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ルッキズムの末路は、刹那主義と絶望。(毒舌本音シリーズ)

残念ながらルッキズムの王国になるかもね、日本は。
今の日本の心の荒れてる様子から察するに。
でも、そう遠くないうちに、その王国もまた、あえなく滅びるだろうけどね。
日本という国じゃなくて、そのイズム、風潮がね。
ただねぇ。
「愚者は経験に学ぶ・賢者は歴史に学ぶ」だからね。
一度は、経なければならない苦節だと思うよ。ルッキズムの時代ってのを。
私はブサイクだから、やだけどねー。しょうがないね。苦笑。

だって、今美貌を誇っている男女も、いつしか、年老いるわけでしょ。
その美貌が、50年続くとは、思えないんだよね。
今ヒエラルキーの上位にいる人間が、50年後には、下位に追いやられる。


ちょっと賢く考えりゃ、その価値観に、限界というか見切りをつけるでしょ。

あと、イケメン美女同士の世界は世界で、そのメンツの中で、またヒエラルキーが生じると思うのよ。
序列をつけたりね。
アイドルグループの、誰がセンターになるのかって、あれと同じ論理ね。
そうなると、日当たりの悪い場所におしのけられた「ハズレ者」に、誰かがなるわけだ。
いわば究極の、いす取りゲームやね。笑。

結局、ルッキズムという、ビジュアル至上主義というものが、人生の幸福そのものを解決することは、残念ながらできないわけだ。

ま、ブサイク党の私、ブサイク陣営の私が、ヒエラルキー敗者の立場で、酸っぱいブドウの負け惜しみを言ってるだけかもしれないけどね。笑。


いや、ちょうど今、そういうネタの動画を見てたものだから。
ちょっと思いついた所感を書き留めておこうと。
そんで、せっかく書いたから、ついでに投稿しておこうと。


というか、なんでルッキズムが非難の的になるのか、って話をするとさ。

ルッキズムって、長い目で見ると、
だーれも救えないから、なんだよね。

んで、救えないだけで済むならまだしも。

その価値観が世を支配する、その長い年月の間に、
どれだけの人を不幸に追いやってしまうか、っていう害悪。
そのことなんだよ、問題は。

そのメリット・デメリットを考えたら、結局、デメリットの方が大きすぎる。
ってことだよね。

ルッキズムって、「暴力」の存在と同じなんだよね。
どっちも、その場限りのもの。
そして、なんとどっちも、人間自身の本能から出ているものなんだよ、実は。

だから暴力も、ルッキズムも、それを正当化しちゃいたくなる理屈は、一理としては、やっぱり人間誰もが、どこかしらに、持ってるわけだ。
いやいや、自分で気づいてないかもしれないけど。
だって、人間自身が本来持っている、煩悩であり、本能だからね。
一見、どんなに忌み嫌うものであっても、ある一面においては、実はそれを求めてしまう、度し難い煩悩、欲望ってのが、同じ人間の中にある。
実は、切っても切れないわけだよね、ひとりの人間の心の中でさえ。
だから、めんどくさいんだよねー。


でも、そういう魔性の怖さについて、よく分かってないわけだから。日本人は。
哲学性とか、宗教性とか、うっすいからね、日本人って。
だからいずれ、残念だけど。その民度の低さは世界に見抜かれる。
世界の変化にも、誰がそうするわけでなく、自ずと、取り残されていく。
世界は、これからは人道的競争の時代だからね。
軍事競争の次は経済競争。経済競争の次には、人道的競争の時代。
いつ、どのような形で移りゆくのか、わかりにくいだろうけど。
少しずつ少しずつ、やってくるでしょうね。

ま、そんなわけだから。
結局ルッキズムで、誰の人生も救われない、そう分かる時はいずれ来る。
さあ、問題は、それに気づいちゃったあと、次にどうなるかだよね。
まあ大体想像がつくのはさ。
「人生はヒマつぶし」とかいって、刹那主義になったりね。
「人生なんぞやー」と叫んで、絶望しちゃったりね。

