ビンテージもののウッドベースを貰ってきた話。
ーそれは、楽器と言うにはあまりにも大きすぎた。
いや、マジででけえのよ。ドラゴン殺しかよ。
ただごめん、重さはそれほどでもない。片手で持てる程度なのでせいぜい10kgくらいだろう。十分重いか。そうですか。まあ、見た目の割にはってことで。
吹奏楽部に所属するなど、日常的にこの楽器を目にする機会がある人からすればどうってことないのかもしれないが、見慣れているわけでもなく、しかも普通の家の中にこれほど存在感のある楽器がズドンと置かれていたら大体の人はその異様さに目を疑うはずだ。
ご存知の人も多いかと思うが、このバイオリンの化け物のような楽器はウッドベース。クラシックの世界だとコントラバスとかバスとか呼ばれている。弦楽器はバイオリンから数えてビオラ、チェロ、バスと音域が下がっていき、図体もでかくなるが、こいつはその一番低音を担当する楽器だ。ポピュラー音楽やロックなどで使用する際には一般的に弓は使わず、指で弦を弾くように演奏する。フレットがないことと木製の生楽器ならではの丸っこく柔らかな低音と、弦を強く弾いた時のバチンバチンというアタック感のあるサウンドが魅力だ。
この楽器を僕は引き取ることになった。
事の発端は2024年12月31日。
先日教科書を大人買いした話を記事に書いたが、それから3日と経たない日のことである。この日は大晦日で、両親の住む沖縄県名護市の家に顔を見せに行くことになっていた。
2週間ほど前に母から連絡があり、従姉妹の姉さんとその旦那さん(最近結婚したらしい)が来るというのは聞いていた。旦那さんの方が面白い人で、僕と相性が良さそうだから会わせたい、みたいなことを呼ぶための口実としてなんか色々言っていた。
言われるまでもなく、同じ県内に住んでいながら年末年始に一度も親に顔を見せないというわけにはいかんだろうと思っていたのだが、それを言われると逆に気勢が削がれる。僕は人見知りなのだ。
新しい人との出会いなど別に求めてないし、人が言う「この人と気が合いそう」が当てになった試しもない。昔は(それこそ小中学生とかの時代)もう少し社交的な性格だったと思うが、今となっては一人で考え事をしたり部屋で読書したりする方が何倍もいいし、交流するなら気の合うごく少数の人間や、目的意識のはっきりしてるコミュニティとかにそういう話題で盛り上がりたい時だけちょろっと参加するぐらいで満足だ。そして僕の興味のある話題とかはその辺にいる人は大体の場合よく知らないし興味も関心もない。
とはいえ年末年始に集まれ、という話自体は「そりゃ行かなあかんやろ」という常識的な価値観は持ち合わせているのでとりあえず大晦日には行くと伝えた。だいぶ気は重いが。
当日、朝8時ごろに起床する。僕の住んでいる浦添市から両親のいる名護市までは多めに見積もって車で2時間から2時間半といったところだ。まあ本気を出せば1時間ty・・・おっと、なんでもない。交通ルールは大事だよな。安全運転心がけていこうな。特に年末というのは事故が多発しやすいし、渋滞も多い。僕は年の瀬に事故など起こしたくないし、レースをするつもりなどさらさらない。先日運転中にクラッシュする悪夢を見たばかりだ。戒めだと思って2024年はしっかり何事もなく締めくくりたい。
前回の母との電話では昼から酒を飲むと言っていたので、間に合わせるなら出発は10時。
しかしよく考えてみよう。そんな時間から飲み始めて、例えば除夜の鐘が鳴る0時までと仮定し12時間も飲んで食ってなんてやってられるか?沖縄の年寄りと言えば、もてなしの際に過剰な食料と酒を供給することで有名である。「オバーのカメーカメー攻撃」などという言葉もあるくらいだ。共通語に翻訳すると、「お婆さんの食べなさい食べなさい(噛め、噛め)攻撃」だ。
攻撃である。これは訓練ではない。繰り返す、これは訓練ではない。
戦場に何の戦術も戦略も持たず臨めば、待ち構えるのは死である。そこで僕が取った戦略は、「色々あって遅刻しました大作戦」だ。
