな経験をしてこなかった自分にも絶望した。
6月を丸々使ってインターンに臨んだにも関わらず、0に終わったショックが大きかったせいか、これまでの空虚な自分の人生を振り返って、
いったい自分って何が幸せなんだろう。
という問題にぶち当たった。
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今思えば、この期間は本当に苦しかった。
これまで、感動映画とかドラマを見ても泣く事なんて一切なかったのに、いつの間にか涙もろい人間になっていた。
いや、人間らしくなったという事か。
数か月間只々悶々と悩み続ける日々が続き、いつの間にか生きる気力も失っていた。
「なんで生きる価値もないのに毎日飯を食って生き延びているんだろう。」
と本気で思っていた。
友人の死
そんな最悪な心境の中で、大学3年12月に友人が他界した。
コロナ渦に病気になったこともあり、数年ぶりの再会は葬式だった。
死の存在を実感した。
あの世ってマジであるのか。
目の前で同年代の死体を見て、ひとりでに涙が込み上げた。
同年代で死んだやつがいるのか。1年以上経った未だに整理が追い付いてない。
これが運命だというのなら、この世の中は不公平なのかもしれない。
でも、今、自分は生きている。
なら、あいつの分まで。
全力でこの世を生き抜く。
そう決意した出来事だった。
ようやく叶えた1つ目の夢
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この出来事もあり、今年の3月に自分の夢でもあったアメリカ(実質)横断旅を実行した。
あの日々は本当に夢のようだった。
それも、常にハッピーというわけではなく、緩やかな起伏があって、1つの小さな人生を歩んでるような旅であった。
特にカリフォルニアは、自分の偏見通りのtheアメリカという感じだったし、本土から日本に最も近い州である為か、時間の流れも日本と似ていて、なんだか落ち着く場所だった。
旅を終えて、帰りの飛行機に乗ると、
「次はどこへ行こう」
とすでに次の旅程を考えている事に驚いた。
夢には終わりがない事を実感した。
それと共に、自分のことを助けてくれた寛容な方々が、口を揃えて「自分は〜だ、〜を勉強してきた」と主張する事に驚いた。
彼らは、しっかりと自分のアイデンティティを持っている。
それに対して、何者でもない自分。
行動を通して周りの目が変わる
この旅の後から、ネットを通じて数人のおじさんに、「お前面白いな」と言って近寄ってきてくれた。
人生で初めて、自分がやりたい事をやって評価された。
それも、心から尊敬できるようなかっこいい人に。
かつてない喜びを覚えた。
やりたい事ベースで生きていても、自分は誰かに評価してくれるのかもしれない
と自信がついた。
再び、自分磨きの旅へ。
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また自分が魅力的に感じる人は、面白いネタが沢山ある人だと分かった。
それもあって大学4年秋チェコに留学。
自分がアジア人であると共に、日本は物凄く幸せな国であると実感する。
自分の社会における存在意義は何か、自問自答。
恐らく自分はガチガチな組織は向かないし、生き残れるほどの地頭もないと感じた。
自分はバカだ。
周りには自分よりも遥かに頭の良い人が沢山いる。
だけど、ただ「日本人である」というだけで、その人達よりも豊かな暮らしができる。
日本人には何者にでもなれる選択肢がある。
ならば、この恩恵はフル活用しなければ宝の持ち腐れだと思った。
また、この大学には年齢という壁がなかった。
日本の普通の大学に通っていた自分にとっては、これにもかなり衝撃を受けた。
もう少し楽観的に生きても良いのかと考えるきっかけになった。
結局、自分は何者なのか。
そして、今までの事を整理した。
魅力的に映る人達はどんな人か。
自分はどういう時に幸せを感じるのか。
そして悟った。
自分は表現者だ。
今はまだ抽象的だけど、取り敢えずやりたい事ベースで。
評価してもらえるまでとことん突き詰めよう。
ダメだったら潔く就職すればいい。
どこかには、自分の生き様を好んでくれる人がいるはずだ。
最悪、日本に居れば死にはしないだろう。
そう思えるようになってから、少し、自分の中でのモヤモヤが消えた気がした。
この考えが確信に変わるまでは、もう少し時間はかかるが、なんとなく、今までと違う。
それが本当の答えなんじゃないか。と思う。
人生楽しも!