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マジョリティなんて妄想
僕が小学生の時に習った考え方は,すでに今は常識ではなくなっている.例えばレディーファーストは女性差別と考える人がいる.何が正しいんだろう.
LGBTQという性別が認知されてきて,僕たちは個というものを意識せざるを得なくなった.「男性」や「女性」,「似合う」「似合わない」,「背が高い」「低い」,「ブルベ」「イエベ」.知らない間に僕らの周りは常にAかBかの枠組みがあって,分別されていく.しかもそれが自分の意思とは遠いところで.「AでもBでもない,僕は僕で,君は君だ」という考え方がこれからの時代で一番大切なことだと思う.どれくらいわかってる?
「僕」という個を考えようと思う.僕ってなんだろう.僕は何かを作るのが好きで,音楽が好きで,絵が好きで,漫画が好きで,映画が好きで,本が好きで,生のトマトが苦手で,言葉遣いがよくない人が苦手で,朝が苦手で......こうやって好きや嫌いを重ねていくうちに自分という存在が明確化されていく.好きや嫌いといったものや趣味嗜好,これは誰にも否定されない僕だけの権利だ.ちなみに,日本国憲法第19条でちゃんと保障されている.
思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
僕の頭の中では何を考えても何人も侵すことはできないのである.この考えは僕だけのものでそれを誰かに否定される筋合いはない.思想の自由というのはそれくらい大切な権利である.この思想というのが,上記した「性別」の所にも繋がる.性別というのはある種その人が何を好き好み,何を嫌うか,ということでもある.(ここでいう性別というのは生物学的な性別ではなく,あくまで思考の話に限ると断っておきます.生物学的な話になると論点がずれるからです).「何を好きになったって,何を嫌いになったって良いでしょ〜」ということだ.大切な自分の領域である.
僕の中で好き嫌いの価値観が明確になって,僕という存在がわかり外に出した時,否定する人が現れたりする.例えばそれはジェンダー的な話であったり,人種の話だったりする.「こうあるべき」という考え方は,その人自身を見ていないということになる.ある種「あるべき論」というのはテンプレート化していてわかりやすい.そこに当てはめることで認識がしやすくなり(つまりAかBかに無理やり押し込めることでわかりやすくなる),その人自身ではなく,AあるいはBを否定することができる.しかし,例えば僕がトマトが苦手だという話をして,「それはおかしい」と否定してきた時,僕の「トマトが苦手」と思考したことそのものを否定されることになる.これはおかしい.なんで僕が「トマトが苦手」と思うことを赤の他人から否定されなきゃいけないの?これがおかしいと感じるのが最初のステップだろう.
「極端だ,トマトの話とジェンダーの話は重きが違う」と思うかもしれないけれど,思想の元では等しいと僕は考える.誰を好きか,どういうにんげんが好きか,ということに対しておかしいということは誰にもできないのだ.
「女性も社会進出するべき」という考えを持つのも良いし,「家庭と子供を守るため家事に勤しむべき」と考えるのも良い.「男性が社会進出するべき」と考えるのも良いし,「男性こそ家事や育児をやるべき」と考えるのも良い.結局これはそれぞれの価値観の一つでしかないのだ.そう考えている人に対して,自分が好きか嫌いかで一緒にいるのかいないのか判断していけば良いと思っている.どうだろう?
「男性が育児なんておかしい,男性は全員仕事がしたいと思っているんだ!」とか「女性全員がもっと仕事したいと思っている,専業主婦をしたいと思っている人なんていない」とかクソデカ主語で話している人がいるけど,そうではなくてそれはその人がそう思っているだけだ.もちろんそう考える人もいるし,そうじゃないと思っている人もいる.そこまで考えて初めて多様性だろう.マジョリティの一部でいると思うことはとても楽だけど,マジョリティなんて幻想で,本当はただの個の集まりだってこと,改めて思い出したい.
「Aという人もいて,Bという人もいて,Cという人もいて,Dという人もいて,そりゃそうだよね.だってみんな違う人間なんだから.」と考えたい.
冒頭に戻れば,レディーファーストをするべきと考えている男性もいる一方,されたくないと思っている女性もいる.色んな人がいる.ってことだ.「君はどう?僕はこう.」
そこから対話をはじめたい.
「Aが好き/Bが苦手」という大きな括りではなく,もっともっとミクロな視点で,「君が好き」になったら良いと思う.「君」を見れてる人って一体どのくらいいるんだろう.「君」に付随する色んな要素があるかもしれないけど,それら全部取っ払ってありのままの「君」を見ることができたら,どれだけ良いのだろう.そこには性別も国籍も関係ない「君」がいる.個を見て考えることが,多様性なんだと僕は今は思っている.
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがつて、みんな良い。
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