「『〈悪の凡庸さ〉を問い直す』を問い直す」というイベントに参加して
ご無沙汰しております。
「『〈悪の凡庸さ〉を問い直す』を問い直す」というトークイベントに参加してきました。
(約2000字)
前回の記事はこちら↓
覚えているうちにここに感想を残しておこうと思います。
私はアーレントのことやアイヒマンのこと、ナチスなどのことについてほとんど知識がなかったわけですが、ただミルグラムの服従実験は詳しく知っていました。アイヒマンは、ホロコーストの責任者みたいな人でブエノスアイレスに潜伏していたところをイスラエルのモサドに取り押さえられ、エルサレムで裁判にかけられ処刑された人です。その裁判を傍聴していたハンナ・アーレントがアイヒマンのことを〈悪の凡庸さ〉と表現したのです。これは、極悪非道な姿をイメージしたいたところ、法廷に現れたアイヒマンを見て冴えない官僚的などこにでもいるような平凡な姿に見えたとして、それを形容する言葉として〈凡庸な悪〉と表現しました。
ミルグラムの服従実験は、正確には「権威への服従実験」といい、人は誰でも状況の力によって権威に逆らえず命令を実行に移してしまい人を傷つけてしまうことを実験で証明する研究でした。この服従実験はたびたび「アイヒマン実験」とも呼ばれます。アイヒマンのように冴えない風貌のどこにでもいるような人間でも上からの命令に簡単に従って、人を傷つけてしまうということです。そのどこにでもある平凡さ(凡庸さ)とアイヒマンの悪さをつなげるような考え方でしょうか。
本の中でも書かれていましたしイベントでも「服従実験」を否定的にとらえられている印象でした。あくまでそんな印象です。アーレントの〈悪の凡庸さ〉が適切なのかどうなのかと、アイヒマンに〈悪の凡庸さ〉は適切なのかの論点について特に考えさせられました。私は歴史のこと、特にドイツ史には詳しくはないのでこの点にだけ焦点を当ててイベントに参加しました。
実際に先生方のトークを聴いていて気づいたことがあります。それは、自分の中で〈悪の凡庸さ〉とアイヒマンと服従実験には直接的な関連というかつながりがないのではないかということです。
そもそも、服従実験は状況の力によって権威の命令にあらがえず、その命令に従ってしまい人を傷つけてしまうことを実証する実験でした。これをホロコーストに当てはめると、アイヒマンというよりもむしろ、もっと末端の人たち、すなわちガス室のスイッチを押す人、銃殺の引き金を引く人にこそこの〈悪の凡庸さ〉という表現があてはまるのではないかと思ったのです。つまり、そういう末端の人たちももともとは普通の一般市民であり一人の平凡な人間であるはずです。しかしながらそういった人たちも自分が置かれた状況の力によって権威に逆らえずスイッチを押してしまう、引き金を引いてしまう行為に走ってしまうのではないかと思ったのです。こういう人たちに〈悪の凡庸さ〉を使ったほうがより適切だと思いました。
アイヒマンはあくまでも官僚で中間管理職の立場だったはずです。こういう人は自分の手を汚すことなく、自分の立場は守った状態でプロジェクトを遂行させる黒幕のような人です。一番嫌な辛い思いをさせられるのは末端の人たちです。
すなわち、〈悪の凡庸さ〉という表現、形容することばは適切で正しいと思います。しかしながら、この〈悪の凡庸さ〉をアイヒマンに使うのは適切ではなく正確さに欠けるのではないかと私は思いました。私なりの結論として、状況の力や権威の力の強大さ、あらがえなさを実証したミルグラムの服従実験は適切だったと思います。服従実験で電気ショックのスイッチを押した人と、ガス室のスイッチ、銃の引き金を引いた人と重ね合わせることは何ら不合理さはないと思います。ただし、アイヒマンを形容する言葉としての〈悪の凡庸さ〉は適切ではなく、その表現の対象が違うという私なりの結論です。
この本を読み始めてから、また読み終わってから〈悪の凡庸さ〉とアイヒマンと服従実験のつながりに違和を感じていたのですが、今回のイベントに参加して頭の中の靄が晴れたような気分になりました。先生方の大変貴重な話を聴いていくうちに、その靄が晴れ輪郭がはっきりとしていき、「そうか、そういうことか」という理解につながりました。
イベントの途中からこういうことをずっと感じて考えていて、最後の質疑応答のところで質問というか意見・感想として発言しようかギリギリまで逡巡し迷ったのですが、そうこうしているうちに時間切れになってしまいました。私の中で自信がなかったこともあります。しかしイベント終了後に、やっぱり感想を伝えなきゃと思って百木漠先生をつかまえて、ここに書いたようなことを一気にしゃべってお伝えしました。百木先生の反応は「なるほど」とぜひ発言してほしかったと言っていただき、自分の考えていたことは正しいというか適切だったんだなとその時初めて思いました。
今回、このイベントに参加してよかったと思います。心理学だけでなく歴史学もどんどん研究が進んで、さらなる知見のアップデートがなされています。私は「権威への服従実験」とアイヒマンを形容する〈悪の凡庸さ〉とのつながりについてここまで詳細に考えてはきませんでした。単なるアイヒマンを表現する言葉としか考えてはきませんでした。しかし、こういう表象的な考え方は良くないなとも思いました。もっと深層的な根源的な考え方をもたないと物事を見誤ってしまうなとも思いました。
とても有意義な時間でした。
ありがとうございました。
(了)