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日本における学区の歴史

1872年(明治5年)に学制が定められ、全国を大学区、中学区、小学区に分け、それぞれの学区に大学校、中学校、小学校を設置することとした[10]

1879年(明治12年)に学制が廃され、代わって教育令が公布された。教育令では学区制が廃され、町村ごとに、あるいは数町村連合して公立小学校を設置すべきものと定められた。また私立小学校があれば別に公立小学校を設置しなくてもよいものととした。 1880年(明治13年)に教育令が改正された後、文部省達「小学校設置ノ区域並ニ校数指示方心得」が出され、小学校設置の区域としての学区を新しく設けることとした。[11]

1900年(明治33年)施行の小学校令施行規則第82条において、市町村は区域に学校が2校以上ある場合、保護者に対して就学すべき学校を指定することとした。(ただし保護者は市町村に指定学校を変更の申立てをすることが出来る。)同様の規定は、国民学校令施行規則第69条[12]並びに学校教育法施行令第6条及び第8条に引き継がれている。

中学校においては、1943年(昭和18年)12月から新たに学区制を採用し、一学区内に複数の学校がある場合は総合考査により入学者を決定することとなった。[13]


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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