直接会うまでは「いい人だ」と思われてしまう私・・・と思えてしまう自分・・・が、「対面」という行為を考える。(妄想回。笑)
皆様、今回はスルーで結構です。笑
いきなり「なんのこっちゃ?」ってテーマなので、自信がない。笑
メタ視点が重なった様子を、コトバに表したかったのだが・・・余計、ややこしくなっちゃった。
ま、今回は、そんな話。
随想回というか、妄想回?なので、文章、とっちらかってます。
脈絡とか全然考えてないので、読みにくかったら、ごめんなさいね。
表題について、順を追って、解きほぐすと。
まず、私という人間は、
会う前は「結構いい人なんじゃない?」と思われてしまいがち。
しかし、いったん会うと、
「いい悪いって以前に、めんどくさい人だな」と思われてしまう。
・・・とまあ、ちょっと被害妄想的なニオイがするのだが。まあさておき。
そんな自分について、考えてみよう!
ってこと。
これも最初に言っとこう。このお話の行き先は、
人生長いし、世界は広いよ。のらりくらり、のんきに行こうよ。
ってこと。
そこが終着駅でございます。
今日もまた話がややこしくなる予感が・・・
てわけで、結論からね。
イイタイコトは3つ。
①「直接会わない方が、人として、認めてもらいやすいよね」ってタイプの人間って、世の中にいるんじゃないかなー。
って話。
要は、私のことだっ!笑
(まあまあ、そうだとしておこう。事実はわからないが笑)
はい次、2つ目!
これは、1つ目の派生というか、つながってる話なんだけど。
②そう言う人間にも、そう言う人間なりに楽しめて、自分を認めてもらえるような、新たなコミュニケーションの世界とか、やりとりが、開けてくるんじゃないのかな?
って話。
例えば、このnoteもそうなんだけど。
他にも、メタバースみたいな仮想空間でのコミュニケーションがもっと充実してくると、アバター(分身)同士で交流すればいいわけだからね。
直接会うことに抵抗のある人は、その距離感の中で、人と交流していった方が、人と人、ひいては社会との関係を、建設的に作りやすいんじゃないかな。
ってこと。
てか、もうそういう人、ずっと昔から、すでにいるよね。
私が知ってる人では。
すごく有名なクリエイターさんなんだけど、「この人の顔とか正体とか、実は全然知らないんだよね」って人。
でも、作品っていう創作物で、ちゃんとその世界で認められている。
というか、今や、圧倒的な人気者である。
自分を認めてもらおうとするのに、
自分という個人の「全て」をさらけだす必要なんてないんだよ。
知らなくていいことだってある。
プライバシーとかね。
むしろそういう面の方が、人間、たくさん持っていたりするはず。
それが、ちょっと広がるというか。
自分自身を出す、その出し具合を、さらに細かく調整していけるんじゃないの、って話。
・・・・うーむ。わかりやすく伝わったかなぁ・・・?
3つ目。
③会うと幻滅されちゃう人って、「幻滅されちゃう人間」ってのが、どこかにいるわけじゃない。
つまり、絶対的な存在じゃなくて。
もしかして、相対的な、個性対個性のあいだの関係で決まってくるものなんじゃない?
ってこと。
つまり、例えばね。
私という人間は、一般的な大人社会の中では、めんどくさい人間だと思われる。
ただね。そういう人も。
世代や、人種、文化圏、あるいは人間以外の世界、地球人以外の社会(笑)によっては、「けっこう人気者になれんじゃない?」
ってこと。
つまり、
「めんどくさい人間」ってのは、その人固有の性質じゃなくて。
相手との関係次第で、「いいやつ」にも「やなやつ」にもなりうるんじゃない?
ってこと。
そう考えれば、
すべての人に、好かれたり、認められたりする必要なんて、ないよね。
というか、
実はそんなの、だれだって無理でしょ?
それがわかってくる気がするんだよね。
例えばね・・・
いい感じにその相手のことを思ってるのに、直接対面してしまうと、なんだかギクシャクしてしまう人って、いません?
その人を嫌うどころか、むしろいい関係になりたい、と思っているのに。
いざ、会ってみると、「なんだかなー、どうしてこうなっちゃうんだろう」って。
そんな関係、ありますよね?
・・・え、「わかりにくい」?
うーむ。
じゃあ私の例で言うと。
私、人間社会ではあまり人気はないんだけど。
動物たちには、めっちゃ人気者なんだよねー。(ムツゴロウさんかい笑)
ま、人気者っていうか、嫌われた経験がないってのかな。
こっちが心を鎮めて待ってれば、
相手の方から「にゃーん」って寄ってくる。笑
って、そう言う感じ。
・・・・え、「ますます、わかりにくい」?
ま、まあ、そうかもしれない。
自分でも、あんまり説得力を感じなかったから。
むむむむむ・・・・。汗
今日のまとめ!(←ムリヤリ)笑
と、まー、よーするに!
ムリヤリだが、まとめよう。
何が言いたかったか、っていうと。
たかだか目の前の小さなコミュニティで、うまくいかないことがあったとしても、それだけで、「人生こんなものだ」とか「この世界なんて、この程度だ」とか、絶望しちゃうのは、ツマラナイよ!!
ってこと。
それ、イチバン言いたかったの。
世界って広いし。
自分を耕しつつ、長く生きてれば。
楽しい世界とか、自分を認めてくれる世界なんて、けっこう見つかるものだよ。
ってこと。
それこそ、SNSとか、メタバースでもいいんだよ。
「自分がそこで認めてもらえる」って世界が見つかれば、やっぱ人間、気持ちいいじゃん。
簡単に、人生、あきらめちゃ、ダメ・・・もとい、ダメというか、「つまらないよ」ってこと。
まあ、あれこれとアセらせちゃうのが、悲しいかな、今の日本社会なんだけどね。
行き詰まっちゃってる人は。
できることなら。
とにかく、時間をかせごうよ。
目の前のややこしい現実を、思うようにいかないことも、人生、多いけどね。
乗り切ろう、と言うか、時間をかせごう、ってこと。
のらりくらり、なんの成長もないような毎日が続いたってさ。
そんな日々にも意味があったんだ、って、振り返れる未来がくるものだよ。
「待て。しかして、希望せよ!」
最後に、「モンテ・クリスト伯」(アレクサンドル・デュマ作)の終末の言葉を。
人生、忍耐と希望だな、って思います。
忍耐といっても、苦痛で鬱屈してることばかりじゃなくって。
「明日、1日、平穏無事に、生きながらえること。」
のらーりくらりで、いいと思うんですよね。
その積み重ねの中で、楽しい世界って、どっかで出会えると思いますよ。
なんか、とりとめない話でおわっちゃいましたね。今回も。
すみません、いつも・・・
2024.11.22