消え失せてしまう前に一冊の本を
『かなえたい夢』という企画を見たときの正直な感想は、
「出たよまた、かないもしないキラキラした募集が」だった。
そのくらい、今の私の心は濁りかけて、腐りかけている。
29歳という微妙な年齢が、
「まだできるよ」と「もう遅いよ」のどちらも肯定してきて頭が痛い。
幼い頃はそこそこに優秀で、だんだんとボロは出てきたけど、それでも大学を卒業して一般企業に就職した。
平凡な人生を目標とするならば、一瞬は達成したと言えるかもしれない。
ただごく普通の社会人になりたかった。社会の歯車でよかった。
でも、私にはそれができなかった。
会社に行くと、必要以上に自分という人間を押し殺してしまう。
はたから見れば、別に何の問題もない。
むしろ気が遣える、真面目な人でしかない。
でも、まるでタバコの煙でも吐くかのようにため息が止まらなかった。
表情も次第に消えていく。家に着いた頃には身も心もヘトヘト。
そんな私には、小さな夢というか、理想の生き方が密かにあった。
仕事なんて別に興味のあることじゃなくてもいいから、
そこそこに終えて帰宅して、ずっと自分だけの文章を書いていたい。
平日は無理でも、休日には一人で文章をしたためるんだ。
そうやって生きていきたい。
就職活動のとき、いくら企業研究や自己分析をしても興味のある仕事は分からなかったのだけど、この思いだけはずっとブレなかった。
でも、そんなお金にもならない趣味を言いふらすのは恥ずかしかったから、自分だけの中で密かにずっと抱えていた。
それが現実はどうだろう。
週5日の出社で擦り切れていく体力と心。限界だった。
時折、用事もないのに週の半ばに半休をとって、家に帰らずカフェで文章を書いていることはしばしばあったけど、
基本的に休日はひたすら寝ていたい。
もしくは誰かと会って愚痴を言いたい。
そんなことしか思えず、できず、あっという間に4年という月日が過ぎていた。
別に激務とかブラックとかそんな事はなかったけど、少なくとも私のキャパシティーは限界を迎え、ある日突然休職することになった。
そして、その期間に私は真っ先にこのnoteを始めた。
「本当に病んでいたら何もしようと思えない」
そんな言葉を耳にしたことがあったような気がして、私なんて本当の病みにすら入れていないのかもしれないと思ったけど、
この時間が私に、やっと『やりたかったことをする時間』をくれたことはたしかだった。
それからしばらくして復職したものの、結局その会社は退職した。
正直なところ、その時には結婚をしていたから辞めても一応『専業主婦』という肩書がつくという、保険みたいな気持ちが多少はあったと思う。
ほんと情けない。
そこからしばらく『専業主婦(仮)』という期間を過ごしたけど、
子どももいない、家事もそこまでしない、料理も最低限。
こんな状態だったからもはや「無職。人間失格じゃん。」って、誰に言われるわけでもなく、自分自身が一番そう思ってた。
ただ、そんな中でも「文章を書き続けたい」という気持ちだけは間違いなく残っていた。
自分にとっては、こうして書き続けることは苦ではなくてむしろしたいことだから、
これって誰もが当たり前にしたいこと、できることなんだって思ってしまうけど、案外そうじゃないのかもしれない。
そう信じて、このかろうじて残った一つの熱意を消えさせたくなくて、
自分の才能に期待するとかは傷つくから絶対にできないけど、
とにかく公募などにチャレンジすることにした。
基本的にはエッセイを書くことが好きなのだけど、
童話とか俳句とか、そういったジャンルにも初めて挑戦してみた。
無職の身でありながら、
「あ~締め切りが近い、書かなきゃ。」と言いながら文章と向き合っていた。
じゃあその結果はどうか?
今のところは出ていない。
「あぁ、やっぱりもう自分には何もないんだな」って何度も何度も排水溝に流れて行きそうな気持ちになったけど、それでもなぜか私は書き続けてしまう。
ハローワークでは「産休や育休が取れる会社に正社員で入るのをお勧めします」って言われて、私もそう思ったし、心の底から吐き気はするけどそうしようと考えていた。
でも、結局私は週3日のパートタイマーという道を選んだ。
会社の人からは「他の2日間は習い事とかしているの?」と聞かれた。
そりゃあ謎だろう。子育てもしていない主婦の残りの空白2日間。
でも、この空白が、私の小さな夢と理想の生き方をかなえるにはどうしても必要だと思ったのだ。
もちろん、子育てをしながらフルタイムで働く人たちを見ていると思ってしまう。
「やっぱり今の私って人間失格なのかな」
大学まで出してもらったのに結果がコレか。
ほんとに人生って何のためなんだろう。という感情まできたりもする。
それでも、パート先から帰って気づいたら夢中で文章を打ち込んでいる時間が増えた。
週5日勤務のときには考えられなかった行動。
その些細なことが私はとても嬉しい。
お金もないし、30歳を手前にして人間としてどうなのかという暮らしをしているけど、
なんだか人生で初めて『自分で決めた生き方』を、今している気がする。
私は基本的に、夢なんてかなわないとか、かなわないことを口にするのは恥ずかしいと思って生きているタイプだ。
でもnoteというこの場所では、「エッセイストになりたい」とかハッシュタグに夢を詰め込んで投稿している。
もし知り合いに見つかったらちょっとだけ恥ずかしいなとか思いながら、なぜかここでは
「かなえたい夢は口にしないとかなわない」と思えてしまうのだ。
だから今日は、ずっと心の中に思っている大きくて恥ずかしい夢を書こう。
生きている間に一冊でも本を出したい
毎日いつ消え失せてもおかしくないオワリカケの感情で生きているくせに、そんな壮大な夢を持ち続けてしまう。
本屋が好きだけどなぜか嫉妬心に駆られてしまうのは、「世の中にはこんなにもたくさんの本があるのに、自分は一冊も出せていない」と思うからだ。
ただの一般人いやそれ以下のくせに、デカい夢を語っている。
もしそれがかなったとしても別に世界が変わるわけじゃない。それでも、「やっぱり地球に生まれてきてよかったかも」と心の底から一瞬でも思いたい。
このわずかな灯だけは消えないように、たとえ世間や自分に笑われようとも私は書き続けよう。