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研究室を脱出せよ!【30】ポスドク、つむぐ。

面接は、その企業の日本本社、東京にあるオフィスでおこなわれた。

僕の目の前にいる面接官は二人、向かって左側、眼鏡をかけて柔和そうな表情を浮かべている人が高橋さん、右側にいるのが長身でがっしりとした体格で厳しい顔つきをしている田村さん。どちらも現場をまとめるポジションにあるという。

「志望動機を拝見させていただきましたが、もう一度、わが社のこのポジションを志望される理由について伺ってもよろしいですか?」

高橋さんはにこやかに、優しい口調でそう言った。その間、田村さんはじっと黙って書類の方を眺めていた。

僕は、研究をしていく上で他者と関わりながら問題解決をしてくことに喜びを見出したこと、ポスドクとして培った様々なスキルが技術営業として顧客とコミュニケーションを取るうえで極めて大事であること、などを話した。高橋さんは、うんうん、とうなずき、にこやかに僕の話を聞いている。一方、田村さんは表情を崩さず、うーん、といいながら手元の書類になにか書いている。

僕の一通りの説明が終わると、高橋さんは「なるほど、わかりました。」といって、次の質問をしようとした。

「あの、ひとつ例え話をさせていただいてもよろしいですか。」

そういって僕は高橋さんの言葉を遮った。僕の声を聞いて、その日始めて田村さんが顔を上げた。興味深そうな、好奇心が垣間みえる表情だった。

「これは私の考えなんですが、研究というのは山に登るようなものだと思うことがあるんです。道のりは厳しいですし、そもそも道がないこともある。でも、そうやって登ってたどり着いた頂上から眺める景色は素晴らしいものです。それは、研究者として実験などに携わったものしか味わうことのできない体験だと思うんです。」

僕の話を聞いて、高橋さんが口を開いた。

「なるほど、そうですね。確かに研究者という道はなかなか厳しそうですね。」

「ええ。それにもまして、頂上にいくにつれてどんどん人がいなくなっていくんです。先ほどもお話したように、私はどちらかというと人と関わるような時の方が楽しいと思うような性格であることに気づいたんです。」

相変わらず田村さんは黙ってこちらをみていたが、目は僕の顔をしっかりと捉えていた。

「本格的な山に登るには、かならず山小屋に立ち寄ると思うんです。」

「山小屋?」

僕の話が急に飛んだためだろうか、ふいに田村さんが声を出した。

「ええ、山小屋です。私は今回のこの技術営業というポジションを、山小屋の主人のようなものだと考えるようになりました。山の頂上を目指す登山客に、サポートやアドバイスを送り、安全で快適な登山をしてもらう。そういったポジションなのだと考えているんです。」

「なるほど、山小屋の主人ですか。」

田村さんの表情が少し緩んだ。

「はい。ただ、もしその大事な役割をもった山小屋の主人が、一度も山の頂上に行ったことがないとしたらどうでしょう。登山客は不安になってしまうと思うんです。私はポスドクとして、短い期間でしたが頂上の素晴らしい景色を眺めるという経験をさせていただきました。これからは山を降り、この体験をひとりでも多くの登山客に味わってもらいたい。そのためのサポートをするお仕事をさせていただこうと、そう思っております。」

僕の話を聞き終えると、田村さんは声をだして笑った。

「ははあ、なるほど。いやあ、兼道さん、あなた面白い方ですねえ。」

そういって、高橋さんの方を見た。高橋さんも、表情をくずして笑っているようだった。

それからのやり取りは、非常に楽しい時間となった。面接の終盤、

「研究者としてアカデミックから離れることについて、悔いはないんですか?」

と、田村さんはざっくばらんな感じで質問した。僕は、自分の素直な気持ちをしゃべった。

「研究者として残れなかったことは残念な気持ではありますが、悔いというのはあまりないんです。あの、これも例え話なんですが、なんていうか、初恋が叶わなかったというか。」

「初恋!?」

高橋さんと田村さんはそろって声をあげた

「ええ、初恋というのは必ずしも成就するものではないですよね。だけど、それが叶わなかったからといって、相手を恨んだり、自分の振る舞いを後悔したり、そういったことってないと思うんです。そういう意味では、アカデミアは僕の良き初恋相手みたいなものなんでしょうか。」

ちょっと臭すぎたかなあ、とも思うのだが、それが自分の気持を一番正確に表現していると思っているので、素直にそのまま伝えることにした。

「そうねえ。初恋かあ。なんだか兼道さん、それこそアカデミア向きではなかったかもしれないですよね。いや、いい意味ですよ。もともと我々よりの人間だったような気がしてきましたよ。」

そう語る田村さんの表情は明るかったが、冗談をいっているようなふざけた感じではまったくなかった。

1時間の面接はあっというまに過ぎた。僕は丁重に礼を延べ、面接室を後にした。

面接が終わると、すぐに清水さんに連絡をした。

「最初は少し緊張したんですが、後半は非常にいい雰囲気でした。自分の考えていることも素直に伝えられたと思います。山小屋の話がよかったのかなあ。」

僕は興奮気味に一気にそう伝えた。

「なんですか?山小屋って。」

清水さんは怪訝そうにそういった。僕はあわてて、先ほど話してきたストーリーを清水さんも伝えた。

「なるほどねえ。考えましたね。でも、とってもすてきな表現です。なにより兼道さんが、今回のポジションに期待されている役割を正確に認識している、っていうことが良く伝えられたんじゃないかな。」

清水さんはそういって僕をねぎらってくれた。

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翌日、清水さんからの連絡が早速きた。電話越しの清水さんの声は弾んでいるようだった。

「おめでとうございます。一次面接、合格です!いやー、良かったです。」

清水さんは続けた。

「で、ですね。次回は最終面接になるそうです。お相手は日本支社長、アメリカの方です。」

僕はその言葉を聞いて、拳を握り締めた。とうとう最終面接、しかも英語だ!

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