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JOG(1114) 独立自尊か属国か ~ 西郷隆盛に学ぶ「正道」外交

「日本は中国の属国として生きていけばいいのです」「それが日本が幸福かつ安全に生きる道です」と言う人がいるが、、、


■1.「米中貿易戦争」ではなく「米中冷戦」

 しばらく続いていた米中貿易協議がなかば決裂して、また関税合戦が始まった。その影響を受けて、多くの日本企業の収益も下押しされている。日本企業が中国の現地工場で作った製品も米国に輸出されれば関税をかけられるので、日本企業も損害を受ける。

 この影響を避けるために、工場をアセアン諸国などに移すのが常道だ。国内生産に回帰する道もある。多くの企業は以前から中国の人件費高騰を避けるために、この施策をとり始めているので、その動きが加速していくだろう。欧米企業も同様に動くはずだから「世界の工場」として急拡大してきた中国経済への脅威は深刻だ。

 ほとんど日本のマスメディアは、これを「米中貿易戦争」と呼び、トランプ大統領の「アメリカ・ファースト」が原因であるかのように報道している。しかし、弊誌でも論じたように[a]、アメリカの一連の対中攻勢は昨年10月4日のマイク・ペンス副大統領がワシントンで行った演説に端を発している。その演説の中で、ペンス副大統領はこう述べた。

 宗教の自由について言えば新たな迫害の波が中国のキリスト教や仏教徒、イスラム教徒を押しつぶしている。今年9月、中国政府は中国最大の地下教会の一つを閉鎖した。当局は十字架を壊したり、聖書を焼却したり、信者を投獄したりしている。[1]

 アメリカは信教の自由を求めて新大陸にやってきた清教徒たちが建国し、世界の圧政から逃れた人々を受け入れる「自由の国」、というのが「建国の大義」である。ペンス副大統領が「キリスト教への迫害」を公に批判した以上、民主党であろうが東部のリベラルであろうが、表立って異を唱えることはできない。

 この大義の陰には、貿易赤字や知的財産権侵害などの実利面、および安全保障面の計算が当然、なされているが、それらを含めて米国は超党派で「対中冷戦」を決意したとみるべきだ。

■2.人種差別と闘ってきたかつての日本と比べれば

 しかし、日本国内の主な論調は、中国内の宗教弾圧どころか、チベットやウイグルでの過酷な人権侵害にも眼を背けて、もっぱら日本経済への影響しか論じていない。

 今年は、1919年に日本政府が国際連盟の規約に「人種差別撤廃」条項を入れようと提案してから、ちょうど100年目である。当時は非白人の有力国は日本だけで、アジア、アフリカのほとんどの地域は欧米諸国の植民地になっていた。日本提案は16カ国中11カ国の支持を得たが、議長のウィルソン米大統領が「全会一致でない」との理由で却下した。[b]

 アジアの多くの植民地は、大東亜戦争での日本軍進攻による欧米勢力駆逐を契機に、戦後、次々と独立していった。その逆に周辺地域の植民地化を進めたのが中国だった。習近平政権でチベット、ウイグルなどでの圧政は、いよいよ過酷なものとなり、ペンス演説はこれを糾弾したのである。

 現代日本が「義」を忘れ、「利」のみ追求する「商人国家」となってしまったのに比べれば、19世紀の開国以降の我が国が、自らの独立維持に苦闘し、それが果たされた後には世界の人種差別と闘ってきた姿勢は鮮やかな対照をなしている。

 その毅然たる国家姿勢を呼びかけた人物の一人が西郷隆盛であろう。幕末の日本で、欧米列強の進出により我が国の独立も風前の灯かと思われた時、西郷さんは政治のあるべき姿を堂々と語った。その精神が明治維新と明治日本の行く道を指し示した。西郷さんの言葉を鏡として、現代日本の政治と外交の実像を映し出してみたい。