シナリオはこうだ。年末の大掃除がまだ終わっていなくて、しかも今日は大晦日だというのに燃えるゴミを回収している。慌てて処分できていない燃えるゴミを隅から隅までかき集め、ゴミ収集車の回ってくる時刻に間に合わせようとしていたら出発の準備は全然できておらず、風呂に入ったり荷物を用意したりして、出発できたのは14時過ぎだった。しかも途中で差し入れを買ったので到着は17時前くらいになってしまった。
完璧である。
まあ別に家族相手にそんなつらつらと言い訳を考える必要もないっちゃないのだが。そもそも何時に行くかは明言していないのだ。
とまあ、そんな感じで午前中は割と優雅に、なんならYouTubeとかを観て過ごしていたのだが正午を回ったあたりで母から電話がかかってくる。
来たか。多分前回の通話の雰囲気的に僕が昼に来ると思ってたんだろうな。僕は一旦その着信を無視した。
その方がバタバタしてました感を演出できるかなと思ったのと、その時ちょうど作曲をしていてそれの歌詞を考えている真っ最中だった。正直に申し上げるともうちょっと集中したかった。
僕は会社員だが、一方で音楽活動も行なっている。
中学2年の夏、親戚のおじさんに突然「ギターに興味ないか?」と言われ古びたアコースティックギターを譲り受けたのがきっかけだった。
「おじさんはもう弾かないから、興味があるんだったら貰ってくれ」
当時中2の僕はそれに対して特に何も深く考えることはなく、「まあもらえるもんだったらもらっとくか」とそれを持って帰った。これによって僕の人生は大きく狂わされることになるわけだが。
そんな些細な出会いから何故か知らんけどギターにどハマりした僕は独学で演奏方法を習得し、高校時代にはバンドを組み、プロに憧れて音楽の専門学校に進学するなどした。結論から言うとその夢は叶わず、現在は一介の会社員として日々労働し、休日に日曜大工ならぬ「日曜ミュージシャン」を自称し細々と作曲などを地味に続けているというところに落ち着いているわけだが。
いや、夢叶わなかった男の悲しい昔話がしたいわけではない。僕は今の状況をこれはこれで割とポジティブに捉えているし、何より、あの頃と変わらず・・・むしろより高いレベルで音楽を続けられている。
・・・なんの話だったか。大幅に逸れた気がするが。
そうそう、両親の家に行かなければならない。話をはしょるが、結局16時過ぎに到着となった。道中母から「剣菱(日本酒)の一升瓶買ってきて」とリクエストがあった。
通話をしている時の、後ろの音声がやけに騒がしかった。声のでかい父が何やら酔っ払った時の失敗談(?)を熱弁してるのが聞こえる。そして子供のはしゃぐ声。誰だ?親戚の子が来るという話は聞いていなかったが。まあいっか。
ドン・キホーテに寄って剣菱を購入する。普段は日本酒など飲まないはずだが、客人が来ることと年末というイベントもあって趣向を変えたいということなのだろう。しかしまあ・・・いつ来ても人でごった返しているが今日は7秒に1回は人にぶつかりそうになるなドン・キホーテ。ついでに色々観て回りたかったが、だめだ、耐えられん。目的の品だけ手早く買って早々に退店した。
両親の住む家に到着。
子供達が僕の姿を見つけて真っ先に駆け寄ってくる。
「nob(仮名)~!」
先ほど話した従姉妹の姉さんの子供ではなく、僕の妹の子供だった。親は不在で、どうやら子供だけ預けているようだ。年は姉が小2、弟が小1だったか。会う度に僕に懐いたり、警戒して距離を取ったりとランダムな対応を取ってくる。今回は懐くパターンだな。よしよし、かわいいやつめ。
その場にいるのは僕の父と母、そして今紹介した甥と姪、従姉妹の姉さん、その旦那さん、そして親戚のおじさんの7人。酒も入ってすっかり出来上がっているようだ。挨拶も適当に済ませ、先ほど買った剣菱を取り出すと早速おっさん共はそれを盃に注ぎ始めた。
おっさんどもが俺に話しかけてくる内容といえば基本的には「仕事頑張ってるか、嫁さん早く探せよ、お前はいい男だな、この家を頼んだぞ」の4つのうちいずれかで、それが永遠にループする構造なので正直いうと僕は全く楽しくない。この時も早速その状況に陥ったが、すぐ横にいる小学生たちが救いだった。紙とペンを持って来させて、小学校低学年の画力ではまず無理であろうライオンのイラストなんかを描いてやると、「どうやって描くのー?」と早速食いついてきた。計画通り。
