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野生を味方にすると、生きづらさから解放される。


今日、ひさびさにトレイルコースを歩き直し、瞑想しながら、改めて感じた。

野生を取り戻さなくてはいけない、と。

そういえば、以前も、こんなことがあった。
4年前。世界的な疫病流行で日常の常識がひっくり返った、あの頃だ。
あれもできない、これもできない、と模索しながら、ひとりでに、ソロキャンプ、小屋造りなど、興味を深めた時期だった。
それまで続けてきたプールも使えなくなったから、トレイルランも始めた。

つまり、

生きることへの危機感が、それらの行為に目覚めさせてくれたのだ。


結果的に、あの一連の経験は、私にとってはよかった。
まさにケガの巧妙だった。
「こんな時もあるさ。大丈夫、生きていけるさ。」と
「なくてもないなりに、生き残れるさ」と。

私はあの騒動により、むしろ生きることへの自信がついた気がする。
事実、あの頃、普段忘れかけてた体の使い方も、目覚め始めた。
文明の利器に浸り、水泳でカロリー消費しているうちは気づけなかった感覚だ。

自分が生身の人間、動物であること。
その根っこには、本能には、やはり野生というものが潜在している。

もちろん、現代、この時代でもだ。
それを実感として、理屈じゃなくって、感じさせてもらえる契機になったのだ。


今日も歩いている最中、体と対峙し、体と対話しながら、そんな境地に数十分間、浸ることができた。
そしてなんだか、言いようのない安心感を覚えた。

「だいじょうぶ、何があろうと、生きていけるさ」と。
仕事、経済、健康。どんな不安があろうと、生きることに食い下がっていける、と。


時々私は、ある自転車選手の、エナジーバーの広告の写真を思い出す。
土砂降りの雨の中、瞳だけが野生動物のように爛々と輝き、
激坂のさきを睨みつけつつペダルを漕ぎ続ける、あの姿。
あの映像に、勇気づけられる。
そして自分を、おのずと重ねたくなる。
だから私自身、雨まみれ、泥まみれの中で、黙々と運動や作業をするのが好きだ。
汗を流し、息を切らしながら、でもだ。
自分の中にある野生が目覚める、そんな気にさせてもらえる。
そしてそんな時。
大地や自然や大空が、自分を味方し、支えてくれているかのような、なんともいえない悠々とした安心感を得ることができるんだ。

2024.8.31



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