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研究室を脱出せよ!【1】ポスドク、打ちのめされる。

「そんなことやって意味あるの?」

田所教授の甲高い声が会議室に響き渡る。
不満げな表情の黒岩先輩。そして、しばしの沈黙。

降りしきる雨の音が、部屋の中を重々しく包み込こんで、静寂が一層際立つ。

何か言おうとする黒岩先輩を、田所教授が畳み込むようにして言う。

「こういう研究って、誰かやったことあるの?」

研究者にとって、この質問は簡単だ。世界で初めての研究です。ザッツイット。それだけ。でもこのラボでは違う。アメリカのどこどこのラボが同じようなことをしていますので、実績のある手法だと思います。これが正解。でも、黒岩先輩は違った。ため息をついたような、気のない顔で答えた。

「いや、こういうアプローチを取るのは、これがはじめてだと思います。それによってですね、今までに明らかにすることができなかったこのタンパク質の、、」

「そうしたらですよ?」

田所教授はわざとらしい敬語で黒岩先輩の言葉を遮った。

「そうしたら、どうして世界中の人がやってできなかったその研究を、あなたができると思うの?」

黒岩先輩はこの質問に答えるかわりに、アメリカ人みたいに肩をすくめて、あとはむすっと黙り込んでしまった。

「とにかくですね。先ほどから言っているように、うまくいくかどうかも分からないような研究に時間を費やさせるようなことは、責任者としての立場の僕からしても認める訳にはいかないんですよ。もちろん、うまくいったとしたらそれは素晴らしいことですよ。ただ、三井くんの研究みたいに、いつでも結果がでるとは限らないし、うまくいったとしても彼ほどのインパクトのある仕事になるかどうか...。」

そういって、田所教授は三井さんの方に視線を向けた。三井さんはというと、どこ吹く風といった様子ですましている。口元はかすかに歪んで、笑っているような、何かを小馬鹿にした様な、そんな顔をしている。この、色白でメガネをかけている、研究室では助教という立場にある三井さんという人が、僕は大っっきらいだ。死ねばいいのにと思ってる。シネッシネッ。

とか念力を送っていたら、机の上においてたノートと筆箱一式が袖にあたって床に落っこちた。派手な音をたてたものだから、会議室にいた人の視線が一斉に僕にそそがれて、その中に三井さんの鋭い目つきもあったものだから、慌てて目をそらした。

「すみません...。」
そうつぶやいて、慌てて机の下に落ちた鉛筆を拾うことにした。頭上から田所教授の言葉が聞こえる。

「...まあそういったわけで、とにかく今日のところはこれ以上話してもしょうがないから、もう少しじっくり考えてきてください。他に質問は?なければ今日のミーティングは以上です。」

そういうと田所教授は慌しく席を立った。そのあとに続くように三井さんが、そうしてラボのメンバーが次々と席を立つと、みな続々と部屋から退出していく。僕はというと、ようやく最後の一本となったシャーペンを筆箱の中に積め終わったところで、気づいたら最後になってしまっていた。

一人取り残された会議室に、先ほどからより一層激しくなった雨音が響く。プロジェクターを片付け、部屋の電気を消し、あらかじめ渡されていた鍵を使って戸締りを確認しつつ、こんなことを思った。

(これは、とんでもないところに来てしまったかもしれない。)

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