自慢じゃないが子供と犬には昔からモテる。その代わり女性と猫からはあまりモテないが・・・うるせえうるせえ。
そこからは子供達に絵の描き方を教えるフリをしておっさんの話を適当にあしらいながら子供7割、おっさん3割くらいに会話のリソースを割いて居心地の良いポジションを獲得することに成功した。
予想通りではあるが、食卓に並ぶ料理は常軌を逸する量だ。おっさんどもの話は適当にあしらえても、名指して「これを食え」と目の前に出される料理にはその都度対応を求められる。まずはビール。そしてヤギ刺し、中身汁・・・これらは沖縄の祝いの席の代表的な郷土料理だ。ヤギ刺しは名前通りヤギの刺身。コリコリした皮と噛み応えのある肉の食感。脂身はほとんどない。生姜醤油につけて食べる。苦手な人にとっては肉の臭みが気になるらしいが、僕は気にならないしなんならその臭みまで含めて肯定している。
中身汁は豚の臓物だ。内臓を細切れにして鰹出汁のスープの中にぶち込みひたすら煮る。仕上げに刻みネギと生姜おろしを添えて完成。
どちらも好物である。喜んでいただく。
けど普通は、この時点でもう大体満足してるのよ。今回はいつもと比べればかなり大人しかったが、それでも焼き鳥やらかまぼこやら野菜の煮付けやらが人数に対して過剰なほどの量で皿に盛られている。
年寄りどもはこれらの料理を自分ではほとんど消費しないにも関わらず、若い連中(特に男)に個人の持つ胃袋の容量をこれっぽっちも考慮せず、ただひたすらに食うことを要求するのだ。つまり僕である。
もしこれを読んでいるあなたが気のいい人間で、沖縄の文化をよく知らないなら多少無理してでも「美味しいです」なんて言いながら食べるかもしれない。だがそれはやめておいた方がいい。
食えば食う程、「まだ足りないか」と言わんばかりに際限なく出てくるぞ。「もういらない」この一言だけは覚えておけ。相手が不満そうな顔をしようが悲しそうな顔をしようが真に受けるな。言っておくがこれは親切心だ。
この悪習について話したいことはまだ色々あるのだが、今回はこの辺にしておく。
というのも、この時は缶ビール一本飲み終わらないうちに、話が思ってもいない方向に飛んだからだ。直前までなんの話をしていたかはさっぱり思い出せないが、その場にいた親戚のおじさんが急に僕に声をかけた。
「ウッドベース、貰ってくれないか?」
このおじさん(仮名をMとする)こそが中二の僕にギターをプレゼントしてくれた張本人である。わからんけど、自分がギターをプレゼントした甥っ子の僕がいまだにしぶとく音楽を続けているというのをものすごくエモく解釈しているのかもしれない。
Mおじさんは父方の末っ子だが、「おじさん」と呼ぶには抵抗のある年齢差で、小さい頃から「Mにーにー」と呼んでいた。にーにーは沖縄では「兄さん」に相当する言葉である。
うちの家系は大体苦労人だが、このMにーにーも若くして脳の血管が切れて半身不随になるというかなりの試練を経験している。
若い頃の話を詳しく聞いたことはないが、かなりの音楽好きだったことは間違いない。僕はギターをもらったが、それ以外にも今回のウッドベースや、サックス、ドラムなど様々な楽器(そして時代背景を考慮すると結構高いやつ)を所有しているのだから。
僕の記憶だと体を壊す前から仕事に一生懸命でそれほど楽器を触っていなかったと思うが(演奏してる姿を見たことない)、体を壊してからはいよいよ触れることもできなくなり、ただ家の片隅にひっそりと眠っていたらしい。
皆さんならこの状況でどう答えるだろうか。
かなりお高いものであることは容易に想像できる。ろくにメンテもされてない骨董品なので査定してみたら10万円にも満たないかもしれないが、この話をしてる時点では目の前に実物があるわけではない。そんな高いものをあげるからと言って無遠慮に受け取れるだろうか。
それに、場所の問題もある。ウッドベースと聞いただけで、多少でも知識があれば「デカい」ということはすぐわかる。生活スペースを必然的に圧迫する。もらってどうすんの?ほんとに弾くの?一週間で粗大ゴミ扱いにならない?
