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聲の形を改めて観た

公開当時,レイトショーで車と飛ばしてギリギリに駆け込んだ聲の形,当時前半の小学生の自分たちとは違う違和感からくるいじめのリアルさに呼吸困難になるかと思ったのを今でもとても覚えている.聴覚障害の西宮さんの表現がうますぎて声優さんが本当に聴覚障害の人なんじゃないかと思ったくらいだった(早見沙織さんだった).
ただ,全編を通してこの映画ではいじめというものを説教臭く語る映画でもなく,聴覚障害の生きづらさを語るわけでもなく,石田くんを救うための映画だと思っている.今アマプラで観ることができるようになっていて(本当にありがとうございます),改めて観てもそう思うから間違いない.誰しもが抱えたことのあるモヤモヤに感情移入してしまい,映像の中の石田くんが救われることで心から本当に良かったと思わざるを得ない.石田くん,救われて本当に本当に良かった.そして,長束くんがイイ奴過ぎる.彼がいなければ石田くんは救われなかった.

小学生の頃,物心ついていない人も多いだろうし,遠い昔の記憶で思い出せない人もいるだろうが,僕は幼少の頃のことをよく覚えているので,その頃の友達との無邪気で度が過ぎたやり取りや,その頃「孤独」という言葉を知らない自分のよくわからない孤立感を今でもはっきり思い出せる.だから,完全に追体験してしまった.

聴覚障害という病気は,外からはほとんどわからない.見かけは同じだからだ.ただ,自分の喋っている音が聞こえないから,発声に特徴が出る.それが一般的な発音とは異なってくるため,小学生の彼らにはその違和感が「変なやつ」という認識になってしまう.正直仕方がないことだと思う.彼らは無邪気で自分に正直で,とても残酷だからだ.あの場面では担任の先生が本当にひどすぎる人間で,その醜悪さがとてもリアルに描かれている.何度観ても腸が煮えくり返るほど腹が立つが,恐らくそういう人間はとてもたくさんいるだろうし,無自覚だと思う.自分も一歩間違ったらその立ち位置になっていそうで怖く,常に注意深く自分を監視し気をつけなければならないと感じる.

小学生の頃自分がしてしまったいじめ(ただこの頃の彼らの行為は,実際は相手を傷つけようとした訳ではなく,自分と異なる存在を排除しようというただそれだけだと思っていて,また「他人」という存在を認識できていないから,「自分が気持ち良いか/悪いか」でやってしまったことが度が過ぎてしまった.「他人がどう感じるか」まで意識ができないから自分が気持ちの良いことをしてしまった結果いじめになってしまった)を通して,初めて他人がどういう気持ちになっていたのかを理解するようになった.石田くんは西宮さんへの度を超えたイジり(いじめ)が,ブーメランのように返ってきて自分が苦しい気持ちになって初めて相手がどれだけ辛い気持ちになっていたか,どれだけ酷いことをしてしまったのかを知り,死のうとした.

高校生の場面から,終始にこやかで誠実に生きていて忘れそうになるが,石田くんは死のうとしていた.自分が生きていてはいけない人間だと思っていたからだ.それは償いもあるだろうし,クラスで浮いてしまっている辛さもあるだろうと思う.誰の目も見れなくなった石田くんは辛かっただろうと思う.「これは自分の問題でもあるから」という発言から,西宮さんへの償いは自分の人生の清算でもあったんだろう.人の目を見れなくなった石田くんは人のことを信じられなくなっていた.「俺も自分のことが嫌いだよ.」「西宮には西宮のこと好きになってほしいな.」という発言もきっと本当にそう思っていて,心が辛くなる.過去にしてしまった過ちをきちんと背負って苦しみながらも前を向いて生きているところに尊敬の気持ちさえ芽生える.

こんなことを書くつもりはなかったけど,子供は無邪気で何が悪いかの取捨選択がつかない.だからこそ大人が教えてあげなければならなくて,その役目が教師なのだ.教師大変なのは知っているけど,人の人生の最初のターニングポイントという大事な役目もあるので頑張ってほしい.

表現の方法によっては重くなってしまうテーマを扱っているこの映画だけど,音楽の柔らかさと映像美によってそこまで重く描かれていないところもとても素晴らしい.京都アニメーションが描いてるって今日知った.本当に作ってくれてありがとう.あまり映画のサントラに興味が沸かない(映画の主題に集中しすぎて音楽まで意識が向けられていないため)のだけど,このサントラは欲しくなった.

西宮さんの妹のゆづるは生死にとても紐づくキャラクターで,生き物の死を写す写真,一番の理解者であるおばあちゃんの死,不登校,葬儀場,聴覚障害の姉,夫のいない母,西宮家の中で一番賢く,精神的に大人で苦しんでいたキャラクターの一人だと思っている.石田くんが西宮さんの代わりに落ちてしまい生死を彷徨っていた時の病院での「うちの監督不行き届きのせいです.ごめんなさい.」という発言は,小学生では出ない.少し背伸びをして早く大人にならなければならなかったんだね.偉いよ.

背伸びしないで等身大で生きることを知って,人と正面から向きあうということをしていて,忘れていた人との向き合い方を思い出せた気がした.
最後の場面,映像美が物凄くて本当に観てもらいたい.ただの高校の文化祭なのに天国のような描き方がされていて,その表現が対比的にどれだけ石田くんが今まで苦しかったのかが伝わってくる.そして石田くんが,本当に溢れるように涙が溢れていて,その泣き方で今まで本当に辛いなか,孤独な中,一度は死のうとしたくらいの中,頑張って生きていたんだなと思って,「救われて本当に本当に良かったね」と伝えたくなる.人の目を見れるようになって,自分を信じられるようになって,友達と呼べる人が周りにできて,生きて,生きていけるようになって,本当によかったね,石田くん!


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