『精神障がいと向き合う「地域移行」の実践の10年』
入院は悪くない。命と街を守る大切な仕組み。
『地域移行』というのは病院から街なかへ、おっきな入所施設から街なかへ、という動きです。
となると、あたかも入院が悪いことのようにイメージされちゃいかねないのですが、それは違います。
入院は命と街を守るために現実的に必要で、大切な仕組みです。
障がい分野の方々だけじゃなく介護分野の方も居るので、認知症で例えますと、
たとえば僕が、1人暮らしをしていて、認知症になったとします。
そして、ご近所さんや親せきも気づかぬうちに、ご飯を自分で食べられないほど弱ってしまってました。
そんな僕の命のピンチには、入院や入所施設というのは、命を守るためにとても有効な手段です。
あるいは僕が1人暮らしで認知症になり、自動車を運転して高速道路を逆走するようになってしまいました。
僕にとっての大切な街、酒田の人々を、僕の車の暴走から守るためには、入院や入所施設はとても有効な手段です。
もちろん僕は認知症になっていても、車で誰かをケガさせたい、なんて思っていないので、一周まわって僕の本当の心も、入院できれば守られることになります。
「地域移行」はなぜ必要か(1)
じゃあなぜ「地域移行」長く入院しないで街で暮らすことが必要になるのか。
その理由をここでは2つ挙げます。
長く入院しないで街で暮らすことが必要になる理由のひとつは、
そのひとの「できること」と「生きる喜び」を減らさないためです。
「できること」が減ってしまうのは、
入院という手段は、どうしても
①アクション数が減りすぎたり増えすぎたりしてしまう時間が続く
②常に見まもりの目があり1人で待つ力や律する力を養いづらい
という性質があるからです。
『アクション数』というのは、必要な動作の数のことです。
支援の場面だけじゃなく、普段から僕たちが工夫していることです。
僕たちは、やったほうが良いこと、やらなければならないことには、アクション数を減らすと上手くいきます。
仕事でよく使うものは、すぐ手の届くところに片づけておく、といったふうに。
僕たちは、やらないほうがいいこと、やってはいけないことには、アクション数を増やすと上手くいきます。
お金のムダづかいを防ぐために、財布に2万円入れていたのを3千円しか持ち歩かないようにする、とかです。
入院しているとどうしても、やったほうが良いことのアクション数が一気に減ります。
たとえば食事は毎時きちんと準備されます。
入院していると、やらないほうがよいことへのアクション数が一気に増えます。
入院前にお金のトラブルがあったひとも入院中は、家族さんや誰かによる金銭管理がなされたり、使う手段が少なくなったりします。
これは、入院前にあった大ピンチを救うためには有効な手段です。
とはいえ、極端なアクション数の調整が長く続くと、「できること」が少なくなってしまいます。
ふらつきながらも100メートル歩けていたひとが、骨折防止のためにずっとずっと車イス移動をしていたら、歩く力がなくなってしまうように、
長く入院していると、食事を準備する力や、金銭を管理する力が減ってしまう、例えばかんたんな調理ができなくなったり、もともと出来ていた少額な金銭管理ができなくなったりもします。
「できること」があることは、自己効力感、という言葉があるように、生きる喜びに直結します。「できること」が減ることは、生きる喜びが失われてしまうことです。
もちろん、入院中に調理の練習をしたり、服薬を自己管理したりする訓練が、行われていることを、僕は知っています。
忙しいなか時間を工面しての素晴らしい取り組み、頭が下がります。
もちろんそれが無駄になるわけでは一切ないのですが、もうひとつ難しさがあります。
それが②常に見まもりの目があり1人で待つ力や律する力を養いづらい、というところです。
入院中に、
ご飯をきちんと食べ続けることができても、睡眠と活動のリズムが整っても、
お金をムダづかいせずに済んでも、お薬を飲み続けることができても、
