官民協働事業レビューに学生委員として参加して来ました
8月27日(土)に富山県の官民事業協働レビューに県内の大学生として参加をして来ました。僕は本当に貴重な経験をさせて頂いたと感じると同時に文字に起こして振り返れるようにしたいと思ったので、早速noteにまとめることにしました。
まず官民事業協働レビューとは何であるのか?について説明します。僕はこの件のお話を頂いて、初めて存在を知りました…。
ざっくり申し上げると、行政が県の税金を使って行う事業や予算提供に合理性があるのか客観的に評価する会になります。公式な説明は下にある県のHPからご覧になれます。
僕はこちらに大学教授からお声掛け頂いたことを最初の切っ掛けとして出席することになりました。他の動機として、就職活動の際に公務員になる方向性を全く考えていなく、県庁はどのような事業を行っているのか興味深く、参加する運びになりました。ですが、そうした些細な動機付けがおこがましい程、学びが多くありました。教授には心から感謝しています。
僕がここで何をしていたのか申し上げると、一学生として何かしらのツッコミを入れるような役割でした。「これはどうしてこうなのですか?」等と、少しでも議論を前に進めて、皆さんが適切な評価を行えるように、僕なりに考えに考えて発言していました…。
全容を書き留めると膨大な量になるので、この回に出席して良かったと思う事が幾つかあるのですが、それを3つに絞って書こうと思います。
1つ目は客観的な視点を持って、課題を発見し、それを解決できる道筋を描く方はカッコいいなと思いました。
事業や予算の効率化の改善を目的にしているので、当然課題はあるかと思います。しかし、コーディネーターをされていた構想日本の伊藤伸さんや他の3名の委員の方は、鋭く根本を問い直す視点でのご指摘や意見を述べられており、心から感銘しました。実際に、それらを聞いていて「なるほど」と唸るものばかりで、評価の意義をしっかりと提供されていると感じました。僕はそれらを参考にして、意見や質問を述べていたのですが遠く及ばないと身に沁みて実感しました。
恐らく、ここで議論に上がった内容はそのまま県庁の方が、事業の再編や予算の見直しをする上で大きく役立つのだと明確に想像できます。なぜならば、どのように解決するべきであるのかについての道筋まで、委員の方は提言されていたからです。
僕もこのような方たちに少しでも近づけるように頑張りたいです。
2つ目は目的の明確化の重要性です。
どの事業も目的に沿った事業や予算の割り当てが行われていました。しかし、委員の方が「その目的に妥当性があるのか」を指摘されると、職員の方はかなり困っておられる様子でした。素晴らしい既存の目的であると僕は思っていたのですが、まだまだ洗練できる余地があると委員の方は常々仰っていました。そしてその目的が明確でないがために、ドミノ倒しのように次々と事業での穴が見つかってきました。この時間は特に学ぶ事が多かったなと個人的に思っています。
何かをやる上で磨かれ抜いた目的に沿って、あらゆる手段を行うからこそ、事後評価がよりしやすく、そのお陰で事業や予算の割り当て自体への合理性も担保されるのではないのかと感じました。
3つ目は富山県民の帰属意識を高めることに直結すると思いました。
普段富山県に住んでいる中で、この県で集められた税金がどのような用途で使われているのか中々把握できないと思います。そもそも労力を使って、把握する事の方が珍しいと考えます。しかし、この官民協働事業レビューでは合計20もの事業を4日間に分けて精査していくので、1日参加するだけでも大きな気づきが得られると思います。「あのイベントは県が支えてくれていたんだ」「富山県のあの産業が全国で闘えるのは県庁が大きく貢献されているのだな」と幾つもの気付きが散りばめられています。僕は率直に行政に対して、改めて感謝をしなくてはならないと思いました。
そしてそれらを聞くことにより、改めて富山県と言う場所がより良くなるためには、どのような要素が必要であるのか考える必要性を全員がヒシヒシと抱くと思います。なぜなら目の前で熱く県のことを想い議論されている方がいらっしゃるからです。つまりその熱にいい意味で巻き込まれると思います。
僕は現在大学4年生であり、来年から23年間生まれ育った富山県を離れて、民間企業で働きます。しかし、こうして僕の出身地である富山県のために尽力されている方々がいらっしゃる事実を忘れずに、一生懸命働いて力を付けたいと思います。そして、そこで培った力を持って、富山県を良い方向に数mmでも傾けられるようにしたいなとジワジワと感じてきている次第です。
最後に、2022年8月27日(土)富山県で行われた官民協働事業レビューに携わった皆様へ
至らないことが多い平凡な学生である自分を受け入れてくださり誠にありがとうございました。僕が大人になったら皆さんのように、若い世代を温かく受け入れられる器が広すぎる人になれるように精進します。