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研究室を脱出せよ!【24】ポスドク、分析する。
青木さんからのメールを読み終えると、僕は思わず研究室のビルの屋上へ駆け上った。といっても、別に飛び降りようとしたわけではない。誰もいない屋上は、ひとり物思いにふけるためによく行っていたお気に入りの場所だったのだ。でも、今日ばかりは飛び降りてしまいたい気持ちだった。
本音を言えば、僕はどこかでこの面接はうまくいくはずだと思っていた。ケース以外は非常にうまくいったような気がしたし、そもそも最終の6次面接なんていうのは、あくまでも確認、採用して問題がないかの最終チェックくらいのものだと思っていた。ところが、現実はそんなに甘いものではなかった。
はるかかなたにぼんやりと見える山脈を眺めながら、僕は文字通り途方に暮れた。
こんな日は実験をしても身が入らないだろう。僕は早々と自宅に帰り、簡単な夕食を済ますと、さっさとベッドにもぐり込んだ。
目を閉じると、今までの面接のことが頭をよぎる。楽しかったこと、つらかったこと。もう一度やり直せたとして、今の自分だったら何と答えるだろうか。それにしても、ケースは最後まで満足にこなせなかった。青木さんに言われたことは全部やったが、それでも自分は努力不足だったということか。
あいかわらず頭の中はもやもやしたままだった。けれども、もう駄目だ、お先真っ暗だ、などといった悲壮感は少しずつではあるがおさまりつつあった。不思議なことだったか、同じような気持ちになったことが今までの人生で何度もあったような気がするのだ。ただ、それがなんなのか思い出せない。
振り返ってみれば、戦略コンサルに行けるかもしれない、というそれなりの根拠はあった。自分のやってきたこととの関連性も見つけたし、なにより、インターパーソナルスキルが高いという強みも発見した。そうした条件をもっていれば採用の可能性は高い、というのが僕の仮説だったわけだ。ところが、その仮説はもろくもくずれた。
「仮説かあ。」
僕は思わずつぶやいた。
仮説はあくまでも仮説なので、一連の実験をしてそれが正しいかどうか調べなくてはならない。思った通りにいくこともあるが、うまくいかない場合だってある。だからといって、うまくいかなかったことが悪いのではない。あくまでも、最初に立てた仮説が間違っていたことが分かっただけだ。研究とはそういうものである。とはいえ、半年や1年かけて準備した仮説が間違っていたことがわかった瞬間というのはそれなりにつらい。つらいが、いつまでも引きずっているわけにはいかない。結果を綿密に検証した上で、新しい研究計画の準備を始めなくてはいけないのだ。博士号を取得したということは、これら根気のいる作業をやり遂げ、一つの仕事を完成させたことの証しであるはずだ。それが、博士の底力だ。
今の僕の気持ちは、苦労して仕掛けた実験がうまくいかなかったときとそっくりだった。自慢じゃないが、今まで失敗してきた実験の数ならそうそう負けない自信はある。だとすれば、落ち込みこそすれ、ここであきらめたり、ふてくされたりする必要はまったくないはずだ。今、自分にすべきことは明らかだった。
僕は少しだけ気持ちが落ち着いた気がした。そうして、気がついたときにはいつのまにか眠っていた。
翌朝、僕はいつもよりも早く目が覚めた。一晩寝て頭はすっきしりている。まさに、あたらしい実験計画を練るときと同じ気分だ。
まず、今回の転職活動ではっきりした事がひとつある。僕は、明らかに戦略コンサルが求めている人材ではなかったということだ。青木さんにいわれた3つの能力のうち、ロジカルの部分だけはどうやってもアピールできなかった。一時期、僕はビジネスケースだけで論理的思考力を測る方法に疑問を持っていた。その方法では、どうやったって経営の経験がある人のほうが有利になってしまうからだ。ところがどうだろう。僕が最終的に戦略コンサルに転職できなかったきっかけとなった質問は、「人は何故占いを信じるのか」だったではないか。そこに求められているのは、論理的思考力そのものにもまして、いかに早く正確に答えにたどり着けるかといった、回転力だったり地頭の良さだった。時間をかけて物事を考えるほうが向いている自分には欠けている能力だ。
