寝間着と部屋着と外着があやふや
寝間着と部屋着と外着には明確な線引、明らかな区別があって、寝間着をなし崩し的に部屋着にしないし、部屋着を外着とみなして外出もしない。起きたらすぐ部屋着に着替え、コンビニへ行くだけでも部屋着から外着に着替えて出かける。昔はそんな律儀な男だったはずなのに、今日は寝間着でスーパーへ行き、本屋へ行き、合気道の稽古へ行き、部屋でいまこうしてnoteを書いている。恐らくこのままの格好で寝る気がしている。寝間着と部屋着と外着の壁はとっくに崩壊しているのであった。上が寝間着で下は外着という組み合わせだってあるんだ。もう何も着るな。そんな頓珍漢なコーディネートに何の違和感も抱かないのなら着るなと。
なぜこういうことが起こっているのかというと、寝間着も部屋着も外着もどれもみんなほぼ見た目が同じということに気付いてしまったのだ。ストレッチ素材のパンツにトレーナー。全部これだった。全部ストレッチだし、全部トレーナーだ。ストライプのパジャマとかならさすがに寝間着然としているからそのまま外に出ることはないけれど、ほぼどれも同じ、しかも色だって黒か鼠色か紺色しかない。どれも同じようなおじさんの色だ。そしてなにより私が何を着ていようと気にする人間などいないのであった(寂しい感じで終わる)。
人間といえばラジオで、人間が作っていないものを絵に描いてみようというプロジェクトの話題を耳にした。人間が作っていないものだし、人間が介在していないものということだった。だから樹木でも人間が植えたのであればそれは人間が作ったものとみなすらしく、そうやって突き詰めて考えたら人間が作っていないものなんて実はそこまで多くないんじゃないかとすら思った。石とかどうですかってなる。そもそも人間って何ですか?みたいなところにまで深堀りしてしまう話じゃないのかこれは。言葉をしゃべれば人間なのかと。でも犬がしゃべってもそれはしゃべる犬であって人間ではないよな、とか。辞書によれば、人間とは“(われわれがそれであるところの)人。”と書かれていた。われわれがそれであるところの人。それであるところ。