それは1日中、深夜から早朝まで、見まもりの目がある環境下での話です。
街での暮らしに戻ると、たとえ日中はどこかに通い、グループホームに住んだとしても、見守りの目がない夜、見守りの目がない土日祝日の昼がやってきます。
見守りの目がなくなったとたんに、入院中にできていたことが突然できなくなったり、
入院中は穏やかな気持ちでいたのに街での夜、ひとつ屋根の下にナースさんの居ない夜の不安感に耐えられず電話をかけまくってしまったり、
といったことがよくあります。
もちろん、入院中にできるようになったことを続けられるよう支援するのは、福祉サービスの役割ですし、
夜に不安になっても「あしたあの福祉サービスのひとに相談できればいっか」と信頼してもらえる関係をつくるのも福祉サービスの役割です。
とはいえ入院が長くなればなるほど、
見守りの目から離れたところでも自分で自分を律する力と、
ナースさんと一緒の建物じゃなくても街の福祉サービスの対応を待つ力は、
減っていってしまいますし、
福祉サービスが信頼関係を築いて安心感をもたらせるようになるまでにも長い時間を要すようになります。
こういった事情から、
極端にいえば入院は『過保護が長い時間つづく』状態なので「できること」が減ってしまう。
「できること」が減ると「生きる喜び」が減ってしまう。
「できること」と「生きる喜び」を守るには、街での暮らしのほうが有利。
といえます。
「地域移行」はなぜ必要か(2)
「地域移行」長く入院しないで街で暮らすことが必要になるのか、
ここで挙げる2つめの理由はシンプルで、
病院が命と街を守り続けるため、です。
たとえば最初の例え話、認知症になった僕が栄養失調で死にかけていたときに、
病院が満員で、入院できずにいたら、僕は死んでしまいます。
高速道路を逆走する僕が、病院が満員で入院できなかったら、誰かが深く傷つき、僕は加害者になります。
そんな僕のようなひとが街にあふれたら。それはもう『北斗の拳』のような崩壊した世界になってしまいます。
障がいも精神疾患も誰のせいでもないのに、自身が苦しめられたり、その果てには命の危険があったりします。
本当の自身はそんなことを望んていないはずだったのに、大切な周りのひとを傷つけてしまうことだってあります。
そんな悲劇を防ぐために、入院できる病院があって、その病院が役割をきちんと果たせるように、
退院できるようになった人は、街に戻る。
そして福祉サービスを上手く活用したりして、なるべく再び入院のピンチが来ないように暮らす。
もしまた誰のせいでもなくピンチがきたら、入院を上手くつかって立ち直る。
そんなスタイルが、病院が命と街を守り続けるために必要です。
だから「地域移行」が必要になります。
あんまり入院しなくてもいいような
仕組みを街につくる。
そんな福祉サービスがある街へ。
こころねが取り組んでいることを挙げていきます。
望まぬ入院、つまりは望まぬ精神疾患の増悪を、福祉サービスとして役に立てる範囲で、
防ぐために行っていることです。
これが「地域定着」長い入院から街の暮らしに戻り、その暮らしが平穏に続く、ことに繋がっています。
✔ 暮らす場所の提供
長い入院や、入院まえの大ピンチによる混乱で、家族との縁がなくなってしまうひともいます。
そういったときには家族がいる家ではない場所の住処をゲットしなければいけません。
とはいえ、グループホームにも『連帯保証人』『身元引受人』が必要になることも多く、
それが無いために体調が改善しても退院できないひともいました。
また、ナースにも福祉ワーカーにも友達にも優しくできるのに、家族とは上手く円満にいけないひともいます。
この場合もグループホームは選択肢になりますが、入院で経験した他者との共同生活に苦手意識をもつ人も多くいます。
そういった方が退院して暮らす場所として、アパートを用意しています。
現在は25人が、暮らしのサポートを受けながらアパートで1人暮らしをしています。
詳しくはこちらの動画☟