■3.「西洋は野蛮ぢや」

 当時、「文明国」と言えば、誰もが欧米諸国を思い浮かべたが、西郷さんは違う。

予(よ)嘗(かつ)て或(ある)人と議論せしこと有り、西洋は野蛮ぢやと云ひしかば、否(い)な文明ぞと争ふ。否な野蛮ぢやと畳みかけしに、何とて夫(そ)れ程に申すにやと推(お)せしゆゑ、実に文明ならば、未開の国に対しなば、慈愛を本とし、懇々(こんこん)説諭(せつゆ)して開明に導く可きに、
左(さ)は無くして未開蒙昧(もうまい)の国に対する程むごく残忍の事を致し己れを利するは野蛮ぢやと申せしかば、其人口を荅(つぼ)めて言無かりきとて笑はれける。
(自分はかつてある人と議論したことがある。自分が西洋は野蛮だと言ったところ、その人はいや西洋は文明だと言い争う。いや、野蛮だとたたみかけて言ったところ、なぜそれほどまでに野蛮だと申すのかと強く言うので、もし西洋が真に文明国であったら、未開の国に対しては慈しみ愛する心をもととして懇々と説きさとし、文明開化ヘと導くべきであるのに、
そうではなく、未開で知識に乏しく道理に暗い国に対するほどむごく残忍なことをして、自分たちの利益をはかるのは野蛮であると申したところ、その人は口をつぐんで言葉がなかったよと言って笑われた。[2, p68]([3, p238]から転載)

 西郷さんは、自分の考える「文明」について、上の引用部分の直前にこう述べている。

 文明とは道の普(あまねく)く行はるゝを賛称(さんしょう)せる言にして、宮室の荘厳、衣服の美麗、外観の浮華を言ふには非ず。世人(せじん)の唱ふる所、何が文明やら、何が野蛮やら些(ち)とも分らぬぞ。
(文明というのは道理にかなったことが広く行われることを讃える言葉であって、宮殿が大きく厳(おごそ)かであったり、身にまとう衣服がきらびやかで美しいといった見かけの浮ついた華やかさを言うのではない。世の中の人の言うところを聞いていると、何が文明で、何が野蛮なのか少しも分からない。)[2, p68]

「文明開化」を旗印として西洋「文明」をひたすら学んでいた幕末から明治初期の日本人に対する痛烈な警告である。なるほど、我が国の独立を守るには、西洋文明を取り入れて「富国強兵」を図る事が必要である。しかし、そこでの西洋「文明」とは近代兵器や産業機械などの「手段」であって、それを用いて、どういう国を作るのか、という「目的」を間違っては何にもならない。

 西郷さんは、この点に警鐘を鳴らしているのである。

■4.「征韓論」ではなく「遣韓論」

「未開の国に対しなば、慈愛を本とし」という意見は、西郷さんの「征韓論」と矛盾しているのではないか、と思う読者もいるだろう。しかし、征韓論で西郷さんが朝鮮を侵略しようとしたと見るのは、歴史教育の偏向である。

 幕末の朝鮮は、我が国に対して現在の韓国並みの無礼を働いていた。欧米の進攻に対して共に戦うべく日本は国交を求めたが、その国書に天皇の「皇」の字を使っているだけで、これは中国皇帝以外には使ってはいけない文字だと、国書の受け取り自体を拒否した。

 さらに朝鮮は草梁倭館(そうりょうわかん、日本側の国交・通商のための公館・商館)への食糧供給を拒絶し、その門前に日本を無法の国と侮辱した書札を掲示した。度重なる無礼に怒った日本国内から「征韓論」が沸き起こったのだが、西郷さんの「遣韓論」は、自分が特使として朝鮮に行って話し合おうという提案だった。

『入門・西郷隆盛』[1]では、この点に関する小柳陽太郎・元国民文化研究会副理事長の論考を掲載している。そこでは西郷さんの遺した「遣韓使節決定始末」という一文を紹介しつつ、こう述べる。

