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「尋ねられたことだけ、答える」スキルを磨く。
今回は、ややダークサイドな話。
いつもお間抜けな茶凡頃さんを、チェックしてくださってる方には、「ちょっとごめんなさい」な内容かもしれません。
言葉の揚げ足をとってくる人間ってのが、世の中にいるんだ。
イヤな話だけどね。
とにかくこちらが発した言動の一つ一つをあげつらって。
根本的な趣旨と言うものを、理解しようとしていない。
そういう人間というのがいるのだ。
そういう人を相手にするのは、とにかく面倒だ。
足を踏み出すほど、引き込まれる。
底なし沼を、歩こうとするようなものだ。
あるいは、アリ地獄というか。
もがけばもがくだけ、引き込まれる。
ならばどう対応するか。
聞かれたことだけ答えればいい。
尋ねられたことだけ、答える習慣を磨く。
言われないことをこっちから先回りして答えない。
そのスタンスが良いと思う。
もちろん、すべての人間に対し、そんなことをやっていては、たまらない。
殺伐としてしまう。
だから、相手によりけり、だ。
なんなら、場によりけり。
・・・と、そこまで使い分けるってのは、実際、ムズカシイけどね。
でも悲しい現実だが。
そういう態度を求められる場面というものが、社会生活の中には、いやおうなく、生じる。
特に、職業柄、そういうことを求められる立場、というのもある。
政治家、弁護士、公務員、他にも・・・、あ、教師も、そうかな。
仕方のないことなんだ。
また、そうでなくては、無防備では、やっていられない。
無防備でいられるほど、現実の社会は、優しそうで、優しくない。
社会の実像とは、そういうものだ。
でも、悪いことばかりではない。
ものは考えようだ。
一歩ひいて、考えるならば。
そういう経験を通して初めて。
言葉というものに、もっと慎重になれる。
言葉の発し方、発出のさせ方、というものに、もっと神経を配れる。
そういう自己修行の場だと思えば。
人生時間の中に、そういう機会があるのも、勉強としては、なかなか楽しい。
とにかく言葉を切り詰めていく練習だ。
そういう処世術を覚えたいね。
でもそういうスキルって、他にも役立つよ。
この、noteの原稿を書くときもね。
そのほうが、シンプルな、読みやすい文になれる。
どんな学びも真剣に掘り下げれば、ムダなものって、ないよね。
2024.12.22
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