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「友達の定義は?」って聞かれたら

私はとにかく自分に自信がない。
別にいいところが全く無いとか、仕事ができなさすぎて悲惨、とかそう思っているわけではない。ただ単に、何となく自分に自信がない。
だから、なかなか人に話しかけられないし、相手が私を好きでいるのだろうかとすぐ不安になってしまう。

今仲良くしてくれている友人には本当に感謝している。こんな面倒くさい人間の相手をよくしてくれるな、と尊敬に近い念を抱くし、私も彼女らと一緒にいると楽しいので、ありがたいなと思っている。
高校を卒業しても会う友人が一番分かりやすい。一種、縁を切るタイミングがあったのに、それでも連絡を取ってくれているのは少なからず私のことが好きなんだろう。私も彼女らのことが好きだ、もはや大好きだ。

ただ、高校時代(中学も含むかな)は、

「あ~~最近あの子とよく喋るけど、友達になれてるのかなどうなのかな……」

というのがめちゃくちゃあった。

席が近いから喋っているだけ、別に嫌いじゃないから、それとも私を少し好きになってくれて、ちょっとずつ仲良くなってくれている。6年間のうちに、どのパターンもあったと思う。
そこで、私は

「友達ってどこからなんだろう」

ということを考え始めた。駅から通っていた学校までちょっと距離があったので、歩きながらそんなことを考えていた。朝からそんなことを考えて、よく暗い気持ちにならなかったな。

結論として、私は一つの定義を編み出した。

何も知らない人に、「誰あの子?友達?」って聞かれて、「うん、友達」って即答できたら友達。

だって、即答できるってことは、細胞レベルでその子のことを友達って思っているわけだから。脊髄で答えているようなもの。

もしこれで、「同じクラスの子なんだよね」とか、「今理科の実験班が一緒で」とか事実を述べ始めたら、それは友達ではない。私の一方的な片思いで、ひょっとしたら両片思いかもしれないけれど、何かしらの壁があるということだから。本当の友達はそこの壁がないんだと思う。

じゃあ何があったらその壁が取っ払えるの?と聞かれたら、それは私には答えられない。というか、模範解答がないのではないか。一緒に積み重ねた時間の濃さ、ピンチを乗り越えた吊り橋効果、色々あると思う。でもそれってその人たちそれぞれなんだろう。

どうやって友達になったの?と聞かれた時、まあそんなことを聞かれることはないかもしれないが。ちょっと野暮な質問な気もするので。でも、
「なんかねー、気が合うんだよね」「いつの間にか仲良くなって」「なんでだったっけ、昔のことだから忘れちゃった」
そういうことが言えたら、幸せじゃあなかろうか。

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