目標のない破壊衝動
若干の疲労を感じており、足取り重く感じながら帰路を辿る。具体的に何に対してではないが、自分の中にひりついた感情が存在することを思い出す。こうなってくると人間の体臭や話している内容、気温までもが嫌悪の対象となり、普段許容できている内容が許容できなくなっていく。そんな自分が嫌い。
今僕の周りにいる人たちは、堂々と良くない話をしていると気付く。普段は聞こえてないだけで、こういう時は良く聞こえてくるものだ。そして、そういう人に限って声がでかい。(ダブルミーニング)
人は人なんだけど、なんか気になるもので、どうでも良いのに「それは違うだろ」という考えが頭に浮かんできて困る。
僕はストレスたまるとわりと暴飲暴食気味だけど、ちゃんと理性も働いて理性君が「だめだよ食べすぎちゃ」と言ってくるから辛い。わかってるよ。
たまに理性君が勝つから余計辛い。いっそ潔く負けてほしい。
幸せそうな人を見て、対照的な疲れている自分が窓の反射で映るのも辛い。辛いけど辛そうな顔をしないで、今も無の表情で歩いている。
電車は座れたからよかった。
知らん間に日を跨いでいて驚いている。流石に今日は料理はできないので、ラーメン屋かコンビニで太麺の辛いラーメンを買いたい。ラーメン屋に本当は寄りたいけど、理性君がめっちゃ止めてくるのでそれを振り切るかどうかの瀬戸際だけれど、振り切る気力もないのでこのまま帰ってしまうんだろうな。
この状態になったら、ものを食べたら食べたで別に幸福を感じるわけでもなく虚無であり、これを回復するためにはYouTubeやアマプラを無心で観るしかない。
本当にそれしかない。
金子みすゞが「みんな違ってみんないい」って書いて、26歳で自殺したって話を読んで、多分そう思いたかったから思い込むために書いたんだろうなって思った。
みんな耳馴染みの良いことを思いたくて、自分に思わせたくて、そう言うんだろう。なんかりゅうちぇるを想起された。
理想や正しいことを口に出すんだけれど、それはそう思いたいだけで、そうはできないんだろう。そのギャップで結局金子みすゞは自殺したんじゃないかな。
そう思いたい。
そうに違いない。
そうじゃなきゃだめだ。
そうであって欲しい。
そんな気持ちを書いて、だめだったってことが残ってしまっていて、やるせない気持ちになった。
結局みんな違ってみんな良いなんて理想論だって思ったんだろう。残酷だけどそれが現実なのかな。今の僕にはまだわからない。
「みんな違って、みんな良いかはわからないけど、どうでも良いから、勝手に生きたら良い」