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行間のこと

私は高校時代から20代にかけてに熱狂的な山田詠美さんファンだった。仲良しの友達はよしもとばななさん派だったので、よしもとばななさんのキッチンやうたかた、などあの時のベストセラーは借りて読んだけれど、買うことはなかった。買ってまで読むのはいつでも詠美さんだった。
中学時代にMCシスターを眺めて、その後キッチンを読んで、キッチンが映画化されたものを見ることはなかったけれど、映画キッチンで主役を演じた川原亜矢子さんがなぜか私のインスタグラムに反応してくださり、やり取りをするようになるなんて、あの頃の私に教えてあげたい。これは私のひそかな自慢。ひそかというよりも声を大にして言いたいくらいの自慢。
山田詠美さんに話を戻す。
結婚するときにほとんどの本を私を慕ってくれていた職場の後輩にすべて譲った。それでも2冊だけはスーツケースに入れてきた。
それが、トラッシュとチューイングガム。
トラッシュは岐阜の田舎を出て京都で一人暮らしを始めた春に刊行された。河原町の大きな本屋さんに買いに行き、急いで帰って春の日差しが入り込む部屋でクッションにもたれて一気に読んだその日のことを今でも鮮明に思い出せる。18歳だった。
チューイングガムは結婚するってこういうことなのね、という夢と希望が詰まっていた。実際の結婚生活は全くおしゃれなものではなかったけれどなんとかかんとか私なりに今日までやってきた。
そして私はいつの間にか詠美さんの本を読むことはなくなった。本自体を読む余裕がまるでない生活を送っているというのもあるし、物理的に電子書籍に頼るしかないというのもある。
そんな中なにかのSNSで詠美さんの新刊、私のことだま漂流記のことを知る。私に多大なる影響を与えたチューイングガムは詠美さんのアメリカ人の夫にささげるために書かれたものだったはず。そのアメリカ人と離婚したということ、そして再婚されたこと、それは何となく知っていたものの、今回のこの本にはそのことも書いてあると。
買うしかない、とすぐに購入、こういう時電子書籍は非常に便利だ。そして私はその本のある一行に打ちのめされることになる。
前夫との離婚までの経緯はそれなりにショックを受けたけれどそれ以上に私は、これがプロと素人の差なのか、とつきつけられた。「つたなさを誤魔化すための意味あり気な「行間」なんて洒落くせえというのが私の持論」そう書かれてあった。
私がnoteに文章を書くときについつい行間に頼ってしまう。何行かあけて私が文字で表現できない思いをそこに乗せてしまう。人間失格を読んだときに、やだ、私のやってることの本質がばれてるじゃない、と思って恥ずかしくなった時と同じ感じをこの一行から感じた。行間を開けずに行間を感じさせる、それこそがプロなんだな、と。
だからこの文章も行間を開けずに一気に書いている。書いてみると気付く。行間を感じさせることの難しさを。ただ勢いをつけてやみくもに書いてるだけにしか見えない自分の未熟さを。


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