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note記事の校正は、やらない信念。

私、自分の原稿を、いちいち振り返らないんだ。
一度、世に出したものは、もう振り返らない。
やり直しとかしない。

01   クヨクヨ過去を振り返らない。

だってそもそも、日常の行動だって、やり直しなんかできないわけでしょ。

例えば、ピアノ演奏だってそう。
いったん弾き始めたそのプレイは、その一瞬のみ。
失敗したからって、いったん出しちゃった表現に、消しゴムはかけられない。
最高のプレイだって、二度と、全く同一のパフォーム、演奏はできない。
その瞬間だけのものだ。
だからこそ、それがわかってくると、おのずと真剣になる、
一回一回の練習だって。

全て、人生の行動なんて、一瞬一瞬が、一発勝負。
文章を書くときも、そうありたいな。
未練がましく、直しとか、校正とかはしない。
もししくじったら、次の投稿の時に、そこを意識して直す。
一度書いちゃった過去のものを、クヨクヨ振り返らない。

のび太の先生の名言を、こういうタイミングで、思い出すんだよね。
「0点取ったのは仕方ないが、クヨクヨ振り返ったって、しょうがないだろう。目が前についているのはなぜだと思う?前へ、前へと、進むためだ!」
・・・ちょうどこの原稿書きながら、思い出したよ。
(「ジーンと感動する話(ジーンマイク)」の巻だっけ?何巻だっけ?そこまでよく覚えてないけど。笑)


02 リミックスは、絶対オリジナルに勝てない。

別の例を出すとさ。
あるヒット曲が売れた後、しばらくして、リミックスだの再録音だのって、再びおんなじ曲を出す時って、あるじゃない。
あれって、絶対、オリジナルを越えられないんだよね。
リミックスの方がオリジナルより良かったなんて、聴いたためしがない。
ほとんどゼロ。
GetWildだって。T-SQUARE のTRUTHだって。(実例出してごめん。)

まずほとんど99.9%の割合で、

「やっぱり最初のオリジナルが一番いいよね」って、絶対なっちゃう。

ね?
でしょ、でしょ?
そういうコトなのよ。

作った本人自身は、「あー最初のとき、こうしてればなぁ、ああしてればなぁ」なんて気にするんだけど。
ま、作った本人ならではの特権だよね。
ただ悪いけど。それって結局、本人の自己満足。
やり直して「いいね」なんて思ってるのは、きっと本人だけ。悪いけど。
おおかたの人たちは、そんな最初の小さなミスなんて、大して、気にしてない。
むしろそういうノイズやミスも含めて、「それがむしろ、味なんだよね」って、受け入れてくれちゃったりする。

漫画もそうね。
「デビルマン」とか、結局、オリジナルの鮮烈さには、感動には勝てない。
何度描き直したって。
絵が上手くなったって。
CG使ったって(使ってないけど)。

文章もおんなじコトだと思う。
「後で直せるから」なんて甘えがあると、むしろ成長しなくなる。
「いつだって一発勝負!」「待ったなし!」
その覚悟でやった方が、トータルで見た場合、タイパもいいし、結局、価値的だったりする。
そう思うなぁ。


03 しゃべるリズムで書くと、直感で伝わる気がする

私、声に出してしゃべるように、手を動かしてタイピングができる。
思いついたままの言葉を、羅列していってる。それが基本。

だから、投稿した後の記事を読み返すと、かなりとっ散らかってるよね。
日本語として。
おんなじ言葉とか内容が、重複してたり。
あるいは、言葉が足りなかったり。

でも、noteの場合、これはこれでいいと思ってる。

なぜなら、その方が、直感的に伝わる気がするから。

いったん口から出た言葉って、取り消せない。
だけど、それがむしろいい。
その性質を利用する。
言葉の生々しさというか、新鮮さで、人にものを伝える。

文章として理路整然としているだけでは、なんというのかな、それだけじゃ、心に食い込まないんだよね。
人の記事を読んでてもわかるんだけど。
言葉の巧拙を超えたところで、相手の心に残るものがあるか。
訴えかけてくるものがあるか。
そこで、ノーターさんたちの印象の残り方って、随分、ちがってくると思う。