けど、この時の僕の答えは割とすぐに決まった。「もらうとして、運ぶのが厳しいからなあ」と最初こそ難色を示したものの、2分も経たないうちにウッドベースを譲り受けたのである。僕の車だったらギリ乗るかな、という見立てもあった。
今だと避けないといけないワードかもしれないが、いわゆる「身体障害者」になってしまったMにーにーがウッドベースを弾ける日は残念ながら二度と来ないだろう。本人もそれがわかっているし、その中で周りにいるそれなりにちゃんと音楽をやってる人間がいるから僕に託したいと思っている。
実際問題、普通の人が貰っても、演奏もメンテナンスも出来ずせいぜいリビングに飾って終わるだろうなと思う。
その点、僕はギターを十数年続けていて、音楽や楽器に関する知識はそれだけでも桁違いにある。自分が作曲をする上でもウッドベースを生で録音できるならサウンドのバリエーションが広がるし、十二分に価値を発揮できるという実利的なメリットもある。
あとはMにーにーの話にうんうんと相槌を打つだけで、早速Mにーにーの家にベースを取りに行こうと話がまとまった。両親の家のすぐ隣である。
足の麻痺しているMにーにーの歩調は極めてゆっくりだ。僕はすぐ後ろに立ってよろけないように見守り、段差があれば両脇の下から手を入れて支えたりしながら二人で15mも離れていない隣の家まで何分もかけて移動する。
ちなみにMにーにーの体重は90kgあるらしいので本格的に倒れたら多分僕だけではどうにもならなかったかもしれないが、幸いそんなことは起こらなかった。
家にお邪魔し、2階に上がる。ここまで入ったのは初めてだったがかなり近代的でおしゃれな家づくりだ。住み心地は良さそうだけど障害を抱えた身で2階が自分の部屋というのは大丈夫なのかとちょっと思った。
部屋の一角に布で包まれた巨大な物体が鎮座している。こいつがウッドベースだ。Mにーにーは布をひっぺがしてそれを僕に渡した。
・・・いや、だからでけえのよ。
これは普通の人が欲しいと思ってもなかなか無理よ。たとえタダだとしても。
それから何やかんやウッドベースを持って戻る。
かわいいねえ。
小2女子の構えているのを見て「響け!ユーフォニウム」(タイトルがなかなか思い出せず慌てて検索した)というアニメでバスを担当している女子のサイズ感がちょうどこんくらいだった気がするな。あっちは高校生だったが。実際間近で見たらこの体格で演奏するのはほぼ不可能だということがわかる。
さてさて。陽気な親戚どもは酒を飲みつつ三線やギターまで取り出してきたり、カラオケ大会が始まったりと大盛り上がりしている。僕はその横で騒ぎを尻目にウッドベースを少し手入れしていたが、いつから交換していないのかもわからない弦はサビて茶色どころか緑色の苔みたいな色に変色しているし、1弦は切れていて使い物にならない。そして元の音程を調整するためのペグと呼ばれるネジって回すところが錆びついててがめちゃくちゃ固い。KURE55をこれでもかとかけまくってようやくスムーズに回るようにはなったが、弦の交換や細かなメンテは楽器屋も正月休みだと思われるのでもう少し先になるだろう。ちょっと音を出してみたが、演奏は問題なさそうだ。
その後はしっちゃかめっちゃかな年末だった。みんな好き勝手にしたい話をし出すわ、いとこの姉さんの旦那さんが「格闘技を教える」なんつって(柔道とレスリングの有段者らしい)小一の甥っ子を半泣きにさせるわ、キレた甥っ子(運動神経抜群)が結構いいパンチを顔面に叩き込んで旦那さんが出血するわ、年上に対して無礼な甥っ子におじさんがブチギレて襟首掴んで引き摺り回すのをうちの親父が慌てて止めに入るわ・・・なんなんだこいつら。
仲裁役ができる人間が立ち位置的に僕しかいないのでいちいち割って入って酒に酔う暇も与えられなかった。
一応従姉妹の姉さんもいるのだが、この人がまたなんというか良くも悪くも「ザ・沖縄の女」というような明るくて男勝りで強気で面倒見が良くて・・・みたいな性格をしているので、小1男子が泣かされている場面とかでは「頑張れ負けるな!耳をちぎれ!」などと積極的に煽ってヤジを飛ばすばかりで全く仲裁の役には立たなかった。子供にそんな応援をすな。何が耳をちぎれじゃ。
疲れた。
もう来年からは年末年始に顔を出すのもちょっと考えさせてもらう。
一泊して翌日。元旦である。特に用事などがあるわけではないが僕は前日の消耗具合から帰りたくて仕方がなくなっていたので午前中でお暇することにした。ちゃんと甥っ子たちにお年玉をあげることは忘れていない。
帰るにあたって問題は、件のウッドベースを持って帰れるかどうかだったのだが・・・
っしゃあ!流石CX-5だ。
見たか、これがSUVだ!舐めんなよ!