『障がいと向き合う人のひとり暮らし』 [障がいと向き合う人のひとり暮らし①](https://youtu.be/B6iRS5BHzSI)
✔ 最初はエネルギー消費を抑えられる活動から(選べる活動の質量)
長期の入院から街に戻るとき、あるいは長らく精神疾患と向き合い外出が難しかったひとは、
考えたり判断したりするエネルギー、体や手先を動かすエネルギーが、どうしても少なくなっています。
その疲れやすさのリミットを超えてがんばり続けると心身の体調を崩します。
半面、心身の健康を保つには適度な刺激を受けながらエネルギーを養っていくことが必要です。
活動の提供と、過労の防止のバランスがとれていることは大切です。
街の営みに戻る、その一歩めは、確実にできるところから始めて、成功体験を積み重ねていってもらいたいのです。
まずは「家じゃない場所で他者と過ごす」「活動と休息のリズムを整える」といったことも、立派な1歩です。
引きこもり状態が長かったひとにとっては最初は「家じゃない場所で寝る」だけでも大切な成果です。
もちろん進化や成長を望むひとにも対応していきます。
*1歩め。例えば「家じゃない場所で他者と過ごす」「活動と休息のリズムを整える」
↓↑
むりのない、疲れの濃くない作業活動をする
↓↑
充実感と心地よい疲労感がある作業活動
↓↑
一般就労へ向けての訓練と活動をする
といったふうに。
こと「地域移行」においては、*の1歩めの提供がとても大切です。
✔ 生活動作への支援
毎日の食事の手配の方法を整える、
お薬を飲みはぐれなく服用できるよう補助する、
お金の使い方を一緒に考える、
といった生活への支援を、地域資源を活用しながら提供しています。
✔ 考えを整理するための面談
精神疾患と向き合う以上、どうしても不安になりがち、混乱しがち、極端にこだわりがち、
というふうに思考が混線しがちです。
1対1で落ち着いて話す時間を設けて、状況を一緒に整理します。
日々の不安、混乱、こだわりが生活の平穏を乱すまえに、フォローします。
面談マニュアルを設けて、利用者さんとスタッフさんが話す時間が実りあるものになるように図っています。
✔ 精神科医療との連携
医師はプロフェショナルなので、きちんと情報が得られたら適切な助言ともに適切なお薬の処方をしてくれます。
お腹が痛いときはお腹の薬を、熱があるときには解熱剤を、といったふうに。
ただこと精神科では、その「きちんと情報を伝える」ことが難しくなりがちです。
自身のせいではなく、強い不安や混乱や緊張が生じがちなので、
誰も悪くないのに情報が上手く伝わらないことも多いのです。
極端すぎる例ですが、
もし実際とは大きな乖離がある情報が伝わってしまうと、
体調が悪いという要素だけが多く伝わりすぎて、お薬が増えすぎてかえって具合がわるくなったり、
体調がよいという要素だけが多く伝わりすぎて、お薬が減りすぎてかえって具合がわるくなったり、
といった悲しいことが起こりえます。
この誰も悪くない悲しいすれ違いが続いてしまうと、生活に困ってしまうほど精神疾患が増悪してしまい、
入院するほどのピンチに至ってしまう、あるいは退院できてもピンチが繰り返されることに繋がってしまいます。
この悲劇をとめるため、受診マニュアルを用いて、同意にもとづいて、情報が適切に精神科医や医療スタッフに届くように支援しています。
適切な助言と、的確なお薬の処方が得られるようになって、
気持ちや思考、そして暮らしが精神疾患にじゃまされることが少なくなり、
するとだんだんとお薬の量が必要最低限まで減っていったりもします。
医療との悲しいすれ違いをなくすことで、
入院するほどのピンチの発生を防ぎ、
穏やかな気持ちで暮らしていけるように取りはからうことができます。
✔ 居心地の良さ
ひとがその場に居続けたり、通い続けるのは
「今ここにいて、これをしている自分、わるくないな」
と自然に思えているからです。
今ここにいる自分のことが嫌いだ!ここでこんなことをしているはずではなかった!