そういえばコンサルタントの面接官と話をしていると、黒岩さんと話しているみたいだと思ったことが何度もあった。黒岩さんの突然の質問に、僕はいつも立ち止まって考えてしまう。そんな僕にお構いなしにベラベラとしゃべり続ける黒岩さんこそ、地頭の良さのお手本だと思うようになっていた。僕には黒岩さんのようには決してなれない。
もうひとつ、僕の頭にはこの前読んだドラッカーの言葉が浮かんでいた。
「人は弱みに着目すべきでない。強みを活かすべきだ。」
青木さんは、僕のインターパーソナルスキルを評価した上で、足りない部分のロジックを伸ばそうといった。僕もそれを言葉どおりに受け止め、コンビニやファーストフード店の売上の上げ方を毎日考えた。しかし、それで論理的思考力が増したかというとそんな気は全然しなかったし、現実感の湧かない絵空事のようなことばかり考えていても、ちっとも楽しくなかった。同じ絵空事なら、泣けるケースのほうがはるかに面白かったし。
強みを活かす、という点においては、実は僕にはあるひとつのアイディアがあった。戦略コンサルの採用活動を続けているうちに、ふとある考えが頭に浮かんだのだった。そのときは大して真面目に考えてもいなかったが、新しい現実を目の前にして、これは意外と面白いかもしれないなという気がしてきた。ああ、このあたりの頭の使い方も本当に実験にそっくりだ。
だが、まずは青木さんに連絡をしよう。そうして、今まで良くしてくれた感謝の気持ちを伝えよう。
早朝、まだ誰も来ていないラボに着くと、僕はエージェント会社の番号に連絡した。電話はワンコールで繋がった。僕は自分の名前を告げると青木さんはいるか尋ねたが、あいにく青木さんは他の志望者との面談で席を外しているという。折り返しご連絡いたしますということだったので、僕は丁重に礼を述べ、電話を切った。また新たな志望者がこの瞬間にも長い戦いを始めようとしているのかと思うと、思わず応援したいような気持ちになった。
そのとき突然、居部屋の電話が鳴った。
僕は嫌な予感がしたが、部屋には僕しかいないので取らないわけにはいかない。電話の相手は案の定、田所教授だった。ちょっと話したいことがあるから教授室まで来てくれとのことだった。僕は特にお話することはありません、とでも言いたかったが、黙って向かうことにした。
教授室に入ると、田所教授は僕がミーティングで発表した資料をPCで見ながら難しい顔をしている。
「ああ、ケンドー君。ちょうど良かった。ちょっと聞きたいことがあってね。」
田所教授はそういって、先日僕が発表した資料のデータを指差した。
「このウエスタンブロッティングの結果なんだけどね。僕はいまいち良く分からないんだ。何故、蛍光プローブ分子では検出できる発現変動が、この実験では再現できないのかっていう問題は依然として解決してなかったですよね。」
そういって僕の目を見つめた。
その件に関しては前回ミーティングでお話したはずですが、と喉元まで出そうになった言葉を飲み込んだ。
教授の言うとおり、タンパク質の発現量を調べることができるウエスタンブロッティングと、遺伝子発現をモニターする蛍光強度とは、異なる結果を示していた。そのことはこの研究に着手したごく初期のうちから明らかになっていた。ただ、このデータでは田所教授は満足しないだろうと考え、しばらくは伏せていたのだ。そうはいっても、何度やっても同じデータしかとれないし、さすがに隠し切れるものでもなかったので、前回のミーティングで発表することにしたのだ。その結果を見て、田所教授は案の定不機嫌そうなな顔を見せた。
僕に言わせれば、mRNA量とタンパク質量が異なるなんて不思議でもなんでもないことだった。そのことを何度説明しても、有機合成化学が出身の田所教授は理解し難いようだった。というか、こんな基礎的なことは専門も何もあったものではないと思うのだが、田所教授は分子生物学の基本的な内容を驚くほど理解していないことがあるのだ。そのことに気付いて以来、僕は田所教授と研究の話しをするのを極力避けるようにしていた。
