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【マネジメント・仕事】無意味な真面目さ

「真面目」が全て無意味という意味ではありません。

緩いマネジメントから堅いマネジメントへ

ある時期所属していた部署は比較的放任で、緩いマネジメントでした。その後、異動になり、そのときの上司はこれまで自分のマネジャーの中でもかなりお歳の方になったのですが、その方は真面目な堅いマネジメントをする方で、急激な変化に私も戸惑いがありました。

緩いマネジメント時代は、社外との打ち合わせでも、キッチリとした議事録はそこまで求められず、もちろん決定事項などはちゃんと双方理解できるようにやり取りはしていましたが、堅いマネジメント時代のマネジャーは、双方議事録の内容を確認したというサインをする必要があると言い出しました。

しかもパンデミックでリモートワークが当たり前の中で、手書きのサインをするように求められました。
ということは印刷して紙にして、確認したという欄を用意してサインしてもらわないといけないのか…と思ったのですが、

「それはさすがに非効率だから、手書きサインをスキャンしてそれを貼り付けて、PDF化して双方持ち合うようにしましょう」

という運用になりました…正直言うと私は全くそれが理解できませんでした。
しかし譲らないので渋々手書きサインを(在宅勤務でしたので)自宅のスキャナーで読み込み、サインの部分だけ画像を切り取り、Wordで作った議事録のサイン欄に私も上司も貼り付けて、PDFに変換し、相手の会社に送りました。

ちなみに、相手の会社は「こちらのサインは不要です」とサインはしてくれませんでしたけどね…(笑)

その後、結局やらなくなった…

作業の手間もストレスですが、一番はこの意味の無い運用を押しつけられていること、そしてそれがどれくらい効果があるものかが全然理解できないところでした。

後々、言った言わないのエビデンスにするんでしょうけど、そのサインがあったらどうなるのか?訴訟で有利になるのかな?と思いつつ、社外の方とやっていることもまだアーリーな段階で何か決まって動いているものでもありません。

とはいえ、サラリーパーソンですし(笑)、上司の価値観なんだろうなと暫く従っていたのですが、仕事が忙しくなるとその上司も、自分でやってきた運用をやらなくなったのです。

やらなくなったことは喜ばしいのですが、あの当時、頑なにやっていたことはなんだったのでしょうか?当人がちょっと忙しくなるとやらなくなったのを見て、ああこの人、信用できないわ…と私は感じました。

ただ単に真面目にやることが大事ではない

先の謎の議事録のサインは、旧来の紙文化でエビデンスを残す方法を、ただ電子化するだけでやっていることは同じだったわけで、デジタル化の恩恵は全く受けてないものです。

判子を押す、サインをする、確かに何かしらエビデンスを残す方法としては必要なのかもしれません。それを真面目にやることを否定もしません。しかし、働き方が変わっているわけなので、「旧来の真面目さ」が運用として合っていないことをちゃんと理解しておく必要はあります。

時代に合わせて、本来やりたいこと・やるべきことができるようにカイゼンしていくのが本来あるべき「真面目さ」であり、本質を見誤った「真面目さ」は害にしかならないのです。

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