 まづ最初の「朝鮮御交際の儀」といふ書き出しに、西郷さんのおもひはこもってゐる。長い歴史を通して深いつながりを以て生きてきた日本と朝鮮、現在はその間にいかに感情の齟齬(そご)があらうとも、絶対に争ふべからざる隣国朝鮮、「御交際」といふ、敬意あふれる言葉の中に、西郷さんはその温かなおもひを託してゐる。
明治以来、朝鮮が犯した数々の無礼、それに対する日本国民の怒りははげしい。釜山に設けられた草梁倭館に対する侮辱、居留民の無念、それを思へば西郷さんの心もはげしく波うったに違ひない。
しかしいかに相手が許すべからざる冒涜を重ねようとも、板垣退助らがいふやうに、韓国に派遣する使節に軍隊の護衛をつけるといふやうなことは許されない。さういふ荒だった行為は断じてとるべきではない。こちらはたゞ「公然と使節差し立てらるるが相当の事に之あるべく」、胸を開いて交渉に臨むのが唯一の解決の道なのだ。[2, p51]

 しかし、この西郷さんの思いは「あくまで平和友好第一に」という戦後日本の外交とは、根本の所で異なる。

未だ人事を尽さないうちに「非常の備へ」にばかり気をとられて、結局戦ひにもちこむやうなことになれば「討つ人も怒らず、討たるゝものも服せず候に付、是非曲直判然と相定め候儀、肝要の事と見居(みす)ゑ建言致し候」、大切なことは相手の罪がどこにあるのかを確かめること、そのことに人事を尽さなければ「討つ人も怒らず、・・・」といふことになるのだ。
 もし戦ふといふことになれば全身に漲(みなぎ)る怒りが不可欠であらう。たゞ相手の無礼を怒って、一時的な奮激に身を任せ、相手に一撃を加へるといふやうな態度は真個の武士のとるべき態度ではない。[2, p53]

 怒りは一時の「私憤」ではなく、相手の「正道」を踏み外した行為に対する「公憤」でなければならない。万一戦いになったら、その公憤によってこちらは本腰が入り、また相手も敗れた後は真摯に反省しうるだろう。

■5.「正道を踏み、義を盡(つく)すは政府の本務也」

 相手が大国であろうが小国であろうが、あくまで「正道」を踏まえて付き合っていくべし、というのが西郷さんの考える「文明」的な「外国交際」だった。『南洲翁遺訓』には次のような一節がある。

 正道を踏み国を以て斃るゝの精神なくば、外国交際は全かる可からず。彼の強大に畏縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に順従する時は、軽侮を招き、好親(友好関係)却(かえっ)て破れ、終(つい)に彼の制を受くるに至らん。[2, p46]

 大国を相手に、その強大さに萎縮し、「友好」のみを唱えて媚びへつらうような外交では、かえって馬鹿にされ、そのために「友好」も破れ、ついにはその大国から支配されるようになる、というのである。

 近年の対中外交はこの正反対をやってきた。その一例が、かつての民主党・菅政権で中国大使に任命された伊藤忠・元会長の丹羽宇一郎氏だろう。氏は「将来は大中華圏の時代が到来します」「日本は中国の属国として生きていけばいいのです」「それが日本が幸福かつ安全に生きる道です」と発言したと伝えられている。[4]

 一流商社の会長までやった人が、こういう事を言うとは、にわかに信じがたいが、それが事実かどうかは別にして、日本の安全と利益だけを図ろうとすれば、この「属国路線」にも一理あるかも知れない。属国となっても、チベットやウイグルのように中共政府に楯突かなければ平穏に暮らせるだろう。しかし、西郷さんは、これを「正道」を踏み外した外交だと指摘するのである。