と思うとき、ひとは転職したり、引っ越したり、離婚を考えたりします。
それは利用する福祉サービスにとっても同じことです。
「今ここにいて、これをしている自分、わるくないな」と無意識に思ってもらえたら、
利用を受け入れ、ひいては穏やかに暮らすための支援を受け入れることに繋がります。
精神疾患に深刻に困らされているひとは、福祉サービスへのなじみがないことが多く、
いかにもな福祉施設らしい建物、福祉施設らしい活動内容には、
「なんで自分、いまここにいるんだろう」という居心地のわるさを感じてしまいがちです。
オフィスっぽい建物、いかにも仕事といった作業には、
「あんな仕事をがんばりすぎて深いダメージを負ったのに、また仕事させられるの...」
「こんなところ、居たくない」という居心地のわるさがあるかもしれません。
たとえば、きれいな家みたいな建物。あるいはオシャレなカフェのような室内。
そういった場所であれば「今ここにいる自分、わるくないな」と無意識に思ってもらえる可能性が高まります。
もちろん、福祉になじみあるひとが福祉施設らしい場所に居心地の良さを感じ、
仕事をしている自分、へのあこがれが強いひとはオフィスっぽいところに魅力を感じる、
というのもまた自然なことです。
この「居場所の選択肢」が増えることも、街での暮らしやすさに繋がります。
「今ここにいて、これをしている自分、わるくないな」と思ってもらえる居場所が、地域移行には必要であって、
そんな居心地のよい福祉サービスが、増えていけばよいと思います。
✔ 訪問と1対1のお話
そのひとがどんなひとなのか、を考えるとき、そのひとが集団のなかにいるときに様子をみて情報収集することもできます。
でも集団にいるときのそのひとだけが全てではなく、生活空間で1人で過ごしているときのそのひとには、違う面があったりします。
日々のコンディションを見まもることも同様で、集団のなかにいるときだけでなく、個になる時間にも平穏に過ごせているのかを一緒に確かめ合うことで、
より見まもりの質を高めて、ピンチを未然に防ぐことに繋がります。
これらの取り組みで、長期の入院からの退院後の暮らしが平穏に続くようサポートできていて、
望まぬ再入院、望まぬ精神疾患の増悪をかなり予防できています。
長い入院から街の暮らしに戻り、その暮らしが平穏に続くことに繋がっています。
ここ20年の流れの体感(1)
2001年に中條は大学生になって、近くにあった援護寮に先輩から誘われ、
そこから2005年の卒業までの4年間、あまり欠かさず行き来をするようになって、精神障がいと向き合う方々と関わるようになりました。
その周辺で出店できるイベントごとがあると、援護寮のスタッフさん、入居者さんと一緒にタコ焼きを焼きまくり、一緒に接客をしていました。
年に1回、みんなでキャンプに出掛けて、夜にはキャンプファイヤーを囲んで、
入居者さんから、ご自身の妄想症状のこと、聴こえてくる幻聴のこと、
入院まえや入院中のおぼろげな記憶のこと、5年~10年の入院暮らしのことを聞きました。
スタッフさんや施設長さんからは、自死にいたってしまったかつての入居者さんのこと、
ちょっと昔の、お薬をもりもり処方されてどんどん動けなくなってしまったひとのこと、
いろんな話を聞きました。
この4年間で思えたことはたくさんあって、
「こんなにも精神疾患に苦しめられて、つらい体験をしても、こうやって街の暮らしに戻れるひとがこんなにいるんだ」
「根拠はないけど、人は街の営みのなかで生き、人の営みのなかで死んでいくべきなんじゃないか」
僕の人生の基点となる体験たちでした。
今にして思えば、「うつ」や「メンヘラ」といった言葉も大衆化するまえだったし、
現在よりもずっと地域から精神科は遠ざけられていましたし、
精神科の医療機関は、大きな病院も街のクリニックも、今よりずっと閉鎖的なところが多かったです。
そのせいで、今ならしなくてもよかったはずの苦しみや悲しみがありました。
それでも、20年まえにも長い入院から街での暮らしを取り戻したひとたちはいて、
そのまわりには退院支援とその後の暮らしのサポートをするひとたちがいました。
ここ20年の流れの体感(2)
2012年に中條は相談支援専門員になりました。総合支援法ができた年です。
たくさんの長期の入院患者さんが地域に戻りました。
そもそも、この頃までの入院患者さんには、地域で暮らす力があるにも関わらず、
退院とその後の暮らしのための環境が整わずに、退院できずにいた、という方々もかなり多くおられました。
当時に思ったことは
「日中に活動する場所がある、それだけで退院して穏やかめに暮らせるひとも多くいるのだな」ということです。
当時の福祉サービス事業所からの支援は、食事の提供、作業の提供、やっても受診の行き来の手伝いくらいで、専門性もなにもありませんでした。
(残念ながら現在もそういう事業所はたくさんありますが...。)
