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なんとなく「つまらないな」という同志たちへ 『無気力なのにはワケがある』

※筆者は心理学徒ではないため、本文の内容に大きな誤りが存在している可能性が多分にあります。

なんとなく、つまらない。人生は死ぬまでの暇つぶしに思える。でも、流石にここで人生を終えるのはなんだかなぁ。そうお考えの方、いらっしゃいませんか。

かくなる私も、ここ数年は上記のような状態に陥っています。「アパシー」とでもいうべき状態に。私の場合は重篤とは言えないでしょうが、充実しているように見える周囲と比べてしまうと、なかなかどうして......という念があります。

同志よ。こんにちは。人生を消費しよう。もん です。

本稿の流れは以下のようになっています。

・『無気力なのにはワケがある』を拝読しました。
・学習性無力感(=うつ)は、自分ではコントロールできない課題に直面すると陥るらしい。
・コントロール不可能な課題に直面して、鬱になる人とならない人の差は?
・それは「原因帰属」のスタイルにある。
・「原因帰属」の考え方を使って、アパシー(無気力)をどうにかできないいか?
・アパシーの私は、どのように「原因帰属」をおこなっているのか?

大芦治先生『無気力なのにはワケがある』を読みました

学習性無力感

本書の序盤では、セリグマンやヒロトらの実験が紹介され、犬や人は、「『自分の力ではどうにもならない』というコントロール不可能性を学習して、無気力にな」るということが説明されます(p.35)。これを「学習性無力感」というそうです。

原因帰属

ただ、この理論には、皆さんもお感じの通り「みんながみんな無気力になるワケじゃないでしょ?」という疑問が生じ得ます。その疑問に答えるため、大芦先生はワイナーやアブラムソンの「原因帰属」という考え方を紹介します。

原因帰属とは、ある出来事(特に、コントロール不可能なこと)が起こったとき、その原因がどこに由来するのか?と考えることです。この原因貴族のプロセスは、「内的—外的」、「持続的—一時的」、「全体的—特殊的」という三つの次元を経て行われるそうです。(pp.136-139)

原因帰属 三つの次元

・内的—外的
この結果は、自分に由来するのか?それとも課題の難易度や運などによるのか?

・持続的—一時的
その原因が、そのとき限りなのか(固有の能力など)、それともずっと持続するのか(運、課題の難易度など)?

・全体的—特殊的
その原因が、他の分野でも問題になるのか、それともこの出来事において飲み問題となるのか?

数学のテストがうまくいかなかった時、「自分は勉強ができないやつで、この先もずっとそんな感じで、国語とか英語もできないんだろうな」と捉える人は「内的・持続的・全体的」なタイプです。反対に、「今回はあんま勉強できなかったからね。次回は上手くやれるし、英語は今回もいい感じ」と捉える人は「外的・持続的・特殊的」と言えるでしょう。

無気力とうつ病と......

この本で、大芦先生は無気力とうつ病とを結び付けています。

非抑うつ者が学習性無力感に陥った状態は、抑うつ者が普段から見せる状態と似ているというのである。(p.110)

また、先に紹介した原因帰属をもとに、うつ病の説明がされています。少し長いですが、引用します。

学習性無力感に陥りやすい人は、普段から嫌な出来事があるたびに、その原因を内的、持続的、全体的な方向に帰属させる傾向(帰属スタイル)がある。それが個人差である。そこに、何かコントロール不可能な事態が起きる。すると、その事態の原因を巡って、原因帰属というプロセスが頭の中で働くが、やはり内的、持続的、全体的な方向に帰属させてしまう。その結果、将来のさまざまな出来事もコントロール不可能であろうと予期するようになり、やる気がなくなり、悲観的な気分が高まり、うつ状態(学習性無力感)に陥る。(pp.144-145)

「内的・持続的・全体的」な帰属スタイルを持った人が、困難にぶち当たると無気力=うつ状態になるようです。

アパシーの不在

冒頭で述べたような、なんとなく、つまらない。やる気が出ない。こんな状態のことを「アパシー」というそうです。しかし、本書のどこを探しても、「アパシー」という言葉が見られません。素人の私が、私のアパシーと原因帰属について考えてみようというワケです。

人生のコントロール不可能性

何が原因でアパシーになっているのか。特に私の場合は、「人生全体」に対してコントロール不可能性を感じているように思います。

人生のコントロールが不可能な原因を、私はどこに帰属させているのでしょう?

それなりに頑張った大学受験に失敗したり、面接試験で落とされたりした経験が原因かもしれません。

内的・・・・受験に落ちたり、面接で落とされたりするのは、自分の努力量やその方法、あるいは実績、才能が足りていなかったからでしょう。原因は内的なものであると感じています。

全体的・・・受験のような、勉強量(=能力)を問われる分野でうまくいきませんでした。かといって、面接でうまく行く人柄も持ち合わせていません。能力にも良い人柄にも欠けている人間、これはマズいという感覚があります。

持続的・・・このままなかなか結果を出せないまま行くんだろうなという諦観があります。

私の個人的な場合ではありますが、「人生」がコントロール不可能である原因を分類してみました。ここで一つ、気づいたことがあります。

絶対的じゃないわ、この分類

長くなってきたので、続きは次の記事にしたいと思います。ですがあらかじめ内容をお伝えしておくと、

・「原因帰属」は所詮スタイルであり、原因を「外的・一時的・特殊的」と捉えることができないわけではない。そう捉えようと思ったら、多少こじつければそう捉えることはできそうだ。
・まぁ、スタイルをいきなり変えるのは難しいだろう。だから初めのうちは、こじつけで考えた「外的・一時的・特殊的」な分類を、おなじみの「内的・持続的・全体的」の分類と併記することをやればいいのではないか。
・そうやって自らの「内的・持続的・全体的」なスタイルを相対化しているうちに、案外持続的じゃなかったり、全体的じゃなかったりする場面を見つけられるのではないか。
・そうしたら、アパシーも治って、いい感じに生きていけるのではないか

という流れになります。

ここまで読んでいただいてありがとうございました。
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人生を消費しよう。 もん

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