■6.「正道を踏み、義を盡(つく)すは政府の本務」

 西郷さんはこうも言う。

国の陵辱(りょうじょく、はずかしめ)せらるゝに当りては、縦令(たとい)国を以て斃(たお)るゝ共、正道を踏み、義を盡(つく)すは政府の本務也。・・・戦の一字を恐れ、政府の本務を墜(おと)しなば、商法支配所と申すものにて政府に非ざる也。[2, p]

「正道を踏み、義を盡(つく)すは政府の本務」であるという。そして戦いを恐れて、その本務を忘れたら、それはもう政府ではない、「商法支配所」すなわち商人国家の勘定所に過ぎない。

 チベットやウイグルの蛮行を見て見ぬ振りをし、アメリカが対中冷戦に立ち上がっても、その日本経済への影響に一喜一憂するだけであれば、そんな「正道」も「義」も忘れた政府は、西郷さんから観れば「商法支配所」そのものだろう。「属国」にはそれで十分だ。

■7.独立自尊か、属国か

 こうした「属国路線」を我が先人たちはきっぱりと拒否し、中華帝国からの独立のために様々な苦心をしてきた。聖徳太子の独立外交、独自の元号制定、白村江での戦いとその敗戦後の国防努力、元寇での戦い、等々。

「属国路線」を否定する独立自尊の精神は、近代においても西洋諸国進攻からの独立維持、日清日露戦争、先に挙げた「人種平等条項」提案、そして大東亜戦争、敗戦後の数千の将兵のインドネシアやベトナムでの独立戦争支援と継承されていった。

 我が先人たちの足跡を辿れば、西郷さんの言う「正道」は明白だ。それは、それぞれの国が大小・貧富を問わず独立自尊を貫き、互いを尊重して睦み合っていく、という国際社会だろう。その「正道」を弁えない乱暴者がいたら、よく説き聞かせ、それでも聞かない場合には、武をもってその狼藉を制止する。

 西郷さんの説く「正道」の世界は、現代の国際社会が理想と掲げる自由民主主義世界の在り方に通ずる。アメリカも陰ではいろいろ自国の利を図ろうとする魂胆もあるだろうが、その大義である自由民主主義は国際社会の理想に近い。そしてこの理想を踏みにじって覇権を広げようとしているのが、現代中国の「帝国路線」であり、また追従者たちの「属国路線」なのだ。

 この状況のもと、我が国は独立自尊を目指すのか、属国を目指すのか、この問いを西郷さんは我々に突きつけているのである。
(文責 伊勢雅臣)


■リンク■

a. JOG(1104 米中冷戦の幕開け
 ソ連を打倒した冷戦に続き、中国に対する第2次冷戦の宣戦布告がなされた。
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b. 伊勢雅臣『世界が称賛する 日本人の知らない日本』、育鵬社、H28
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■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
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  1. 「ペンス副大統領が中国を痛烈批判」『正論』H3012

  2. 国民文化研究会編「入門・西郷隆盛: 国民文化入門選書 第二巻」R01
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  3. 國武忠彦『語り継ごう 日本の思想』 単行本 ? 2015/10
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  4. 中西輝政「日本人の『中国観』を問い直せ」、『明日への選択』H24.11

■おたより

■アメリカと日本の関係はどう考えていますか?(koryanさん)

属国を潔しとしないお説は私もそう思います。
伊勢様はアメリカと日本の関係をどう見ていらっしゃるのでしょうか?
日米地位協定始め、政治家の言動を見ているとどうもアメリカには楯突いてはいけないという不文律がある、独立国のように見えるが実は日本はアメリカの属国であるように感じるのですが、いかがお考えでしょうか?

■伊勢雅臣より

 現在の日本は一応の独立国ですが、国の防衛を相当部分、アメリカに任せている点は「属国」的であると思います。

 もちろん、集団的安全保障は良いのですが、それが平等で互恵的である必要があります。

 属国か、独立国かは、0か1かではなく、その間のグレーゾーンがありますね。国民の意識も含めて、少しでも独立国に近づけていく必要があると思います。

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