それでも、それだけでも退院されてからすぐに体調を崩すことなく、街での暮らしに戻れるひとも多くいたので、
「これは福祉サービスの力というより、ご本人自身の力なんだな。作業を毎日続けるだけで、体調と穏やかな日々を維持できるなんて。」
と思っていました。
とはいえ退院してもまもなく再入院となってしまったり、
入院中に体験してみたけれど退院への意思を固めきれなかったり、
精神状態が崩れてしまって望まない入院になってしまったり、
そういうところも何度も見てきました。
「この入院患者さんに、こうサポートすれば、退院して街の暮らしに戻れますよ」
「この困りごとは、こう手伝うようにすれば、体調の悪化や入院を防げるのになあ」
そう思って、所属していた法人に提案も幾度がしましたが、採用されることはありませんでした。
じゃあ自分で、そういう福祉サービスをつくろう。
そう思って、こころねを2015年から始めました。
ここ20年の流れの体感(3)
2015年にこころねを始めました。
上述の『あんまり入院しなくてもいいような仕組みを街に~』のくだりで記したように、
✔暮らす場所の提供
✔最初はエネルギー消費を抑えられる活動から(選べる活動の質量)
✔生活動作への支援
✔思考を整理するための面談
✔精神科医療との連携
✔居心地の良さ
✔訪問による1対1でのコンディション確認
を福祉サービスとして実践したところ、多くの方から再入院にならずに街の暮らしに戻ってもらうことができました。
関わり始めは『退院したくない』『別に入院を嫌だと思わない』というひともけっこう多かったのですが、いざ退院となると、
20年越しに自分で選んで行く美容院がすごく嬉しそうだったり、
3年のあいだできなかった挨拶や譲りがいが自然にできるようになったり、
不純交友だと騒がれて退院を反対されたひとは物を時々壊すくらいで平穏に暮らせていたり、
15年のあいだ何度か幻聴に支配されて殴りかかってしまっていたけれど殴ることなく5年が経ったり、
「最初のころは『別に退院しなくていい、入院したっていい』って言ってたけど、今はどうなの?」って訊くと「絶対いやです」と応えられるようになったり、
これはウェルフェアに近づけたのでは、というケースをたくさん経験することができました。
この記事を書くにあたり数えてみたところ、こころねを始めてから138人の方の退院後の支援にあたって、
うち130人は、再入院になるような体調や暮らしの大ピンチなく、街での暮らしが続けられています。
とはいえ、8人のお役に立つことができませんでした。
街に戻れなかった5%に思うこと
お役に立てなかったケースを振り返って思うのは、
『もう既存の福祉サービスが普通の務めをするだけで退院して暮らし続けられる人は、退院しつくしてしまったのではないか』
ということです。
いま「地域移行のために」として敷かれた制度は、地域資源や各機関の連携を重視していますが、
それだけで退院できるひとは、先述のようにすでに2000年から退院を始められているひとたちです。
福祉サービスによる日中活動があるだけで、それを活かして平穏に街で暮らし続けられるひとたちは、2010年から退院できています。
病院の努力と、地域の福祉サービスの数があるていど増えた現在、
もう病院のなかには、それだけで退院できるひとは残っていないと感じます。
もちろん、こころねとしての努力は続けていきます。
集団のなかで過ごすのがどうしても不得意なひとにも居心地よく過ごせるように、個室の数を多くして、手厚くサポートできる通所事業所を始めますし、
既存のこころねアパートでは見まもりの目が足りず、かといってグループホームでの集団生活につらさを感じるひとでも住みかと認めてもらえるように、アパートの形状をしたグループホームを始めます。
それでも、その取り組みをしても、今までお役に立てなかった5%にアプローチするにはパワー不足を感じます。
制度設計へのアプローチ
福祉の諸制度に100点満点の完成形はなく、
いつだって漏れがあります。
健康で文化的な最低限度の生活が本当に保障されているなら、
日本にホームレスはいません。
障がい福祉サービスを知れば知るほど、良くできている、人類の英知を感じる、と思うのですが、
どうしてもフォローしきれないところはあります。
僕が考える、これからの制度設計については、下記の通りです。
✔ 就労するための生活支援を手厚くできるよう制度化を
✔ 『地域定着支援』をもっと運用しやすい仕組みに
✔ 困難度が高いケースでの1対1の外出支援を、より手厚く制度化を
✔ 入院とグループホームの中間に位置するような、暮らす場所の拡充を
それぞれ制度化や制度設計の見直しにあたり、議論には登場したことがあるものです。
この方向が進んでいくよう、微力ながら力添えできたらと思っていますし、
他にも「こうなればいいと考える」という案があれば知りたく思っています。