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たまには、ぼっち旅。広島の巻。

広島といっても観光地ではなく、母校の近辺だけですが。
しかも訪問したのは、数年前です。
私の家族は転勤族だったから、この町にいた期間は、わりと短いものでした。
でも、こどもの頃の一番楽しい思い出といえば、やっぱりこの町。
この日は、母校をゆっくり見てまわり、他所はざっと通り抜けただけでした。

母校の校庭。バスケのゴールは、当時のままかな。
昇降口。靴箱も当時のままかな。
運動会の時、泣いてる1年生がこのへんに逃げ込んじゃって。
なだめて児童席に連れ戻したことがありました。いい思い出です。
この動輪を背に、みんなで卒業写真を撮りました。
通学路の一角。ここのスーパーも、懐かしいですね。よく出前販売の車が走ってました。
ここも通学路でした。右手側には、当時の面影が残ってます。
この通りも、随分広くなりましたね。大きなお店も、高い建物も増えました。この日は、母校の近くばかり見て回ったので、知る人ぞ知る、って写真ばかり。

以前投稿した、謎の線路のお話で出てきたのは、「宇品線」という線路。
あの投稿で、最後に出てきた橋は、おそらくここだと思います。

こんな貨物列車が走っていたのですね。一度も見たことがありませんでした。

猿猴川という、駅前の方に流れている川を渡る橋です。
当時の自分の印象ほど、さほど長い橋ではなかったんですよね。
私にとっては、どこまでも延々と伸びる、恐怖の橋だったのですが。

この宇品線、広島駅から宇品港のほうまで、ずっと伸びていたそうです。
ただ写真のような貨物列車とは、住んでた当時、一度も出会いませんでした。
今では、その線路一帯は、跡形など、まるでなかった感じでした。

まさか、この港町にまで、こんな立派な高速が出来上がるなんて!
このへんも確か、線路が走っていたと思います。

確か、この辺に、大きな池か沼のような場所があったんですよね。
葦のような草が、ところどころに高く茂っていたと思います。
その上を、線路がカーブを描いて走っていた光景を、記憶していますね。

中央やや左に、「海岸通り」が南北に走り、
高速の下に、ちょっとカーブを描いて合流しますよね。
このあたりにちょうど、線路が走っていたと思います。
(想像ですけどね。)

この訪問時は、ゆっくりとあちこち見られず、残念でした。
またそのうち、行ってみたいですね。

2024.11.12

※母校の写真は、訪問当日、職員室にいらした先生にお許しをいただいて、撮らせていただきました。確か夏休み中だったと思います。
その節は、突然の訪問にも関わらず、ありがとうございました。

宇品線のエピソードはこちら。

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