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10÷3=の答えは、なにげない友情。(塾通いの思い出④)
バスターミナルから電停に向かう途中の道。
日曜日のお昼には、ソースの香ばしい匂いが漂っていた。
たこ焼き屋が、お店を出しているのだ。
普段の塾通いでそこを通る時は、いつも閉店時間を過ぎている。
しかし、日曜の塾通いにかぎっては、営業中のお昼ごろ、そこを通るんだ。
午前中の授業から解放され、ちょうどお腹が空いているタイミングでもある。
私たち通塾仲間は、いつもその香りに誘われた。
そして、少ない持ち金を出し合って、割り勘で買い食いをしていたんだ。
たこ焼きは、確か300円。
通塾仲間は、いつもだいたい3人。
一人で300円出すほどの余裕は、誰もなかった。
だけど、一人100円ずつ出せば、一皿買える。そうしよう。
しかし。
たこ焼きの数は、10個入り。いや、8個かな。
とにかく、割り切れない数だったんだ。
10÷3=3あまり1
8÷3=3あまり2 だ。
そこでどうしてたか。
実は、そこんところは正直、よく覚えていない。
昼前のデパート付近の中心街。通行人も多い。
次の電車に間に合うためには、座って食べてるような場所も時間もない。
ただ、確かなことは。
電車が来る頃には、なぜか、たこ焼きはキレイさっぱりなくなっていた。
たこ焼きは3人のお腹の中にすっかり収まり、お皿すら手に持ってない。
そして、3人ともほくほくとした表情で、電車に乗り込んでいたんだ。
うーむ、どうしていたんだろう?
記憶の限りでは、だ。
「今日は◯◯が食べよう」
「今日は自分はいいから、◯◯に譲るよ」
てな感じで、いつの間にかしぜんと、一人一人の個数が決まってしまう。
だから、毎度毎度、すんなりと、分け前は決まっていた。
相談なんか、するまでもなかった。
そうか、だから記憶がないんだ。
そういうふうに、覚えてる。
まあ、もしかしたらジャンケンくらいは、した日もあったかもしれない。
しかしそれも、時々ごく稀にだったと思う。
とにかく、記憶にないんだ。
そもそも、バスから電車へ移動している最中の、慌ただしい合間のことだ。
ジャンケンどころか相談してる時間なんて、なかったはずだから。
ましてや、取り合いのケンカになったなんて、一度すらない。
ケンカになる前に、誰かが必ず一歩引いちゃう。「いいよ、食べて」って。
だから、ケンカになんか、絶対なりっこなかった。
そういう呼吸感が、ごく自然に、フツーに、いつでもあったんだ。
不思議なものだ。
10÷3は、教わっている算数では割り切れない。
でも、友達同士の友情という関係の中では、いつも答えは、瞬時に出せていた。
10÷3なんて計算自体、あの場でやった試しなんてなかったはずだ。
![](https://assets.st-note.com/img/1731255939-8ctqPAubBNZprmkC2XR4YaFv.jpg?width=1200)
美味しかったけど、そういう友達とのやりとりそのものが何より楽しかった。
他にも、ちょいちょい買い食いはしてたんじゃないかな。
当時、あの中心街で1件だけあったマクドナルド。
そこでハンバーガーか何か買った時も、そんなノリだった。
たこ焼き同様、少ないお金を持ち寄り、分け合い、密かな楽しみを味わう。
買い食いなんて、当時の親たちは、まず、いい顔はしなかったろうから。
でも、その秘密の感覚が、楽しさをいっそう際立たせていたんだ。
あの頃は。
何となくの呼吸感で、仲間同士が自然と思いやり、譲り合っていた。
逆に、何となくの呼吸感で、遠慮もせず、もらうものは素直にもらってた。
そんな気を許し合える関係が、私たちの間にはあった。
「友情」だなんて気張った意識すら、お互い持っていなかった。
ただ、「何となく」って関係だ。
すべてが、「何となく」「何気なく」うまくいってた。
今考えると、ああいうのが、本当の厚い友情の実像だったんだろうと思う。
目に見える友情ってのも、もちろんあるとこにはあるんだろうけど。
私たちにとっては、その「なにげなさ」こそが、大きかったんだな、きっと。
こどもの時って、不思議だ。
そういう関係が、たいした決め事や話し合いもせず、いつの間にか作れちゃう。
そういうことも、塾通いの中で、いつの間にか教えてもらえていたんだな。
みんなと、いつまでも、あんなふうにいられればよかったのに。
この世界も、みんながお互いに、こんなふうに回ればいいのに。
時々、ふとそう振り返る時もある。
残念ながら、今では、その友達との付き合いは、もう一人もない。
私自身、家庭の都合で引越しが重なったせいもあったのだろう。
あるタイミングを境に、いつの間にか、自然消滅してしまった。
皮肉なもので、何気なくできた友情だったからこそ、別れもまた、あれこれ引きずらず、さっぱりと別れてしまったのかもしれない。
でも。
せめて別れの時くらいは、もっとしっかり一人一人と向き合うべきだったかな。
いやいやそれは、後からどうにだって、言えることだ。
どのみち、ああいう風にしか、展開しようがなかったんじゃないかな。
私たちの独特の、仲間感覚というか、友情感覚のあいだでは。
そうしかならなかった気がする。
でも、いつかもっと自分の手が動くようになったら。
そんな思い出を、イラストなりなんなりで、描きとめておきたいな。
あの頃にしか体験できなかったこと。
もう二度と戻ってこない時代。
かけがえのない一場面一場面だからこそ。
2024.11.11
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