その辺が、末路になるんだろうね、きっと。

(こっから先、妄想だけどね。
私の予想では、「自死ブーム」。
もとい、「安楽死ブーム」。
いな!「尊厳死ブーム」。これだ!
もっというならば、「人生終末期自己決定権ブーム」(なんだそりゃ笑)
生老病死という人間の業そのものに、絶望し、迷っちゃうわけだから。
自分たちの存在が何者なのか、わかんなくなっちゃうわけだから。
生きることの様々な苦悩にシビレを切らして、死にたくなっちゃうのは、一つの傾向として行きがちな方向だよね。
ただ逆に、その反動として「哲学ブーム」や「宗教ブーム」に転じるかもしれない。
そうなれば、まだ建設的というか、希望はあるんだけどね。
どうかなぁ。そういくかなぁ。
日本人の精神性って脆弱だからね。
快楽主義か事なかれ主義だから。基本、民族としての指向が。
いやいや待てよ、もしかしたら、そんな窮地でこそ、底力を発揮するかも。
全てを失った戦後日本みたいに、火事場の馬鹿力でね。
追い詰められた悟空がスーパーサイヤ人になるみたいに。笑
どうなるかね。
まあどのみち、もう何十年かは、すったもんだやって、潰し合いますよ。
他国に攻められるんじゃなくって、「同士討ち」「共食い」をするんですよね。
なぜか、日本人ってのは。卑屈だから、根本的に。
以上、妄想、終わり。
あ、ちなみに私も日本人よ、やんなっちゃうくらいコッテコテの。笑)

ま、時代がどう変わるのか。見届けていこうじゃありませんか。
(どうせイヤでも、あちこちで見せつけられるし。笑)


まーでも、今回、このまま終わっちゃうと、なんの救いのないから。
私に、八つ当たりの矛先が向いたって困るしね。笑。

一応、希望のヒントとやらを、私なりに示してみるとさ。

ルッキズムの問題の本質って、結局、「いかに生きるか」っていう価値観の問題。人生観の問題なんだな。

もっと言っちゃえば。
それらのさらに基盤となってくるのが、いわゆる哲学の問題
それを確立していくしか、解決法が他にないんだよね。
一人一人の民衆というか、人間の中に。
ただ、80億の人間がいるわけだからねぇ。
大仕事というかさ、気の遠くなる話。
膨大な人たちの心が、自分自身で自己変革しゆくの待つ・・・って話なんて
ピンとこないでしょ?
そんなこと、できんの?って話だよね。
そういうことだよ。
だから、これはこれは、根の深い問題だよ。
それを解決できる、決定的な優れた哲学が、出現、あるいは存在していればいいんだけどね。
果たして、いつ現れるのかなぁ。
あるいは、すでに、どこかにあるのかなぁ。


ま、ここから先は余談だけどさ、私自身のことも。
ちなみに、私は基本、他人のことを、顔とかで評価しないんだけどね。
いやほんと。別にエエカッコしてるわけじゃなく。
私の初恋の相手も、決してイケメン美女タイプじゃなく、ホントにどこにでもいるような子だったから。顔も性格も。
こどもの頃の話だけどね。
でもなんと。その子に惚れてる人がもう一人いてさ。
私と仲良しの友達だったんだけどね。笑。
ともあれ、そんなもんだよ。モテキャラなんて。
顔の形とか、実は、大してカンケーない。

ただ、そんなキレイゴトの話で終われないんだよ。
一方で、これも認めなくちゃいけないことが、あるんだ。
さっき言ったことを。

その相手は、確かにイケメン美女顔ではないけど。
その彼または彼女固有の、「そういう『顔』以外のなにか雰囲気」といったものを、私の本能というか煩悩が、欲求してしまったのかもしれない。
(ちなみに、その相手とは、その後、何も特別な関係には発展しなかったんだけどね。そもそも、こどもの頃の話だし。笑)

