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おなかがいっぱいになれば、みんな仲良くなれる。(真理!笑)

「あ、私、今なんか、すごくいい事言ったぞ!」

きのうの仕事中、自分でもびっくりするくらい、いきなり口をついて出た言葉だ。

お互いがお腹いっぱいになれば、喧嘩も起きない。戦争も起きない。
仲良くなれるものなんだよ、きっと。


そうだ。

世界平和のためには、まず、みんなが満腹になる事だ。


いや、笑い話じゃなくて。
かなり真剣な意味で、そう思ったよ、今回は。
うーむ、でもこれ、どっかで聞いたような話だな。
ああ、そうか。
某国民的幼児アニメの作者さん。
おんなじようなこと言ってたな。

お腹をいっぱいにしてあげられるヒーローこそが実は世界最強なんだよな。

そうだそうだ、確かにその通りだ。
うーむ、深い。深いぞ、あのアニメは。国民的人気の理由もわかる。

幼児は、本能で、「幸せにとっての味方か敵か」を見極めるからね。


同じ意味のことを、大人風にいえば、「貧すれば鈍する」ってやつだ。

国が、社会が貧しくなるから、人々の心が殺伐となる。
まずは、みんなが豊かになることだよね。

幸せな、平和な社会を作るにはさ。


さあ、こっからは、理屈っぽくなってくるぞ・・・
ややこしい話のキライな方は、ここまでで終わらせておこう。
では、ひとまずここまで。
2024.9.26


さて、お話の続き。

まあところで、しかし、こんな単純明快な真理を、なぜ大人は忘れてしまうのだろうかね。
余計なことばかりは、小賢しく狡猾に、時に強欲なるのにねぇ。
(もちろん、全ての大人が、と言うわけじゃないよ)


・・・・これね、もっと掘り下げるならば、すごく根の深い話にもなってくる。

それは、心の満腹加減、ってこと。

みんなが、ほどほどの豊かさで、心が満たされればいいのにね、ってこと。

「小欲知足」というたしなみを、いかに個々が体得できるか、って問題だ。

でもそうなってくると、さらに問題はややこしくなる。
それは、

人として健康的で幸福感のある欲求の程度とは、どの程度のものなのだろう?


究極、そこが、問題の本質となってくるんだろうな。
いつか、社会的にそこが大きなテーマとならざるを得ないだろう。
もちろん世界的に。
と言っても、本格的に思索されるのは、何十年も先のことだろうけどね。
我ながら、時代を先取りしすぎてしまってるのだが。

個人の価値観の問題は、難しい。
根が深い。
変わりゆくのに、あまりに時間がかかる。

でも、目を逸せない問題だ。
少なくとも、現代の日本人の不幸感の蔓延の一端は、そこにあると言える。

欲望が限りないからこそ、モノや金で満たされても満たされても、まだ不満なんだ。

稼ぐコト、モノを獲得する日々を、いつまでどこまで続ければいいのか。
そのゴールが、まるでわからない。

これは、富や食料という物量の、絶対量の問題ではない。
「富の再分配」なんて問題も、その根源は、ここに及んでくる話だ。

これはあくまで理想だが。
皆が「満たされる感覚」になれればいいのにな、おそらく。
てことは、手っ取り早いのは、

人自身が賢くなり、嗜み、節制という感覚を獲得すること。


まあ、ざっくり乱暴に結論づけちゃえば、それが理想と言えば理想なんだけど。
しかしこりゃ、ますます、難しいね〜。
個人の価値観であり、哲学、信仰にまで及ぶ問題だからね。
ややこしい、ややこしい。
まさに沼だね。
イチバン立ち入りにくい領域だ。
でもそこから目を逸らしている限り、これらの問題は永遠に解決できないのだろうな。

ドロドロした結末になってしまった。
しゅまぬ・・・

2024.9.26


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