だから、私も時々やるんだけど、
あえて漢字に変換しないときが、あるんだよね。
その方が読みやすかったり。
あるいは、字ヅラとしてのリズムを感じたり。
印象として訴えてくるものがあったり。

noteって、打ち込むのも呼吸感っていうか「しゃべり」のリズムでやってるから私の場合。
だから、読む時も、リズム感を感じ取りながら、読んでるんだよね。
せっかくリズミカルに読み進めてるのに、変なトコロで漢字の熟語があったりすると、「うっ」って、つまっちゃうじゃない。
そこで、読みのリズムが止まっちゃうというか。

noteって、打ち込むのも呼吸感っていうか「しゃべり」のリズムでやってるから私の場合。
そう、キーワードは「リズム感」。
音楽と同じ、noteも。

だから、読む時も、リズム感を感じ取りながら、読んでるんだよね。
せっかくリズミカルに読み進めてるのに、変なトコロで漢字の熟語があったりすると、「うっ」って、つまっちゃうじゃない。
そこで、読みのリズムが止まっちゃうというか。


04  note独特の伝わり方って、他にもありそう。

言葉が整然としてるとか、文法的にどうだとか、そういうのって二の次にしか意識してないなぁ。他人の記事も、自分の記事も。

これって、noteならではの、読み書きの感覚だと、語法だと、思うんだよね。
だってnoteって、ページをめくらないでしょ。
スクロールでしょ。
noteって、言葉を拾っていくリズムに、何か独特のものがあると思うんだよね。

ま、ともあれ、そういうのを意識するからさ。話を戻すけど。
校正、って作業をしないのよ。
言葉の整然さなんて、実は、たいして意識されてないんじゃないのかな、って思うから。仮説だけどね。
私、学者じゃないし。論文書いて学会に発表するわけでもないからね。

それよりも、リズムとか、字づらとか。
読みやすいnoteの文章って、その決め手が、もっと他のところにあるんじゃないか、って思う。


05  人生、一瞬一瞬が、一発勝負!

ま、単に、私がめんどくさがりだってのも、あるんだけどね。
過去にやったことはさっさと忘れちゃう人間だから。
いちいち後ろを振り返るのがイヤなんだよね。単純に。

だって、日々の行動にしたって、やり直しなんて、聞かないでしょ。
あの交差点で右にハンドル切ったけど、「あ、あの時、ちょっと左に振っておけばよかった。やり直そう」なんて、いちいち振り返らないでしょ?
ましてや、やり直しなんて、できないんだし。
それと同じ。

何事もそうだよ。
基本、人生は、一瞬一瞬が、一発勝負。
後からやり直そうなんてこと自体、真剣勝負じゃないよね。
一度落とされた首を、また元に戻すなんてできない。
宮本武蔵」の沢庵和尚みたいなこと言うけど。(吉川英治のね)
文章も同じだろうさ、きっと。
後から直そうなんて、未練がましいし、甘いとさえ感じるな私は

また、文章だって、その時感じたことを、1発出し、修正なしで、出したものが、結局のところ、一番強烈に「伝わる」んじゃないかと思う。
文章って、「伝える」ことが目的だからね。
人にものを「伝える」ために、文章ってあるんだから。
小ギレイさとか、そんなの二の次だよ。

逆に、あれこれ後付けで校正、修正すると、余計、伝わらなくなる場合ってあるんだよ。
「あれ、最初の文章のほうが、よかったじゃん。」って。
そりゃあ、校正すりゃあ、文の長さも短くなるし、読みやすく、スッキリとはするよ。
でもそれって、
人の心に「何を訴えるか「何を残すか」ってこととは、別問題な気がする。

ま、noteってさ。
そういうコトも含めて、いろんな新発見があるよね。
時に、人生についてさえ、考えさせてもらえる。
紙や原稿用紙に書いてる、作文の語法や技法と、何か、違う部分があるんだよ。
根本的に、違うんだよ、何かが。
そういうのを発見、発掘していくのも、連続投稿していく面白さのひとつだよね。

2024.11.09

※サムネ画像は、テレビ朝日の「ドラえもん」ホームページより引用させていただきました。
https://www.tv-asahi.co.jp/doraemon/character/

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