つまりだ。
ルッキズムではないにしても、私自身の「好み」というものが、事実として、厳然と、存在してはいる、ということなんだ。それは、否定のしようがない。
私という同一の人間の中に、特定の、趣向や嗜好というものはどうしたってある。
なんらかの偏向性を持っているもの。
普遍的とは到底いえない、私固有のものが。
さっきの話で言うと、私の初恋相手は、確かにイケメン美女顔ではない。
でもね、その彼または彼女固有の、「そういう『顔』以外のなにか雰囲気」といったものを、私の本能というか煩悩が、欲求してしまっていたってこと。
それは、なにかしら、何かあったに違いない。無いはずはないんだ。

ただね、それは、私という個人の中に存在していただけの価値観、感性。
私個人の胸中に、収まっているだけで済んでいたものだから。
だから罪や害悪、誰かの不利益を導き出してはいないよ、
ってだけのこと。

もし仮にだよ。
その価値観を表出し、さらに他人と共有化させたり、誰かを不利益に陥らせようとしたものなら。
その瞬間から、「差別」「偏見」という社会的害悪となってしまう、ということだ。こう言ってる私自身でさえも、ね。

お分かりいただけたかな?
だーから、ややこしいんだよ。

「私だけは清廉潔白、純粋」だなんて、絶対、そんなことは言えない。
誰にも、そんなことは、言えるはずがないんだ。

絶対的客観者、理想的第三者なんて、そんなものには、だれも、絶対に、なれっこない。

もしなれたら、その人には、好みなんてそもそもなくなっちゃう。
個性はおろか、価値観という概念そのものが、そうなった瞬間、消滅してしまう、ってことだ。
つまり、人格ってもの自体の存在否定。消滅しちゃうってことだ。
だからみんな、誰もが、人格というものを備えている以上、なんらかの偏見は、個人の中に持たざるを得ないんだ。
人間、兎角、「私だけは違う」なんて思いがちだけどね。
残念ながら、そうなんだ。

難しい話に行っちゃったけど。

だから大事なことというか、落とし所としては。

ルッキズムに限らず、人間本来の欲求というものは、消しようがない。
だけど、それによって社会的に誰かを不利益に追いやってはいけない。

というところなんだろうね。


ただし、その上でだ。
その悲しい真実を前提とした上でだ。

これは、みんなにとっての希望にもなりうることなんだけど。

そういう個人的な趣向とかも含めて、人や異性を惹きつけるような魅力ってのは、そもそも、外見なんてものなんかより、
もっとその人の「心の内から湧き出てくるもの」なんじゃないのかなぁ。
ってことだよね。

心や知性って、人が誰しも、努力すれば、磨き、高められるものでしょう?
だから、みんなにとっての希望に、平等に、なりうる、と思うんだよ。


最後だから、くだけた話に戻るけど。
ガンダムのミライさんとかさ。作中でもモテキャラだったでしょ。
絶世の美女ではないのにね。なるほど、うなずけるし。
あと、オバQのU子さんとかね。
Qちゃん。おりゃーとか投げられてるのにね。なんで、それでも惚れるんだろう。
まあでも、そーゆーものなんだろうねぇ。

要するに、

外見なんて、別に大したものじゃないんだよ、ってこと。

人間ってものの本質がわかってくれば、自ずとわかることだよ。

外見がどうこうなんて、身だしなみ程度のことで、いいんじゃないの。
人に失礼や不快感を与えない程度のところで、ほどほどで、さ。

それよりも、そんなもの当てにするよりも、

心と、そして知性を、磨いた方がいいと思うよ!
幸せに生きていきたいんだったら、その方がいいよ。

学べば、人は、芯から輝くから。
心こそ大切だよ。女性も、男性も。


・・・おおっ、最後にホンネをズバッと言ってしまったぁ!
私としたことが。
いかん、ふざけて終わろうと思ったのに、ついつい本音が・・・

2024.11.08

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