出発は午前中だが、途中ジムに寄ったり昼寝をしたりして、帰宅したのは16時過ぎだった。軽く荷物を片付けたあと、僕は早速ウッドベースを触ってみることにした。
1弦は切れているがそれ以外は現状でも問題ない。経験はないがギターは長いことやってるし、エレキベースなら作曲の際に実際に演奏していた。バイオリンも経験がある。
要は弦楽器というのは見た目は違えど構造は全て一緒で、一つ習得すれば割とどんな楽器を初見で持たされても応用が効くのである。どんな音がするのか、ウッドベース歴1時間の男の拙い演奏ではあるが、実際に聴いていただこう。
使えるな。
動画はiPhoneで一発録りだが、十数年・・・いや、数十年か?放置されていた状態でもこれだけ鳴ってくれるなら申し分ない。Mにーにーは「飯もろくに食わず、生活費を切り詰めて当時二十数万で購入した。現在の価値だと100万くらいだ」と豪語していた。それがいつの頃なのかはよくわからないが、話半分に聞くとしてもしっかりメンテナンスすればレコーディングでちゃんと使える状態にはなりそうだ。
早速だけど今年の抱負、決まったわ。
このウッドベースを使って一曲仕上げることだ。
楽器を満足に弾くことができなくなったおじさんの意思を継ぐとか、まあそういう気持ちもゼロとは言わないが、僕としてはそんなエモいことを落とし所にしたいわけではない。
ベースという楽器に改めて向き合う。しかも普通のエレキベースとかではなくウッドベースというのは同じ弦楽器とは言え使い勝手はかなり違うのは確かだ。慣れないうちは音程をしっかり取ることすら容易ではない。ベースが欲しいなというのは前々からうっすら考えていたことではあったが、まさかこんな形でその機会が舞い込んでくるとは思いもしなかった。
ネイティブアメリカンのことわざに、「持つに相応しいものは向こうからやってくる」というものがあるが、僕の人生のこのタイミングで、この楽器を譲り受けたことは何かしらの縁であり相応しいものであったということなのだろう。そう思った。
そして、もしかしたら今年の抱負は意外とあっさり達成できるかもしれない。既にこのサウンドを取り込みたい曲はいくつかストックがあるからだ。
現在着手中の曲の一つ。
ラップ部分のダサさや全体の聴きやすさをもう少し調整する必要があると思っているが、ここまでできていれば完成はそう遠くはならないだろう。
しかしせっかくなら1からの新曲で取り入れるというのがいいかもしれない。まあこの辺は政策の状況に応じてといったところか。
音楽活動において積極的に宣伝も何もしてはいないけども、こう少しこれくらいのクオリティの曲がストックできたらもう少しちゃんとした活動の場を広げて行けたらいいなと思っている。
掲げた目標はもらった楽器をとりあえず曲の中で使ってみるという極めて地味なものだが、それは足がかりだ。おじさんのベースの音も、ついでだから世間に聴いてもらおう。次に報告するのはその時だな。