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自分の非を認められない教師たち|秀岳館サッカー部

何故自分が悪い/自分に至らない点がある
ときっぱり言える教師が多くないのか

連日報道される秀岳館高校サッカー部の暴行事件を見て思うところがあります。

日大アメフト部のパワハラに関してもそうですが、事件が起こった後の対応が最悪です。

生徒に謝罪動画をアップロードさせる / 生徒に対して「俺は被害者だ お前ら(暴行動画をアップロードした生徒)は加害者だ」と言う

どうして、この教師は自分が悪い と認められないのでしょうか?
また、自分に非がある と認められない教師が多くないのでしょうか・

「1度非があると認めてしまうと教師としての権威が下がって、生徒が自分の言うことを聞かなくなる また、他の教師の権威も下がるので彼らにも悪い影響を与えてしまう」
と考えているからだと自分は思います。

自分の予想ですが、この監督は他の教師からの信頼は厚かったのではないかと思います。
他の教師からすると
この監督が生徒を厳しく接することによって、教師>生徒というパワーバランスを見せつけてくれる 
そうなると、自分も生徒に指導しやすくなる と思っていたのではないでしょうか。

パワーバランスをはっきりさせる という役割の教師はどこの学校にもいます。主に体育教師がその役を担います。

その役割を担う教師は特に自分の非を認めて、パワーバランスが崩れることを恐れるのです。

他の教師は監督の指導に行き過ぎた面があると感じながらも「まぁ彼の指導のおかげで、自分の指導もやりやすくなってるからいいや」という想いがあったのではないでしょうか。

そこで自分のメリットを度外視して「あなたの指導は行き過ぎている」と指摘/批判できる教師がいてほしいものでした。

とはいえ、多くの子どもたちを預かり、長時間の労働に耐え、それに見合った給料はもらえない という教職のストレスを抱えながら、上記のような批判をしてほしい というのは求めすぎかなと思うので
まずは教職の待遇改善をしてほしいものです。

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