「とにかく、このままだとストーリーがうまくつながらなそうですよね。そこでですね、三井君に手伝ってもらおうと思って、それでケンドー君を呼んだんです。幸い、彼もケンドー君の研究を非常に面白いといっていてね、お手伝いできることがあれば喜んでといっている。悪いんだけれど、時間のあるときに彼にサンプルを渡しておいてください。」
田所教授は要件だけいうと、あとは「よろしく」といって何かの執筆作業をはじめてしまった。
僕は教授室から逃げるように退出した。居部屋に帰るあいだ、ついに恐れていた日が来たな、と思った。正直な話、僕の研究に対する情熱は転職活動を始めるに従って少しずつ下がっていた。だから、自分の研究が誰かに引き継がれることになったとしても、それはそれでいいかな、とも思うようになっていた。しかし、それが三井さんになると思うと、どうにも釈然としない気持ちだ。こうやって、また三井さんだけが焼け太っていくのだろうか。
ただ、ウエスタンブロッティングの実験に関しては何度も同じ結果がでている。その点に関しては三井さんもどうにもできないだろう。田所教授の思い込みで、また僕たちの時間がちょっとずつ無駄になるだけだ。それでも、こうやって何かの実験を手伝ってもらうのをきっかけにして、三井さんの影響力が次第に大きくなっていき、やがて誰のテーマなのか分からなくなっていく。それが今まで田所研で繰り返されてきた事だった。
そんな事を考えていると、携帯が鳴った。ディスプレイを見ると青木さんからだった。
「お世話になっております、青木です。先ほどはお電話をいただいたようで、すみませんでした。兼道さん、昨日は大変残念でした。」
そう言って、青木さんは心から残念そうな声を出した。
「いえいえ、こちらこそ、せっかくのアドバイスを活かしきれず、本当に申し訳ありあませんでした。」
僕はそういって今までの礼を述べた。今まで学んだ事を参考に、違う業界を志してみようと思っている。そう伝えると、青木さんは意外なことを言った。
「ちょっと待ってください、兼道さん。今回、残念ながらお見送りとなってしまいましたが、まだ諦めるのは早いです。」
そういって、青木さんは今後の戦略について説明してくれた。
今回僕が受けた戦略コンサルは非常に人気が高く、難易度も高い。そう簡単に内定が取れるような業界ではないのだという。世の中にはこうした企業以外にも、事業戦略に関われるようなコンサルティング会社はいくつかあるのだという。そうした企業にチャレンジしない手はないという。ただ、その場合は問題点があるという。
「こうした所は、どうしても即戦力を欲しがる傾向にあるんです。やはり事業経験があって、経営戦略室にいたような人が採用されやすいのは事実です。ただ、そこは兼道さんのお持ちのポテンシャルと、ロジックを強化していくことで乗り切ることもできると、わたしは考えています。」
青木さんの言葉を聞きながら、僕は今朝考えたことを思い出していた。
青木さんは信頼に足る人ではあったが、その分析は明らかに間違っていると思った。事業経験が重視される業界で、ポスドクがいきなり採用される可能性はかなり低いだろう。
それに現実的な問題もあった。筆記試験から数えると、東京までの交通費が20万円近くかかっていたのだ。面接に当たって、交通費は支給されなかった。戦略コンサルは気前がいいと思っていたが、入社したいといってくる人間に対しては意外と渋ちんだったのだ。受かるかどうか分からないコンサルの採用面接に、これ以上お金も時間も費やすわけにはいかなかった。
僕は少しだけ悩んだが、結論はすぐに出た。
「大変申し訳ありませんが、やはりこれ以上コンサルを受けるのはやめようと思います。」
その言葉を聞いて、青木さんは考え直す気はないかと強く促したが、僕の決意が硬いのを知ると引き下がった。
「兼道さんのおっしゃることも良くわかりました。残念ですが、兼道さんの満足される道をお進みになることがいいかもしれません。それにしても、この度はお力になれず本当に申し訳ございませんでした。」
そういうと、青木さんは電話越しでも分かるくらい深々とおわびの言葉を述べた。それに対し、僕も丁重にお礼の言葉を述べた。
僕は思った。実験も転職活動も、常に重要な決断を要求される、と。
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