親不孝の始まり

思い返す事がオカンが逝ってから多くなったのと同時に自己嫌悪に陥る毎日が続いている。
小学校の思い出は『最高に楽しい』としか言えない。そんな中、中学受験を余儀なくされた。もちろん逆らう意思もなくただ学校→家→塾のローテーションで6年生は瞬く間に終わった。
エスカレーター式で大学が付いた中学に合格した。自分で言うのもなんだが関西では超有名高だ。今思えばよく入れたもんだ。
親孝行というものは恐らくこれが最後だった。優秀学校に入ったあるある、兵庫県の田舎の子が大阪の優秀学校に入る。当然回りと馴染めない。一応小学校ではなかなかの人気者だった。そのノリで中学へ、当然スベるしらけさせるノリが違う結果、『孤立』
勉強も楽しく感じないストレスたまるたまる。気付けば恐らくだが学年で1番うちのオカンが呼び出しを食らっていた。帰りの車の中悪態をオカンにつき泣かせる。最低のクソガキだ。
父は離婚するまで海外出張で年10日もいない。オカンは父親も母親もしなくてはならなかった。経営していた塾であくせくした毎日を送り手のかかる自分の世話や尻拭い。警察のご厄介一歩手前なんてのはざらだった。それでも幼い頃からやらされていた水泳だけは続けていたがとある事情で部は廃部、高校生になり水泳が嫌なら何か部活をしろと言われて入ったラグビー部も2年で辞めた。学校も行かなくなり成績も下から数えた方が早くなった。そう言えばこの頃からオカンはあまり口を出さなくなった。大学進学を拒否した私にオカンは海外の大学へ行かそうとした。興味もあった海外、だがそれも拒否した私は遂に10000円札1枚を握りしめ東京へ行く為実家を出てしまった。オカンの思いに後ろ足で砂をかけるように。

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